「自分らしい在り方」とは?波乱万丈人生を送るフリーライターに聞いてみた!
こんにちは。
旅の最中は景色よりも、行列のできている飲食店に目がいきがちな、すだです。
私はライティングや企業広報のお仕事をしながら、イベントの企画・司会などもしています。
先日、下記テーマのオンラインイベントを開催しました。
この記事はイベントの内容をまるっとまとめたものです。
・ライターという働き方に興味がある人
・自分の生き方に不安がある人
・現在の仕事に違和感を感じている人
そんな方に読んでいただけたらうれしいです!
イベントゲストの「中村洋太」さんとは?
中村洋太さんのプロフィール:
1987年、横須賀出身。早稲田大学創造理工学部を卒業後、海外添乗員と旅行情報誌の編集者を経て、2017年よりフリーライターに。
ダイヤモンド・オンラインや朝日新聞デジタルなどで執筆。これまで自転車で世界1万キロを旅したほか、クラフトビールを53杯注ぎながら東京〜京都間を徒歩で旅した「クラフトビール 東海道五十三注ぎ」なども。
現在はエッセイや紀行文を中心に書きつつ、駆け出しライター向けの「ライターコンサル」を運営している。2020年7月の開始から受講生は100名を超え、添削とコンサルを通して、活躍するプロライターを多数輩出中。
数々の大手メディアに寄稿する実力派ライター
――イベント登壇のお願いを受け入れていただき、うれしいです!早速ですが、中村さんは普段どんな活動を?
現在は旅行作家に憧れがあり、日本各地を頻繁に旅しながら、旅行中の出来事を記録しています。フリーライターとしてメディアに寄稿、原稿料をいただくほかライター育成のためのコンサルティングも100名以上に行っています。
――旅を記録をしながら、お仕事としてメディア寄稿もされ、ライター育成のコンサルも行っているんですね!
はい、それから副業でモデルの仕事も時々。
――モデル?
ライターとまったく関係ありませんが「PIXTA」というストックフォトサービスがあり、そこでモデルの仕事をしています。サムネイル画像として「PIXTA」の写真を使っているメディアも多いため、記事内の画像にたまに僕が写っていたりします。
一度「マイクロソフトのHPに中村さんの写真が使われていたよ」といわれたこともあります。打ち合わせしている写真なんですけど、人から聞いてびっくりしました(笑)
両親を安心させるためにした「自転車旅」の秘策
――中村さんは学生時代、自転車で旅をされたそうですね。
はい。大学3年のときですね。1年ではオーケストラサークルで、オーボエを吹いていたんですが、忙しいサークルで。大学3年生の春に辞めたので「残り2年は好きなことをやろう!」と。そこで自転車の旅に憧れがあったので地元・横須賀から、行ったことのない九州に行くことにしました。
――わー!自転車で九州……!
九州まで行ったらさらに一周して、フェリーで四国に渡り、西日本一周したいなと。ただそこまで長い一人旅は初めてなので両親が心配しましたね。父親からは「危ないからやめろ」といわれて。
――心配ですよ……。
そこで、安否確認がしやすいようにブログを開設することにしたんです。それまで僕は文章をほとんど書いていなかったんですが、旅の間は毎日アメブロで日記を書くことにして。それなら「あ、今ここにいるんだな」と確認できますよね。
――なるほど……!ご両親もブログを読めば、ある程度は様子が分かりますね(笑)
はい。ブログを書き始めるようになって分かったんですが、両親や友だち以外に、知らない人が読んでくれるようになったんですね。コメントで「いつも読んでます」といわれたりして。
知らない人が応援してくれることが単純に楽しかったし、うれしかった。1ヶ月毎日更新して、いつしかアクセスは1日300PVほどに。ブログの可能性を感じました。
――中村さんの旅を応援してくれる人がそんなにたくさん!
旅が終わったとき、ある女性からメッセージが届きました。「中村さんの自転車チャレンジを見ながら、私にも夢があったことを思い出しました。諦めていた夢に向かってもう一度頑張ろうと思います」と。
――心動かされた人がいたんですね。
最初は単純に驚きました。自転車でただ好きなことをやっていただけなのになぜ感動してもらえたり、感謝されたりするんだろう?と純粋に疑問で。
でも冷静に考えてみると、自分だって好きなことをやって生き生き活動している人を見ると、うれしく思ったり、楽しく感じたりしますよね。だから好きなことを一生懸命やっていれば、それだけで人に対して何か与えられるものがあるんだなと思いました。
ピンときたら「直接話を聞きにいく」
――西日本一周の旅を終えたあとは、何を?
