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【与太話】結果的にこの結婚はラッキーだった

はじめに

最近のLGBTQ+界隈、なにかと話題が尽きない印象ですね。
様々な媒体で様々な人たちが意見したり議論したりするのを見かけ、初めて自分がマイノリティ側じゃないかな?と自覚してからだとおよそ20年弱経っているので、その当時と比べると物凄くオープンな時代になったなと思う反面、この国まだそんなレベルなのか…と思う部分もあります。

私は幸い、マイノリティとして特別困ったり悔しい思いをしたことはありません。が、それは将来を見据えて付き合うようなパートナーが長年おらず、世間的には一般の大学を出てそれなりの会社で収入を得て、時たま気の合う友達と旅行して満足するいわゆる「普通」の人に紛れていたからで、周りの結婚出産ラッシュが始まり”そういえば私はこれからどう生きていきたいかな~”と考えたときに漠然とした不安は湧いてきました。

私のマイノリティ遍歴は過去の記事(↑)を参照いただくとして、自覚している性的指向を鑑みると異性と性愛ありきの結婚をするのは難しそうだと考えました。かといって一生ひとりで過ごすのはなんか味気ないし、自分の身になにかあったときに高齢の親以外に頼れないのもいずれ絶対に不便(きょうだいはいないし、年の近い親族は遠方で長年会う機会がなくほぼ没交流)。

そんな折、ちょうど「逃げるは恥だが役に立つ」が流行ったこともあり利害の一致に基づく男女間の契約結婚が話題にあがっていました。これはもしかしていい方法なのでは?と調べていくうち、マイノリティ同士で性愛関係なく結婚するという方法もあるのか!それどうやら友情結婚っていうらしい!と目から鱗が落ちる感覚がしました。

現在、私は結婚という共同体の形をとってパートナーとそれなりに楽しく同居していますが、そこに至るまでにいろんな幸運が重なったと思います。今までの記事ではあまりそのあたりを掘り下げてこなかったので、選ばなかった人生の選択肢も視野に入れつつ、超個人的な備忘録として残しておこうかなと考え、思いつくまま書きはじめました。
あわよくば、友情結婚という言葉にたどりついた方へなにかの参考になれば幸いです。


①そもそも「男女」の「結婚」にこだわらないといけないのか?

まず考えたのが大前提のこれです。

一例として、私の場合は毒母からプレッシャーをかけられ続けたのが結婚を選んだ理由です。思い返せば物心ついた時には「結婚はいくら早くてもいいから婿に入ってくれる男を探しなさい」とことあるごとに言われていました。これだけで「毒」と表現しているわけではなく、母の人間性を疑う場面は多々あるのですが、ここでは割愛します。

20代前半でもこの条件でいい人いないの?後半になればもう婿じゃなくてもいいから結婚する気はあるのよね?30代突入するころにはいよいよ「○○ちゃんのところには子供が産まれたんだけど」と孫希望の圧まで。この人、自覚はないみたいですが自分の娘自慢で他人にマウントとるのが昔から快感だったようです。指摘するとヒステリー起こして「親に悪口いって面白いのか!」と数日間は機嫌が戻らず面倒なので、刺激しないようにのらりくらりかわすだけにしました。
※ちなみに父の話は出てきませんが、うちでは母以外に私に対する発言権は基本ありません。

その母が高齢になり、いずれ介護で顔を合わせる未来も近いのかもしれないと考えると、独身の状態で愚痴と圧力を受け止め続ける気力は私にはないな…と思ってしまいました。
あわよくば親が私に頼ってくる前に、私も家族のことがあるから頻繁には帰れないよ!と釘を刺しておきたい。
ただ田舎の限界集落に住む高齢者が、同性のパートナーを「家族」と認めるはずがなく(勿論、理解の進んだ方もおられますが、我が家は残念ながら性別だけでなく、国籍や学歴についても差別的な発言が日常的にありました)、やはり異性の相手を見つけ、早いうちに出産まで見据えて動かないとなという結論に至りました。

ちなみに、他の選択肢としては

  • 気ままにおひとりさま

  • 異性との事実婚

  • 同性とのパートナーシップ(現行の日本の法律上)

