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バベルの塔とNetfilix

少し前に日本国内でのNetfilix会員数がざっくり300万人を超えていると記事になっていた。平成25年のデータで茨城県の人口が約290万人だったので、Netfilixは茨城県規模ということだとわかる。(わからない)

カスター将軍

話はいきなり最近見た映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の1シーンに飛ぶ。この劇中でレオナルドディカプリオが演じるリック・ダルトンが劇中劇の中で衣装係、映画監督と新しいイメージにしようとかなんとかいう掛け合いがある。衣装をそれまで通りの型にはまった西部劇に出てくる奴じゃなくて云々、というくだりの中で”カスター将軍みたいに”というセリフがあった。

もちろんそれなりに映画が好きだ、という人々の中にはナイトミュージアムにも出てきたよね?くらいの記憶はあるかもしれないし、そもそもちゃんとアメリカの歴史を勉強したことがあるよという方もおられるだろうし、歴史の浅い合衆国の歴史の中では歴史上の著名人としてこの私もうっすらとその存在を知るくらいではある。

しかし当然「ワンス~」の中での使われ方は違う。劇中の時代であるところの1969年からさかのぼること2年前1967年に映画「CUSTER OF THE WEST」が公開されていて、そんな映画になってしまうくらいにかの国では一般教養も一般教養。誰も知るところの人物がカスター将軍だ。ちなみに衣装の下りで出てくるのは実際のカスター将軍が自身の着る軍服を特別に仕立てさせ、豪奢で派手な装をしているところからきているのだろう。

28か国

冒頭のNetfilixについての記事の中では国内の会員数だけではなく、極東の国日本での原作をもつ全裸監督が世界28か国の言語で字幕が提供され、12の国で吹き替えがあるという。また、今そのNetfilixでオリジナルシリーズとして展開されているテラスハウスについては、米国の大手メディアTIME誌が選ぶ2018年のベストテレビ番組ランキングの6位にランクインしている。

リアリティ番組の数だけでとんでもない番組数ありそうな米国のなかで、逆に新しいという感じで人気らしいが、別にだからすごいとかそうだねとかそういうことが言いたいわけでもない。以前から風雲たけし城のフォーマットが海外で人気だとか、筋肉番付や料理の鉄人など日本の地上波により作成されて拡大拡販されたフォーマット自体はおそらくほかにもあるだろう。また、アニメーションなどのジャンルに等においても、言わずもがなである。

文化のハードル

ここでようやくこのnoteの意図を説明すると、Netfilixはもしかすると世界の文化的ハードルを下げているのかもしれないと思っている、ということだ。面白いものやメジャーなものというのは、万国共通で今までも存在はしてきた。ベートーベン、ドフトエフスキー、チェーホフ、ゴッホ、そんでもってディカプリオまで。しかしそれらはやはり最大公約数あるいは一定の文化圏の中でも飛びぬけてずば抜けて価値が共有されたものだけに限られていたし、ある種の普遍性を強いられている部分もあるのではないだろうか。

この普遍性を強いられてというのは、本当はそんなことの意味はないと思うのだが映画「ジョーカー」にまつわる感想合戦の中で、やたらと作品と現代社会とやらを結び付けて語ろうとする向きがある方々がおり、おそらく実際そのように受け取れるギミックは仕組まれているのだと思う。ところが、ではヒットした映画がスターウオーズだねという場合いったいどう捉えるのだろう、またはマーベルヒーローがドンパチしまくる映画をもってしてどんな現代社会とのつながりや社会性があるのだろうか。まったくもって理解しかねる。

市井の人がその日常におけるフラストレーションやストレスによって抑圧され、それがいよいよ爆発してしまうことを描く映画は名作ガチな気がするが、真っ先思い出したのはこちらのマイケル・ダグラス主演のぶち切れサラリーマン映画「フォーリング・ダウン」これは1993年の映画である

続いて思い出されるのは若き日のロバート・デニーロ主演「タクシードライバー」これは1976年の映画だ。

確かにそれぞれ名作とされているというか、まあヒットはしているしなんといってもみんなが大好きな時代性や社会性、文化的背景が盛り込まれている。ただやはりそれはジャパンアズナンバーワン時代の経済戦争や文字通りのベトナム戦争の泥沼とその後など比較的大きな文脈のことが背景とされており、書割の解像度としては高いとは言えないと今は思う。

𒁀𒀊𒅋𒌋

カスター将軍を出してくるのが解像度の高さというのも変な話だとは思うが、私が感じたのはいつか水戸黄門がNetfilixで配信されて人気なることもあるのじゃないかという気持ちだったりする。結局のところどんな文化に接触して育って来たかというのがみんなの括りを規定するところがある。単に地理的要因や人種や性別ということではなく後天的な接触文化による影響は著しく大きいはずだ。その前提にたつなかで、Netfilixに代表されるさまざまな文化的サブスクリプションサービスは思いがけず文化的なハードル、垣根というものをゆっくりとしかし着実に崩すプラットフォームになるかもしれない。なるかもしれないが、同時に不安になるのは、世界の境界が薄まると見えてくる真実は思っていたほどバラ色じゃないことをきちんと受け入れられるかどうかだ。

エホバくだりて、かの人々の建つる街と塔を見たまえり。いざ我らくだり、かしこにて彼らの言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。ゆえにその名は、バベルと呼ばる
災いなるかなバビロン、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり、そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり




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