今度はもっと大きなチャレンジがしたいと思い、2010年に自転車でヨーロッパ一周の旅を考えました。
――どこまで行くんですか。
海外には憧れがあったんです。元々自転車を始めたきっかけは高校1年生のときに見て衝撃を受けた「ツール・ド・フランス」。世界最高峰の自転車レースです。プロの選手たちが20日間、毎日200キロぐらい走るんですね。
「自転車で1日200キロも走れるんだ!」という驚きと、レースの様子をヘリコプターから映したときのブドウ畑やアルプスの美しい風景が本当に綺麗で……。いつか自分もヨーロッパを自転車で走りたいと思っていたんです。
――だからヨーロッパなんですね。ただ心配なのは……。
はい。お金がありませんでした。ヨーロッパ旅には100万円近いお金が必要です。アルバイトするには時間がかかるので、ほかに方法はないか考えた結果「スポンサー」を集めようと。
企画書をつくり、飛び込み営業して「若者の海外旅行離れを少しでも食い止めたい」と訴えながら「どうか協賛してください」とお願いしました。結果的に15社の企業協賛と300名からの個人協賛を集めることができて。
――ものすごいことをひと口にいわれた気がするんですが「スポンサー」の発想はどこから?
本で読みました。会社から援助を受けながら自転車で世界一周した方がいて、その方が出した本にたった一行「自力でスポンサーを集めた」と書いてあったんです。でも当時大学3年生だった僕は「旅の資金をスポンサーで集める」ということが純粋に分からなくて。
――私もよく分からないです。
それでその本を書いた方は企業に勤めていたので、就活生のふりをしてその会社の説明会に行き、著者の方に直接お会いして話を聞くことにしました。
説明会のあとに「実は自転車でヨーロッパを旅したいと思っていて、〇〇さんの本を読みました。今日はどうしてもアドバイスをいただきたくてやってきました」と正直に話したら、30分ぐらい時間をもらえて。そこで応援してもらえたことがきっかけで「やるぞ!」という気持ちになりました。
――すご……。中村さんは行動に躊躇がないですね……。
直接、人に聞くのがいいだろうと思って。
世界各地を巡る、海外添乗員へ
――突っ込みたいところ山ほどあるんですが、話を先に進めます。旅ブログを書くことをきっかけに書くことがおもしろくなり、旅と書くことを仕事にしたいと就職活動をして、旅行会社で海外添乗員として働くことになったんですよね。
はい。海外添乗員として、月1ペースで世界各地を訪れました。まだ行ったことのない国にも20人前後のお客さんを連れて案内することもあり、かなりハード。土日を費やして勉強しましたね。初めての場所を自信を持って紹介する難しさがありましたが、仕事として海外に行けるのは良かったですね。
――添乗員さんも、タフなお仕事なんですね。
あとは旅行情報誌を自社でつくっていたので、その編集部で原稿を書いたり、編集作業の仕事もしていました。今、ライターさん向けにコンサルをしていますが、文章添削などは当時からやっていましたね。
――その後、会社員からフリーライターになったそうですが、どんな経緯があったんですか?
その会社には6年ほどいたんですが、4年目ぐらいから「このままここにいてもいいんだろうか?」と思い始めました。
会社では、旅行の文章しか書けなかったんです。当時僕は人にインタビューすることに憧れがあったので、フリーライターになってインタビュー取材がしてみたかった。でもインタビュー経験のないまま独立しても仕事はないだろうし、食べていけないかもしれない。その怖さは、ずっとありました。
会社を辞める決心をさせてくれた100人の「自主インタビュー」
――中村さんでも、行動に起こせず不安な時期はあったんですね。
もちろんです。それで社会人5~6年目のとき、土日や平日夜の時間を使って自主的にいろんな人にインタビューする活動を始めました。インタビューで聞いた話をFacebookやブログで紹介して。大体100人以上にインタビューしましたね。
――自主インタビュー!すごい発想ですね。どんなふうに取材依頼をするんですか?
僕自身「こういう生き方をしたいのに、今現在はできていない」ことで悩んでいました。会社の外を見ると、好きなことを仕事にして輝いてる人たちがいる。そういう人たちに話を聞きたいと思ったんです。
話を聞くことで、自分のヒントにしたかったんですね。好きなことを仕事にするってどういうことなんだろう?と思っていたので「あなたのここに興味を持ちました。直接お話を伺わせていただけませんか?」と説明すると7~8割の方がOKしてくれました。
――どんな人にインタビューを?