  • 友達や同志との共同体

を探れるかなと思います。

とあるドラァグクイーンの方が、同業の仲間内で本名も知らなかったら何かあったときに通報や救急搬送ができない!と気付き連絡網を作った、といった話を聞いて、もし一生を独身で過ごすのならこういった形で繋がれるようなコミュニティに属すのもひとつの方法だなと(一生続けられる仕事、居心地のいい職場があれば申し分ないです)。
既に趣味等のオフ会や習い事、行きつけのお店の常連同士として旧知の仲であればもっとフランクに繋がっておけるかもしれません。

いずれにせよ、多少曖昧でも言語化できる程度には自分のセクシュアリティを知っておくほうがよいと感じます。仮に1対1でパートナーシップを結びたい!となると、自分と相手の求める条件がマッチすればするほど上手くいく可能性が高いはず。

私が幸運だったなと感じるのは、学生時代に現状のセクシュアリティ自認につながる経験ができたことです。当時は同性の恋人がいて、一丁前に傷ついたり泣いたり愛を語ったり(笑)していましたが、あまりにもその日々が鮮やかすぎて人生でもうそれ以上の対人関係を築くことは無理だな、とあっさり過去を置いてこれました。


②どうやって相手を探すのか?

いざパートナーを見つけよう!としたときに直面するのはどうやって出会うの?ということです。特に大都市圏から離れれば離れるほど、人口の少なさに比例してここの難易度は上がります。

先述しましたが、いかに効率よく進めるかを重視するならば、やはり自認しているセクシュアリティに基づいて活動するのが早いです。アプリやオフ会の中には「ゲイ・レズビアン限定」「アセクシャル・ノンセクシャルの共同体募集」など、最初から参加者の門戸を狭めていることも多いからです。
性的関係は持ちたくない、性嫌悪があるという場合は、持つこと前提で出会いを探している人とのやりとりは苦痛になることがあるかも。

また、自分からの発信で相手を募集する場合、「自分はこういう人間で、お相手とはこういった関係を築きたい!」という内容は詳しければ詳しいほど探す側としては有難いです。

ちなみに私が結婚を考える以前から利用したり覗いたりしたサービスはこちら(現在は運用停止されているものもあるかも)。特に焦りもなかった20代はフットワークが軽かったのでそれなりに活動的でした。

  • レズビアン専用のSNS→出会い目的での利用を推奨されていました。地域によってはオフ会も割と盛んだったっぽい。当時はSNS乱立期で登録者少なかったです。

  • 大手のマッチングアプリ→試しに「アセクシャル」「性的関係は求めません」という文言を入れてプロフィールを作成したところ、9割は冷やかしでメッセージのやりとりだけ、1割は同じような考えで結婚を望む方と実際に会ったりできました。地方でも登録者は多いイメージ。

  • 紹介サイト(MILK)→友情結婚という目的が一致しているので出会い方としては手っ取り早いなと感じました。当時と変更なければ実際にやりとりが始まる前にお金が必要だったり、ド偏見ですが社会的地位がある職業の方の超強気プロフィールが多かった印象なので、個人的には尻込みしました。

  • 地域のレズビアンコミュニティ→Twitter経由で、当時住んでいた地域の近くにそういうオフ会ありますよ、と誘っていただき何度かお邪魔しました。年齢層が幅広く、一度に大勢と会える飲みサークルみたいな感じ。30人程度は繋がってるみたいでした。田舎にもあるんだなと驚き。

  • 友情結婚掲示板→最終的に私がカイト氏と出会ったのはこれ。無料ツールのBBSなので風俗の宣伝とか謎の顔写真とかリテラシーある?大丈夫?と思うものも時たま挟まってます。真剣な書き込みが思ったより多いですが、最初はメールでのやりとりになるので見極めは重要です…。詳しい経緯は別記事にまとめています。

その他、今回は利用しませんでしたが、友情結婚を専門に扱うところを含めた結婚相談所は資金に余裕があればいずれ検討したかも。Twitter上でも友情結婚を希望するアカウントはちらほら見かけますね。言葉が徐々に広まっているからか、ここ数年でぐっと数が増えた気がします。

