息吹。|47キャラバン#40@新潟
エピソード0
遅延、遅延、運転見合わせ。六日町駅の電光掲示板に赤く記されたそれらの文字が雪の激しさを物語っている。いかにも観光客らしいリュックを背負った青年は、線路を跨ぐような佇まいの駅の自由通路からスマホを片手に、これでもかと降りしきる雪でかき消されそうになっている線路をただぼんやりと見つめていた。
通知音が鳴る。Twitterだ。すぐさまDMを確認する。「着いた! 白い車です。」の二言。心臓の音がよく聞こえる。「落ち着け、相手も人間だ。」と言い聞かせながら足早に階段を駆け下りる。階段を下りて駐車場へと目をやる。白い車、その隣に画面越しに見覚えのある顔がスマホを見つめていた。あれだ。15m、10m… 歩み寄っていく。5mほど手前で向こうも気が付き、暖かい笑顔で迎えてくれた。「いやぁ、遅れてごめんね。にしてもすげぇ雪だなぁ~。とりあえず乗って!」青年は言われるがままに車に乗り込み、大きな荷物を降ろすと緊張気味に自己紹介をした。「新潟大学2年の田辺大貴です。よろしくお願いします。」
これが、モヤモヤ大学生、田辺大貴とポケットマルシェCEO、高橋博之さんの初めての出会いである。
プロローグ 偶然と必然
深~い、深~い暗くて寒い海の底にただ1人、ぽつんと取り残されたような感じだった。11月中旬から全国で大幅な感染拡大を見せた新型コロナ第三波の到来と、類い稀に見る大雪により、1・2月の農家さん訪問や地域おこし協力隊の方との企画などの予定はすべて、お流れとなった。手帳に書いていたそれらの予定を修正液で真っ白に消し去った時、頭の中も真っ白になった。
「動きたいのに、動けない…。自分ではどうすることもできない。何も考えたくない、考えられない…。」
まさしく、絶望の淵にあり、だいぶ限界が近づいていた。コロナを気にかけることなく進んでいく時間と、就職や将来のことなどへの不安に押しつぶされそうになっていた。
とにかく必死だった。必死にもがいていた。とりあえず動いていたくて、「何かあったら教えてください。どんなことでもいいんで。」と、ありとあらゆる方面に声をかけまくっていた。
ある朝、福岡に住む少ししか話したことがない先輩から、47キャラバンと高橋さんについての紹介のLINEが送られてきていた。
社会への疲弊と、希望が1mmも感じられない世界だと思い込んでいたTwitterに久々にログインし、高橋さんのツイートに目を通した。
「進路に迷う」「生きる目的/意味を見出せず社会に出ることに希望を感じられない」「毎日をこなすように生きるな。」「人生が変わる」
キーワードを拾いながらツイートを遡っているときに感じた。「高橋さんは今の自分のように何か悶々とした学生時代を過ごしていたのではないか、そしてそれに対する後悔ややり残したことがあったのではないか。」と。だとすれば、生きるヒントや人生の転機を作るきっかけとなるような出会いになるのではないか、と思った。敷かれたレールから外れるチャンス、ここに賭けるしかない、と思いすぐさま高橋さんのツイートにリプライし、同行させていただくことになった。まさか、福岡の直接会ったことのない先輩からの紹介で参加することになるとは思ってもみなかった。本当に偶然だった。そしてこの時、必死にもがいていれば手を差し伸べてくれる人はいるのだということを実感した。
会えばきっと変わる、だから何としてでも会いたかった。講演が行われる2月9日は予報では雪となっていたため、当日、移動中に交通機関が止まって参加できなくなるという事態だけは避けたいと思い、前日(2月8日)に移動して前泊することにしていた。
17:30に家を出て、21:00には目的地の六日町駅に着く予定だった。しかし大雪により電車は大幅に遅延、さらに六日町駅の4つ手前の駅で運転取りやめとなってしまった。タクシーによる代替輸送が行われ何とか2駅分は進めたものの、そこからさらに2駅分進まなければならなかった。もちろん電車は走っていない。終バスもとうに出てしまった。タクシーに乗れるほどの持ち合わせもない。21:30ーコートのフードを被り叩きつけるように降る大雪の中を1人、夜闇に向かって歩き出した。街灯はなく、猛吹雪のせいで視界が利くのはせいぜい1~2m。左右を2mをゆうに越す雪壁に囲まれ、側溝を勢いよく流れる融雪水と高架を走る新幹線の音で聴覚は完全に奪われた。道路を川のように流れる融雪水でスニーカーはグチョグチョ。くるぶし以上の深さがある水たまりも避けては通れなかった。どのくらい歩いた頃だろうか。足首から先の感覚がなくなって冷たさを感じなくなっていた。雪壁に囲まれた景色も変わることがなく、全く進んでいる気がしない。おまけに、昼以降何も口にしておらず頭がボーッとしてきた。しかしただひたすら前に進むことだけを考えた。途中、道端に座って休みだしたら最期だと思った。本当に死ぬかもしれないと思い、怖かった。しかし、明日高橋さんに会って生きるヒントをつかむんだ、という思いだけで何とか歩き続けた。
