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2018年『人魚の眠る家』感想

2018年『人魚の眠る家』(監督/堤幸彦)鑑賞。

あらすじ

夫の浮気で別居状態にあった和昌と薫子の夫婦は、娘の瑞穂の有名私立小学校の受験が終わったら離婚するつもりでいた。
円満な関係をアピールするため、面接試験の予行演習を待っていたある日、薫子の母や妹たちとプールに行った瑞穂がプールの排水溝の網に指を突っ込んで抜けずに溺れてしまう。和昌と薫子は病院に駆けつけるが、集中治療室に運ばれた娘が脳死状態であることを告げられ医師から厳しい選択を迫られてしまう。
もう二度と目を覚まさない瑞穂の臓器を提供するかどうか。他人を思いやれる心優しい我が子を思い2人は一度は臓器提供を決断するが、最期の日、瑞穂の手がかすかに動くのを薫子は目撃してしまう。薫子は判断を覆し臓器提供を拒み、そこから心臓は動き続けるが眠り続ける瑞穂を家族の協力のもと介護しつづける。

Wikipedia『人魚の眠る家

さすが東野圭吾さん原作。
ここまでのあらすじを読んでもなお、まさか物語が更に飛んで行くとは。
立場の違いはあれど、要介護4の母を看ていたので愛する人を介護している最中の救いのなさと同時に絶対に治る、と信じて祈る気持ちが同居するこの状態は身につまされる。
薫子(篠原涼子さん)の気持ちは痛いほど判る。そこは自分より人生を生きて来た親とは違う。自分よりも長く生きるはずの子供のこと。しかも事故。どうしたって助けてあげたいし、ついこの間までの元気な姿に戻してあげたいと思うだろう。

個人的に病気や事故を扱い、お涙頂戴の感動を売りにした物語は苦手だ。
もしも、この作品もそうであれば私は悪夢を見ていたことだろう。けれど様子が違う。ミステリーであり、ホラーであり、最終的には家族の愛の物語だった。西島さんが演じる薫子の夫、和昌はIT系機器メーカーの社長で脳死の娘のためになれば、とBMI技術を研究する星野(坂口健太郎さん)に協力を依頼する。ここからすべてが動き出して行く。

さっきまで健康だった我が子が事故で脳死になる。離婚しかけてた夫婦は保留になる。しかし介護はきつい。本人は眠った状態だが生きる上で必要な成長のすべてを周囲が操る。それがどんなに大切であっても過酷なものであるか。
当然、犠牲だってある。そのひとりが最新技術を研究し、その成果を社長に取り上げてもらうため日夜努力を惜しまない星野だ。自分の技術が認可されると言う興奮と同時に、ここでもまた枝分かれするように恋人との時間が犠牲になる。更に薫子は弟の入学式などに動かない瑞穂を連れて行く。周囲は意識がなく、ただ機械で動くだけの瑞穂を薄気味悪く感じてしまう。

人形のような状態を持続させることは体力と技術と何より介護人数が必要だ。途中、あまりにも「心臓は動いているのだから」と言う部分に常軌を逸したように希望を信じる辺り、薫子の気が触れたように見えてしまった。

けれど、ラストは現在の人としての在り方があり、神の領域にまでは届かせないところで終わる。これはどんなに現実の技術が使われていてもフィクションだ。そんなふうに納得させるしか心の痛みを取ることはできなかった。ただ、フィクションならではの素晴らしいシーンも用意されている。そこは東野圭吾先生。どこかしら救いはある。

人は物理的に動いたり、感情を露わにしたりするが、それだけじゃない部分でも生きている。それはいつでも誰もが感じようと思えば感じられるもの。第六感、と言う感覚。人間の心を救うためには、そのように化学では証明できない物もまた必要なのだと思う。幻覚もまた人間を救うもので、薫子を納得させるものでもあった。人魚が永遠の眠りについた時、瞳を開けるものもまた存在する。素晴らしい作品でした。

上画像では切れてしまったけれどポスター全体像。
こちらは全貌が明かされる前のティザーポスター。

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