人間が嫌いになることがこんなに嬉しいなんて思わなかった
雨が似合う人になりたいなんてこれっぽちも思ったことはない。どちらかというと、晴れの似合う人になりたいと思っている。
ジトジトする雨音は、真っ暗なベッドルームのそれにはあまりにもよく似合う。
でも、眠りたくても眠れない夜に、雨音は容赦なく、僕の耳元で深い深い闇への入り口をこれでもかと塞いでいる。枕はジットリとした感触で耳のあたりを触っている。
それでもどうにか目が落ちていく感覚を手繰り寄せる。雨音が段々と聞こえなくなるのを感じながら、目頭の奥へと神経が隠れていくのがわかる。
すると、吉田修一のパレードを読み終わった時の感情がすくっと目を覚ます。怖いとか、恐ろしいとか、恐怖を感じる。胸が苦しいとか、胸が痛いとか、そんなセンチメンタルなことではなく、僕は人間というものに腹を立てていた。
いや、吉田修一さんの空想と現実から紐解かれた、本当の人間の姿。嫌だ。人間なんて嫌いだ。
こんなの人間のすることではないと思いながら、これが人間かとも思う。雨はずっと、ベッドルームを賑わしている。
人間なんてのは、どうしようもなく惨めで、どうしようもなくカッコいいものだと思う。小さな光は、次第に大きな光になり、そして、大きな影を作る。真っ黒な紙の上では、光なんてどこまでいっても、小さなものだと思う。
大きく照らされれば、全く気づかないほどの小さな影であろうと、一度人の目に触れれば、それ大きな光さえ簡単に飲み込んでしまうような影になる。
いつだって僕らは、影の中で暮らすことになる。
人間が嫌いだ。でも、正当化することのできないことをしても、人間は人間を救うことがある。それが正当化されて当然のような行いを、僕らはしてしまうのだ。
僕らは、日常に囚われ、普遍的なもののみに価値を見出す。自分という人間以外のことに、変化があってはならないのだ。
人間が嫌いだ。でもどことなく、その感情を嬉しく感じる。
天地を喰らうほどの事件を起こしているやつなんて他にたくさんいる。僕のようなやつでも、人間よりは、人間らしいじゃないか。
雨の似合う人は、永遠に晴れの似合う人にはなれない。僕らはずっと、晴れ間の似合う人だから。
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