「ぶっ倒れてもいい。這ってでも行ってやる。絶対に会う。待ってろよ、高橋さん。」
この反骨心だけが前に進む原動力だった。約2時間、8kmほど進んでパトカーに止められ、職務質問を受けた。「六日町まではあと4~5km、歩いたら1時間以上。タクシーを使った方がいい。」と警官に言われた。しかし、僕にはここまで命の危険を感じながらも歩いてきた意地がある。そして持ち合わせはない。「あと1時間ちょっとで着けるなら行ってやる。」と心に火をつけ、23:30、再び歩き出した。その30分後、後ろから赤い光がゆっくりと近づいてきた。すると、スピーカーで「田辺くん、田辺くん、ちょっと止まって。」と言われた。さっきのパトカーだ。運転席の方へ行くと、先ほどの警官は「乗せてってあげるから早く乗って!」と言って僕をパトカーに乗せてくれた。そして日付が変わった0時20分頃、目的地の宿にようやく辿り着くことができた。
途中、何度も電車が止まって身長を越す雪の壁を見た時は行くのを断念し、高橋さんに参加できないとDMを送ろうかとも思ったが、諦めなくて良かった。翌日、高橋さんと無事に合流できたのは、最後の最後まで諦めず前に進み続けたが故の、必然だった。
電車が運転を取りやめた小出駅(六日町駅の4つ前の駅)の21時15分頃の様子。積雪はホームの屋根の高さに迫る勢いだった。
1.伏兵
新潟県南魚沼市宇津野新田ーその名を全国に轟かす「魚沼産コシヒカリ」発祥の地だ。大粒の雪が舞う中、身長180cm、体重98kgの巨漢が高橋さんと僕を優しい笑顔で迎えてくれた。休憩所のような小屋で、1時間ほど話を聞いた。
巨漢の正体は、内山 幸一(33)さん。姉と弟、15名ほどの従業員と共にコメとシイタケを育てる「株式会社 うちやま農園」の若き経営者だ。
↑ポケマルでは「ちょいワル椎茸」を出品しているが、47キャラバン以降、幸一さんまでちょいワルになってしまった。笑
気候変動の話になった。イネの開花には大量の水を要する。しかし、昨年は全く雪が降らなかったため十分な雪融け水を得られず、節水をしなければならなかったという。そんな昨年とは打って変わって、今年は大雪。初雪で1棟800~1000万円ほどするシイタケのハウスがつぶれた。また近年、田んぼの水がお湯のように温かくなっているそうだ。明らかに地球の調子が狂い始めている。自分ではどうにもできないし、科学や技術うんぬんだけでどうにかできる話でもない。
「自然に抗うのではなく、自然と共生していくしかない。」
と、常に肌で自然を感じている幸一さんと全国の生産者の話を聞いている高橋さんは噛みしめるように言った。
幸一さんは現在、使用済みのシイタケの菌が入ったブロックを田んぼにまく堆肥として利用する方法を模索中だ。後日シイタケのお手伝いをさせてもらいに行ったとき、詳しい話を聞いた。菌の入ったブロックは木のチップでできているため、時間はかかるがやがては土へ、そして自然へと還るそうだ。しかし、現在はまだ方法が確立できておらず失敗することもある。コメの収量が例年の半分ほどに留まった年もあったという。それにも関わらず、田んぼ1つをブロックを堆肥化する場所にすることも検討しているそうだ。リスクを分かっていながらなぜ挑もうとするのか。
「環境にいいし、田んぼもイネも強くなってうまいコメが届けれるようになるから。」
幸一さんの瞳の奥には、したたかに燃える炎が見えた。自然との対話、衝突、物々交換ー生産者を肌で感じた瞬間だった。
↑2/23(火)にシイタケを発生させる準備のお手伝いしたときの様子。ハウス一面に1万2000~3000個ものブロックが並び、シイタケの香りに包まれる。
↑お手伝い後にはお米、シイタケ、キクラゲの豪華なお土産をいただいた。贅沢!