さらに視点を変えて周りを見渡してみると、実は似たような境遇の知り合いがいたりするかもしれません。私の10年来の友人とも会話の端々で、「もしかしてこの子ノンセクシャルなんじゃないかな?」と感じたことがあります。たらればを語っても仕方ないですが、私が実家や結婚への呪縛がまったくなければ、近所に住んで一緒に独身を謳歌しようよ!と誘っていたかもしれません。

知り合いにも、女子高を卒業して50代になって集まってみたら8割が独身で、こうなったらもう一緒に老人ホームに入る話までしたわ、と笑っておられる方がいました。正直めっちゃ楽しそう。

結婚した現在の視点からはこの問題は一旦解決していますが、何が起こるかわからないのが人生。何かの拍子に結婚生活が破綻したり(考えたくはないけど)、今の状態が続けられなくなったりした場合は、ここに立ち返って視野を広くとったほうがいいよ、と自戒も込めて書き残しておきます。


③どうやって結婚までたどりつくのか?

目ぼしいサービスを見つけて参加したとして、すぐ運命のパートナーを見つけました!となることはごく稀ですし、まして結婚しましょう!までにはそれなりに時間がかかりました。

そもそも1対1のコミュニケーションになるまで。
私自身そうだったように、アプリにしても掲示板にしても文面からの出会いでスタートするパターンが多いんじゃないかなと思います。個人的に意識していたのは、文章の組み立て方や言い回し、書かれている内容で「おや?」と思うところがあったらコンタクトをやめておくということ。いろいろと失礼になる場合があるので深くは掘り下げませんが、直感は意外と侮れないものです…。

また、例えば喫煙やギャンブル趣味の有無、家族との同別居、経済的な状況など自分が譲れないと思う条件が外れている場合も一旦は避けていました。他のどんな部分が突出して良くても結局そこがだめなら綻びになってしまう可能性が高いのは、友情結婚に限らずだと思います。ただ、話を進める中で譲歩できる可能性を探ることはできそうです。

そして特に友情結婚であれば、お互いのセクシュアリティによって結婚の目的が全然違う場合があることを考慮にいれなければいけません。よく「性的なことができない以外は”普通の夫婦”として生活したい」というのを見かけますが、”普通”がどういう解釈なのかはかなり個人差があるはず。

いくつか思いつくパターンを書いてみますね。
(個人的なイメージであり、偏見を伴う場合があります)

  • ヘテロロマだけどアセクorノンセク→ハグとか軽いスキンシップはできる、したい

  • ゲイ・レズビアン(アセク・ノンセク含む)→外にパートナーがいるもしくは作りたい、世間体のため表向きは円満夫婦を演じてほしいけどスキンシップは不要

  • アロマでありアセク・ノンセク→縁側でお茶飲む老夫婦みたいな、スキンシップはないけど楽しく生きれる同志

セクシャリティにはグラデーションがありすぎるし、当然ながら生きてきた背景や性格が違うのをふまえていくと、解釈が同じだからといって必ずうまくいくということではないです。が、いざ一緒に住んでみたら思い描いていた生活と違ってどちらかが我慢を強いられたり、もっとこうしたかったのに!と不満が出るのを避けるためには、ある程度早い段階で”普通”の解釈がなんなのかを突き詰めていく必要がありそうです。

  • たまには手をつないだりハグがしたい?

  • 性的欲求を外で発散してきてもいい?風俗通いもしくはセフレは可?(これは一般のマッチングアプリでめちゃくちゃ聞かれます)

  • 同性のパートナーがいてもいい?

