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デジタルとアナログと、kintoneと。

*この記事はきったんさんのアドベントカレンダー企画に参加しています。


「葉子、おが出ない。」

これは、いまは亡き父がはじめてわたしに送ったメールの一文です。受け取ったのは1998年のフィリピン。電気のない島に住んでいたわたしは、ネットに接続するために隣の島に渡らなければなりませんでした。荒天で船酔いしながら辿り着いた先で、ピーヒョロヒョロ…という音とともに届いたのがコレ。推測するところ『を』のタイピングができなかったことを伝えたかったのだと思います。12/2はそんな律儀だった父の誕生日。デジタルとアナログの間で苦悩していた父を思い出しながらnoteを綴ってみました。

デジタル、と。

フィリピンから帰国後、最初の就職先でのわたしのシゴトは会員名簿の管理。業務システムに保存されてる住所を頼りにハガキを出し会員の所在地を確認、戻ってきたハガキを元に基幹システムを更新していくのが週次の作業でした。2階にある基幹システムに入力した情報がどういう仕組みで1階の業務システムに反映されるかなんて、全く関心もなかった20代のわたし。むしろそんなことはどうでもよかったのに、早く帰りたくてテキパキ作業をこなしていたら、いつの間にか『パソコンが得意な人』になっていました。これが、わたしのデジタルなシゴトのはじまりです。

アナログ、と。

パソコンが得意な人という噂が広がったことで、わたしは最初の転職を果たします。転職先では、システムから出力した情報を関係先に提供するのが主なシゴトでした。やがて、提供相手によってはグラフに加工することを望んでいたり、紙に印刷することを求めていたりとニーズの違いがあることがわかってきました。さらに印刷については、表紙を付けてホチキス留めまでするとたいそう喜ばれることを学びました。こうしたなかでもとにかく早く帰りたかったわたしは、手戻りがないように先回りしてテキパキ作業をこなし続けた結果、いつの間にか『相手のニーズがわかる人』になっていきました。

ところで、こうして2000年代初頭を振り返ると、デジタルを使いこせるだけではうまくやっていけないことがいま以上に多かったように思います。例えば、「メールで済ますなんてけしからん!」と怒るオジサンがいたり、メール文を印刷して顧客ごとにファイリングするよう指示するオバサンがいたりしました。心では「これって意味あるのかなぁ。」と思いながらも「でも人それぞれだよね。」と飲み込めたこと…つまりすべてはゴールを目指す上での単純なプロセスの違いだと腹落ちできたことが、きっとわたしを成長させてくれたのだと思います。

kintone、と。

そしていま、わたしは当時お世話になったオジサン・オバサンと同じ世代になりました。つい半年前に現れた新たなデジタルツール、それがkintoneです。思えば3年ほど前、メールと電話以外の業務連絡手段を知らなかったオバサンは、在宅ワークで導入された業務用チャットに衝撃を受けました。だから自分で作れるシステム=kintoneは、いくぶん心穏やかに受け入れることができたのです。ちょうど広報担当に職種替えしたばかりだったので、広報のシゴトもkintoneも同じ初心者マーク。『パソコンが得意』で『相手のニーズがわかる』オバサンは、早く作業を終わらせるためにkintoneで広報業務をスマートにしてみようと決意しました。このあたりのことは、所属先の公式noteに綴っているのでぜひ読んでもらえたらうれしいです。

さて、kintoneとのお付き合いが始まって半年がたった現在。オバサンたちはまだまだ手探り状態で、「kintoneでメンションしたから見てね。」とか「差し戻したからkintone確認してね。」というチャットや電話が飛び交っています。だから、新しいデジタルツールというだけで緊張してしまうオバサンにとっては、キンコミの「すごくなくてもいい。」という言葉は救世主の声のように心を穏やかにしてくれるのです。

デジタルとアナログの間でシゴトをしてきたわたしが、自信を持っていえることがひとつあります。それは、ピンチを救うのはいつの時代も人の優しさや気遣いだということ。おそらく、人っぽいデジタルが登場するまでこの傾向は変わらないように思えてなりません。そして、最新デジタルのkintoneには、人の優しさと気遣いを注入する隙間があるといまのところ確信しています。ゼロとイチの間にある無限の広がりをこれからも存分に楽しんでシゴトをしていきたいとわたしは思うのです。 

最後に。

素敵な機会を作ってくれたきったんさん、ありがとう🎅
お父さん、お誕生日おめでとう🍰
みなさんに、早めのメリークリスマス🎄

おしまい。



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