「あんた結婚する気あるの?」規模拡大をめぐる議論の最中、突然姉の口から発せられたこの一言に幸一さんは何も言い返せなかった。痛い所を突かれた幸一さんは結婚相談所へ登録、数人の紹介を受けたものの発展には至らなかったそうだ。その話を受け、高橋さんは「消費者と結婚すんのがいいって!食の趣味が合うって最高だべぇ!農業体験のときにいっぱい人集めてさぁ!」と言った。ぶっとんでいると思ったが、意外にも生産者ー消費者カップルはいるそうだ。
幸一さんは穏やかで優しい方だが、「俺がコメを作ってんだ!」という自覚を胸に自然と農業を愛し、たくさんの人に一次産業に興味を持ってもらって楽しく農業をしたり自然を感じてほしい!という熱い思いから、例年田植えや稲刈りなどのイベントを開催している。そして今年から素敵な出会いと農園の盛り上げを求めて、より一層力を入れて取り組んでいきたいとのことなので、年齢・性別を問わず幸一さんに興味がある方、農業体験をしたい方、自然を感じたい方、おいしいお米を食べたい方などは奮って参加していただきたい。
最近読んだ本の一節に「革命は辺境で起きる」というロシアの革命家、レーニンの言葉が出てきた。南魚沼市は福島県と群馬県に隣接している。まさに、辺境だ。47キャラバンの後、幸一さんはTwitterを始め日常を発信したり、全国のポケマル農家さんの食べ物を取り寄せて売り方について学んでいる。明らかに本人の中で少しずつ変化が生じ始めている。そして辺境の地、南魚沼でもこれから何かが起きそうな気がしてならない。楽しみだ。
↑幸一さんのTwitterからは雪国ならではの非日常感やシイタケ生産の裏側などを見ることができる。
2.言霊
「世界77億人、自分が考えたような人生を歩めてるヤツは誰一人としていねぇ。」
47キャラバンに同行させていただいた3日間で何度この言葉を聞いただろうか。誰が東日本大震災が起こることを予想していたか。誰がコロナウイルスが世界中で蔓延し、多くの人が亡くなることを予想していたか。ー恐らく誰にも分かっていなかったはずだ。昨年、コロナにより世界中の事業計画はことごとく頓挫した。
「世の中本当に何が起こるか分がんねぇ。計画なんて立てても100%その通りになることはねぇ。」
と高橋さんは続ける。確かに、周りの大人たちは学生時代には今の職業に就くとは思っていなかったと口を揃えて言っている。そして僕自身も、昨日(2/8)あんな身の危険を感じるような思いをするとは考えてもみなかった。では、どうすればいいのか。
「異質な世界に飛び込め。そこで自分の目で見て、耳で聞いて、体で感じてるうちに目的の方から自分を探しに来てくれる。心は頭にあるんじゃねぇ、心と体はつながってんだ。」
と高橋さんは言う。なるほど、心の赴くままに動いているうちに興味のありそうなこととかやりたいことが少しずつゆっくりと見えてくるんだな。最近、興味のあることとかやりたいことについて聞かれる機会が多々あるが、僕はうまく答えることができない。自分の中で「これだ!」と思えるようなモノやコトにまだ出会えていない気がする。まだ20歳になったばかりの若造が自分の軸を定めるには知らない世界が広すぎて、判断材料が少なすぎるってことなのかな、と思った。同時に、もっともっと色々な世界に心に導かれるがままに飛び込んで行っていいんだな、と思えた。
3.正夢に。
じぃちゃんから親父へ、親父から俺へ。俺から息子へ。息子から孫へ。世の中には様々な職業がある中で、農家や政治家というのは家系において脈々と受け継がれていく特殊な職業だ。新たに外部の人間が門を叩いてもそう易々と入っていくことのできる世界ではない。ごく一部の限られた人間により営まれる、閉ざされた世界。高橋さんはこれを、「農家と政治家は雲の上の存在」と表現する。では、その逆はどうなのか。農家や政治家から見た“それ以外の人たち”はどのように映っているのか。「高見の見物。-直接関わっている訳ではないのに、あたかも自分事のようにモノを言う存在。」つまり、農家や政治家の目には私たちのような“それ以外の人たち”が雲の上にいるように見えているのだ。お互いがお互いを雲の上の存在であると思い合っている。実際は、誰も雲の上になんていないはずのなのに。上下関係などというものは存在しない。農家も政治家も、僕のような“それ以外の人たち”もみんな、虚像を見ている、そんな気がした。
虚像を実像にするには。お互いの本当の姿を見るには。