結婚をひとつの契約関係として、相手のセクシュアリティに対しどこまでを心理的・倫理的に許容範囲とするかがマッチすればするほど、長くうまくいくんじゃないかなと思います。

これは本人のOK・NGによって求めるパートナー像が変わるのは勿論ですが、仮に自分の身の周りの人間に紹介するときでもうまく立ち回れるか(カミングアウトの有無を含めて)、もしくは絶対に隠し通すつもりなのかによっても基準が変わってきそうです。

参考までに私が言語化できている自分のセクシュアリティと、実際に結婚するにあたって希望したパートナー像について残しておきます。

私の場合、レズビアンの「後天的」アロマンティック・アセクシャルと自称しています。
デミロマンティックの傾向が元々強かったのですが、他人と距離を詰めるのがめちゃくちゃ苦手なので恋愛感情にたどりつくまでにかなりの時間を要するタイプでした。
学生時代は長時間同じ環境で過ごす中で関係が深くなることもそれなりにありましたが、就職すると業務上の付き合い以上に同年代と仲良くなることはありませんでした。
そうこうしているうちに転職や結婚で恋愛対象になり得そうな社員は年々少なくなり、私も仕事を趣味にしてしまったので(笑)もう恋愛はできないなといつからか漠然と思うようになりました。

また、過去にお付き合いしていた方以上に好きになれそうな同性も現れることはないだろうと断言できるし、恋愛感情ありきでしか性欲が他人に向かわないので、通りすがりの人をみて「あームラムラするな」なんてことはそもそもありません。

以上をふまえて、私が婚姻関係に求めるパートナー像として挙げていたのは以下の通りです。

  • 性的接触は勿論、それ以外のスキンシップも求めてこない

  • 可能であれば、外にパートナーは作ってほしくはない→これはのちのち妊娠・出産を視野に入れていたからです。家庭を疎かにされそうな因子はできるだけ避けておきたいな、と。

  • 外で性欲発散すること(風俗などワンナイト)は大っぴらにされなければご自由に→但し性病は困るので、重々気を付けて…。周囲から怪しまれるほどのめりこむのはお互いの為に×で。

  • 私の家族との最低限の交流はしてもらいたい→年1回程度の帰省と、呼ばれれば冠婚葬祭の参加ぐらいです。特に私の場合は、毒母から逃げたいという理由を理解してくれることに重きを置いていました(納得しなくてもいいから、否定はしない)。

書き出してみると、恐らくパートナー候補になるのはゲイで、アロマに近いほうが望ましいということになりますよね。カイト氏のプロフィールをたまたま見つけた時も、条件に概ね当てはまったのでコンタクトをとってみたと記憶しています。
お互いの条件の擦り合わせは実際に会って話してみて詰めていった感じですが、もしかして条件に近いかも?という相手が割とすぐ見つかったのは本当に幸運なことでした。


④最終的な決め手は?

実は私の場合、これだ!という決め手はありませんでした。
何度か直接会って会話する機会を設け、たちまち結婚したくなるということもなく、かといって別に拒絶する要素もないし、ただただこの遭遇はラッキーだな…から、じわじわと結婚しても多分大丈夫だろうな、というように気持ちが動いていった感覚です。

あくまで一個人のちょっと変わった婚活体験記として、初対面から結婚の話が出るまでの変遷をざっくり残しておきます。

なんだかんだで第一印象、外見は良いに越したことはないです。
これは整っているか否かという話とは別で(私自身、他人の顔をどうこう言える見た目ではないので)、文面の時にも触れた「違和感がないか」に尽きると思います。

それまで興味本位で会ってみた中で、①めちゃくちゃ奇抜な髪形+服はひと昔前のチンピラ風、②恐らく本人は気づいていない類のキツい体臭、③なぜ初対面でそれを着てきた…と言いたい胸元ざっくりの透けたピンクシャツ、等々仕方ない部分はありつつ人柄云々に入る前に一歩引いてしまうタイプの方もいらっしゃったりしました。

また質問に答える以外ほとんど喋らない・笑わない…等、硬派が好みの方は一定数いるにしても、個人的には心情を掴みかねるので苦手で、やはりお互いに話好きだと好印象でした。
実際に話してみて、「自分が必要以上に無理をしていないこと」は今後長く続く付き合いのことを考えると大事なのかなと感じました。

カイト氏とはちょっとした世間話等も挟みつつ、基本は最初から結婚したい理由・結婚後のビジョンについて重きを置いて話をしました。一度はそれまで文面上のやりとりで触れていたので、求める条件等を改めて深堀りしていく形です。詳しくはこちらの記事に書きました。

