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本とお風呂と美と思考。

2015/04/15

私はよくお風呂で本を読んでいる。
1日の終わりに楽しみにしている時間だ。

日中過ごす環境が変わっても、
やる事が変わっても、
こうしていつもと同じ空間に戻って、
同じ事を静かに繰り返す時間が
あるということは、本当に心が安らぐ。

私という人間は、
元来とても単純な構造に出来ていて、
繊細なとこはあると思うけど、
どうにもならない複雑さ
というものは余りない。

だけどこうして人の書いた考えや
文章を読んでいると、
人が心の奥に持つ
ちょっとしたダークさだとか
複雑さというものも、
なかなか良いものだなと思う。

ヨガなんかをやっていると、
煩悩だとか、
そういう部分を削ぎ落とす?方向に
向かおうとしがちな気がするし、

勿論生きていく上で、
不要な悩み癖や苦しみは
上手に料理できるように
なっている方が楽ではある。

だけどそういう事ではなく、
人間という一つの表現媒体として、
人が持つそういう暗さとか
複雑さというものに、
私はどこか色気や美しさを感じてしまう。

私は日本建築の、
陰翳が織り成すあの独特の表情が
たまらなく好きなのだけど、
それの人間バージョンというか、
惹かれる理由とポイントが
何処か似ている気もする。

自分がそういうタイプではないから
余計憧れるのかもしれない。
最近では益々シンプルに
なってきているから、
それはそれで悩みまくっていた頃よりも
ずっと幸せで楽なのだけど、

それでも時々、
そういう陰の部分も、
自分の中から全くなくなっては
欲しくないなぁなんて、
訳のわからない事を願ったりもする。

だって例えば日本建築で
あの陰翳がなくなってしまったら、
やっぱり美の表情は
ずっと深みのないものに
なってしまうでしょ?

まぁ基本的には
ハッピーで笑ってて欲しいけど、
そうじゃない部分の存在を
知っている人とか、
ほんの瞬間に
ふと憂いの表情が垣間見える時だとか、

そういう時、私にとって何だか人は
ぐっと美しさを増す。

そしてそういう大人な表現が
できるようになるには
一体どうすれば良いのかなぁなんて
思ったりもしている。
(まぁ、どうすればいいって
問題でもないんだろうけどね笑)

あと実は、
フラメンコとかの
燃えるような真赤な情熱。

これも私の中に実は結構あるもの。
まぁこれは、
私には本当になさそうな表現の境地なので...
単純に大きな憧れで終わるかな笑。

あぁ、でも、
人間というものを知り尽くし、
達観した僧侶の静けさにも、
色気というのはとても失礼ですが、
日本建築の佇まいが放つ
あのひんやりとした独特の品格に似た
圧倒的な美しさがあるしなぁ。


美というものは、やはり奥が深いですね。
その掴み所のなさがまた憎いところです。

ってな事を、
お風呂で本を読みながら
脱線して考えていたりします。笑
愛すべき、夜の考え事タイム☆

誰の&何の役にも立ちませんが笑、
そうやって思考を巡らせる事って
やっぱり私は好きだなぁ。

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