「外集団均質化バイアス」という言葉がある。「学生」という名前の学生は存在しない。そしてもちろん、「生産者」という名前の生産者も存在しないし、「消費者」という名前の消費者も存在しない。つまり外集団均質化バイアスとは、個人として存在する学生を「学生」という集団として一括りに認識してしまうこと、1人の生産者を「生産者」という言葉の概念に入れ込んでしまうことをいう。個人を集団や概念の中から引っ張り出すには。虚像をぶち壊して実像として認識するには。-「知る」ことが重要であると高橋さんは言う。互いが互いを知り、生産者と消費者が〇〇さん、△△さんと名前で呼び合う“人づきあい”をする。生産者と消費者が“1人の人間”としてのつきあいをする。すると、共感力が芽生えるようになり、初めて相手の実体を感じれるようになる、ということだ。人を人として認識し、つきあいをする場。ーそれがポケマルだ。「ポケマルはあくまでも手段。」高橋さんがこう言った時、一瞬ブワァッ!と強い風に吹かれたような衝撃を受けた。合理性だとか目的ばかりが追求され、人が消費財のように扱われるこの世の中では、人づきあいのような、面倒臭いだとか無駄だと思われていることこそが、実は一番大切なのではないかと思った。
4.自然ボケ
スーパーの鮮魚コーナーには毎日おおよそ同じ大きさの、同じ種類の魚が並べられている。これは、当たり前のこと。ではない。冬の日本海は波が高く、月に4~5日ほどしか漁に出れないそうだ。しかし、店頭には毎日同じ魚が並ぶ。そう、これはおかしい、不自然な現象なのだ。日本は現在、食べ物を年間約620万トンも廃棄する飽食の時代にあり、人々は満たされるを通り越し、満たされ過ぎている。故に、モノのありがたみが分からなくなっている。「何が自然で、何が不自然か」という判別がつけられないー“自然ボケ”だ。はっとした。自分は絶賛自然ボケ中であるということに気づかされた。
「ちゃんとしなさい。」記憶は曖昧だが、恐らく僕もこう言われて育ってきたのだと思う。高橋さんは、「今の時代、小中学生の50人に1人は不登校。しかもこの不登校は昔のような「行けない」不登校ではなく、自らの意志で「行かない」という積極的な不登校。この選択ができるのはすごい。」と言う。「ちゃんとする」とは、「他人から外れないで、同じことをする」ということだ。「なぜ他人と同じでなければならないのか」と疑問を投げかけ、抗議する子どもの方が“自然”だ。そして、僕の目からは「ちゃんと」育てられてきたであろう人は楽しそうにしているように見えない。一方で、周りからどれだけ浮いていようと自分を貫いている大人や先輩はどれだけ年配であっても、子どものようにキラキラとした「生きた」目をしているように見える。
「浮いて浮いて浮きまくれ。浮くことを楽しめ。」
高橋さんは言う。僕も、キラキラとした瞳で何歳になっても夢を語り続けるような大人になりたい。
福島県ー南相馬で講演しているときの高橋さん。
こんな風に目を輝かせて楽しそうに語る熱い大人が大好きだし、自分もそうなりたい。
エピローグ 家路と旅路
2泊3日の47キャラバンの日程(新潟ー南魚沼、福島ー南相馬)を終え、家路につく前に寄り道をした。地元、福島市。実家がある。この47キャラバンを、人生の転機にしてやると意気込んで南魚沼に乗り込んだ。南魚沼での1日が終わった時、既に腹をくくっていた。ここで変えなければ、自分の人生は変えられない。恐らく僕は、自分の人生にこだわりがあるのだと思う。「ちゃんと」させようとする母と、そこに正面からぶつかっていく僕の激論は深夜0時過ぎまで続いた。僕は復学して卒業することを条件に、1年間の休学をつかみとった。1年間は農家さんや漁師さんのお手伝いをしつつ各地を行脚しながら「生きた」目をした人の側で生きざまをこの目に焼きつけ、食べ物やその作り手のストーリーを知り、発信していきたいと考えている。不思議と、周りと違うことをするということへの恐怖心はない。何が起こるか分からないのが人生。未来がどうなるかなんて誰にも分からない。
帰り際、ふと空を見上げると澄んだ青がどこまでも続いていた。青年は目を見開いて大きく一歩踏み出した。もはやその佇まいは観光客ではない。旅人だ。
自分の知らない世界に飛び込んで、自分の足で立てるようになってやる。
「待ってろよ、異質な世界。」
青年は一歩、また一歩、踏みしめるように歩き出した。
最後に、「成功の反対は失敗ではない。挑戦である。」(黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソン)という言葉をいただいた。胸に刻みたい。
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