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中3の夏、走りながら音のない世界に入った話。

世界を攪乱させながら、東京オリンピックが始まりました。世界大会では異例の無観客での開催です。

7年前まで私は陸上競技をしていたのですが、長距離選手であった友人はロードレースとトラックレースに関わらず、どこで誰が応援してくれたかをはっきり覚えていて、レース後に感謝を伝えられることもありました。

しかし、短距離選手であった私は、思い返してみるとレース中に声援に耳をかたむけることがあったかよく覚えていません。

プロ野球選手やサッカー選手が無観客を経験し、「声援があることのありがたみを知った」とよく言葉にされているのを耳にしますが、一体、短距離選手にとって「声援」とはどれほどのありがたみがあるのでしょうか。このご時世に現役に戻ることのない私にはもはや分かりません。

スポーツ×音の話題から展開すると、音のない空間と音のない世界の話をしようと思います。前者は私の好きな空間、後者は私が1度だけ経験したことです。

私の現役時代のいつの時代でもいいのですが、当時はもちろんながら無観客という言葉が誰一人の頭にもなかったわけですから、私の地元の小さな競技場でも大きな大会になればなるほど、観客席は多くの部員と保護者で埋まります。

陸上競技はその名の通り、同時間帯にトラック&フィールドで「走跳投」の種目が行われています。それゆえ、あちらこちらで悲鳴のような歓声や強豪校による大合唱の声援が聞こえてきます。

全国大会となると、予選、準決勝、決勝が全て別日に行われることがありますが、県大会だと2日、市内の大会だと一日で全種目の予選から決勝まで行われることもあり、他競技と違い、分刻みのスケジュールで選手は調整します。

そんな一日も、刻々と空が紅く変わっていき、夏の日差しに熱された空気が少し冷たくなったと感じる頃、短距離選手にとっては特別な時間がやってきます。

そう、" 決勝 "です。

陸上競技の目玉といえる100mの決勝はその日のトリを務めます。あちらこちらに散らばっていた部員や観客はメイン側の客席に集まってきます。部員は学校別にまとまりを作り、競技を終えた選手もそこに加わります。

その舞台に立つ8人の選手以外は皆、観客席にいるわけです。

同じ学校の選手に声援を送る声が会場に溢れますが、アナウンスによって選手の紹介が終わると、今までそこにあった大きな音たちはピタっと止むのです。いちについての声からピストルの音が鳴るまでの約30秒間は、自分の心臓の音が聞こえてくるかのような静寂に包まれます。

砂漠の真ん中で横たわり、空を見上げて目を瞑る。私はそんな経験をしたことはありませんが、それが気持ちいいということは、とても分かるような気がします。これが私の好きな音のない空間です。

音のない世界への入り口は、極度の集中状態。いわゆる" ゾーン "というものです。私が中学3年生の時の通信陸上県大会。標準記録を突破すると全国大会への出場権を得る大会です。

私は低身長ながら、後半に伸びるタイプの選手でした。県大会の決勝に残れるようになったのはこの年からで、2年生まではどの大会が記録会で、どの大会が先に繋がる大会かも把握していないくらいで、周りからするとダークホース的存在であったようです。

そんな私には決勝に一番の力を発揮するための戦略などあるわけもなく、予選から全力疾走。結論からいうと決勝は3位で入賞しましたが、標準記録を突破したのは準決勝でした。

この準決勝の一番のライバルは、隣のレーンのA君。A君は前半型の選手で、ひとつ前の大会ではスタートして2,3歩目にして大きく引き離され、私はそれを強く意識してしまい散々な記録を出してしまいました。

私は苦手意識を持つと萎縮をしてしまう質で、負けん気もあまり強くなく、なぜ勝負事をやっていたのか、今となっては疑問が残る程です。

全国大会がかかる大会ということで、いつもとは違う異様な空気の中でピストルが鳴り響きました。その音とともに、私の目にはA君の背中が映ります。普通ならば、たった11秒の時間の中で、走りながら多くの事は考えません。

私は、感覚では10mは引き離されたと感じながらも、人生で唯一" 音のない世界 "に入りました。遠くにA君の背中が見える中、私はとても冷静でした。そして私はこう思いました。

「抜ける」

こんなに闘争心のない私に、なにがそう思わせたのかは分かりませんが、そう思うとぐんぐんと距離を縮め、ゴールの白線1歩手前でA君を抜かしました。

ゴールしたその時は、興奮であたりがどのように反応していたかは覚えていませんが、驚きのあまりビデオを落とした父親が撮影していた動画では、「おぉ…!」や「きゃー!」などの声にならない歓声とともに大きな拍手が記録されていました。

私のこれからの人生に、この" ゾーン "というものに入ることはもはやないでしょう。私はその競技上、11秒しかそこに入っていませんでしたが、無音に包まれたその世界は、30秒も60秒もあったのではないかと思うくらい、冷静に状況を察することができる、とてもとても長い時間でした。

いつか、この経験を文字に起こしたいと思っていました。あれから10年が経ちます。当時はあったであろう闘争心が消失していく中、この時のことはこれから長い時間が経とうとも忘れないと思います。

東京オリンピックが開催されている今、" ゾーン "に没入したアスリートを応援するとともに、スポーツ×音という視点からスポーツに新たな発見を求めてはいかがでしょうか。

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