私たちの場合はお互いに同性のパートナーを作る気はなく、結婚したら同居し、いずれは子供を持ちたいという考えは一致していたので、それがどういった背景に基づく考えなのかを確認していきました。

例に挙げると、過去の恋愛遍歴について。
セクシュアリティを自認するきっかけになった思い出話や、この界隈の当事者だからこそわかる葛藤・あるある話はお互いの異性・同性に対する価値観の確認に使いました。その上で、改めてこの結婚にスキンシップや愛情表現は必要ないなと実感できました。

さらに、両親をはじめとした周囲との関係を聞くことで、育ってきた環境やそれに付随したプレッシャーの有無、結婚後についてまわるであろう人間関係がよく分かりました。
私でいえばひとりっ子で多大な孫プレッシャーがあること、相手からすれば義理の母親が癖強め(幸い、内弁慶なので他人からは極度の世話焼き程度にうつるようです)なことなど。
こちらはカイト氏とその家族の関係を教えてもらい、絶対にうちよりはマトモだ…、と思えたので前進に繋がりました。

他にも普段の生活について、仕事での立場やひとり暮らし歴(家事能力)、お金をかけている趣味があるかを確認しました。
これは同居を見据えたとき、経済的な負担と生活にかかる負担を半々にしたいと思っていたからです。私たちの場合はお互いに実家を出て久しく、また当時は比較的年収差もないことが分かってよかったです。
逆にここで不安要素が分かれば、例えば同じ建物の隣の部屋に住む等の検討が必要になったかもしれません。

最後に、いつまでに結婚(入籍)をするか確認したあたりで、いよいよ本格的に腹を括った記憶があります。お試し同居期間を設けていつ頃までに入籍できたらいいね、と話したのが出会ってから半年ほど経った頃。
その時でさえ、「まぁ一旦は同居してみて無理なら無理、また考えよう」という程度の気持ちで、腹を括ったとはいえそこまで深くは考えていなかった気がします。

結果的に同居後も大きなトラブルはなく軌道に乗り、出会ってからちょうど1年半ほどで籍を入れました。


おわりに

非常に長くなりましたが、私の幸運に幸運が重なった結婚までの記録を改めて文章にしてみました。

友情結婚して分かったのは、結婚することやその相手自体が幸せをもたらしてくれるわけではなく、あくまで「自分の幸せで穏やかな生活は自分でつくっていくしかない」ということです。
よく相手に期待しすぎる、干渉しすぎると上手くいかない事例を見かけたりしますが、私たちの場合は図らずもそれの逆をいっているので今のところ順調に過ごせているのかなと感じます。

干渉しようにも別に生活に関わること以外は相手に興味がないし、人間として好ましいとは思うけど世話を焼きたい、あるいは目を離さないでいてほしいとは思わない。
お互いにひとり暮らしの延長で、美味しいものや面白い話は適宜共有できることに喜びを見いだせるのが、我が家にとっての”友情”結婚だったのかなと。

逆にいうと、別に結婚がそれほどいいものかと言われると「?」です。周囲の「恋人いないの?」の質問が、新婚期は「どこで知り合ったの?」「プロポーズの言葉は?」「式は?新婚旅行は?」に変わり、そのうち「子供は?」「何人の予定?」いずれ「セックスレスなの?」「本当に仲いいの?」になっていくのはなんとなくわかりますし、プライベートに踏み込んでくる人は結局煩わしいままです。

どの生き方を選ぶにしろ、自分が幸せかどうかは自分が分かっていれば充分だなと思います。もし現状に満足していないのなら、エラーになったとしてもトライすることを一度やってみてもいいかもしれません。
私自身、これからも穏やかな生活を続けていくために、できる努力はしていこうと改めて感じました。

ここまで読まれた方がいるかはわかりませんが、友情結婚経験者のいちエピソードとして、なにか欠片でもヒントがあったなら嬉しいです。

結婚後のなんてことない日常はTwitterへ随時呟いています。


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