世界一周した女性、茶道家、アクセサリー職人、メイクアップアーティスト……などなど。共通点は、その人らしさを出して好きなことをして生きている人たちです。
楽しそうに生きながらも、葛藤や悩みを乗り越えて今がある。そんな話を聞けたことが、会社を辞める勇気に繋がりました。今でも心に残っている時間です。僕がフリーライターになったとき、仕事を紹介してくれたのもその人たちでした。
フリーライターへの第一歩
――自主インタビュー活動で、フリーライターになる「気持ち的な準備」は整っていたと思うんですが、具体的な転機はあったんですか?
自主インタビューをして1年が過ぎたころ、あるベンチャー企業の社長さんから「うちの会社にインタビューメディアがあるので、中村さんに書いてほしい」といわれました。それが大きなきっかけでしたね。
原稿料は1本2万5000円。金額を聞いたとき、「会社を辞めても生きていけるかもしれない」と思い、その半年後に会社を辞めました。
――やってきたことが、そのままその先に繋がってる。いい連鎖が起きてますよね。
そうですね。やってきたことが、流れるようになったというか。僕はフリーランス6年目ですが、これまでは結構波乱万丈でした。病気になり半年間働けなくなったり、通帳残高1500円になってフリーランスを諦めかけたり。
そんなときにソフトバンクの新規事業戦略室の方に拾ってもらい、突然ビジネスメディアの副編集長になったり。大変なこともたくさんありましたが、なんとかフリーランスを続けています。
――そんなに波乱万丈だと「ある程度、安心感のある会社員に戻りたい」と思いなおしそうですけど……
僕は「自分の身に起きたことを書くこと」が好きで、楽しいんですね。ライターの仕事はどんなジャンルにも結びつけやすい。旅行が好きなら旅行のこと、食べ物が好きなら食のことを書けばいいし、あらゆるジャンルと書くことが結びつく。
僕の場合は好奇心が強く、一つのジャンルに絞りきれなくて。旅行も好きだし、人のインタビューも好き。何でもやりたいタイプだから、いろんな体験をして書くことに繋げることが自分に合っているのかなと思います。
新しい挑戦は、いつも怖い
――仕事をしていて楽しいときは、どんなときですか?
自分が書くことで、社会を大きく変えることは難しいかもしれません。でも「こういうのっておかしいよね」と考えさせるきっかけぐらいはつくれるかなって。そこに可能性を感じています。あとはたった1人でも「中村さんの記事読んで良かった!」「行動のきっかけになった!」とか、そんな感想をもらえたらうれしいです。
――自転車旅のとき、ブログにコメントやメッセージをもらったことが原点になっていそうですね。
そうですね。純粋に自分が好きなことを一生懸命に熱量高くやっていれば、きっと人を動かすことができると信じているし、ずっとそれだけでやってきました。
――反対にフリーライターをやっていて、大変だと感じたことはありますか?
稼がないと生活できないから、気が向かなくてもときには「やらなければならない仕事」がありますよね。僕は好き嫌いがはっきりしているので、内心では気が向かない仕事を我慢してやることが苦手です。その時間がつらいですね。フリーランスは特に収入が不安定なので、精神的にきついなと思うことは多々あります。
――収入の不安定さ。中村さんも不安に感じられてたんですね。
めちゃくちゃ不安です。でも不安定さを取らないと自由も取れない。仕方ない部分もあるかなと。
――中村さんの経歴を知ると「行動力のある、すごい人」だと感じますが、中村さんが書いたnoteを読むと、自分が抱く不安を中村さんも感じているのが分かり「自分と同じなんだ」と思えるんですよね。
僕は臆病な性格です。行動力があるといっていただける一方で、ためらうこともありますし、新しい挑戦はいつも怖くて、ほかの人が感じる悩みを自分も感じます。だからこそ正直に文章にすることで、救われる人もいるんじゃないかなって。「こんな自分でも行動を起こしたら、ここまでできたよ!」と、その過程を書くことで何かヒントを与えられたらと思うんです。
自分の中の「熱量」を感じる
――最後になりますが、中村さんが生きるうえで「大切にしていること」を教えてください。
ライターとして大切にしていることは「自分にしか書けない記事を書こう」ということ。「これって別に中村さんじゃなくても書けるよね」となると寂しいし、ちょっと悔しさもあります。いつも「これは自分にしか書けない」と思いながら、そう感じながら書きたい気持ちがありますね。
あとは「行動を起こさないといけない」と思っています。僕の場合、行動を起こして何かを経験すると、無性に書きたくなる(笑)その性格を利用するしかないと思っていて。「書かずにはいられない自分」をどうつくれるか?といつも考えていますね。
――「書かずにはいられない自分」を利用する、っておもしろいですね!
はい。なので今年は自己投資で日本各地を旅しながら、新しい発見を文章にすることを大切にしています。
――中村さんの文章を読んでいると「本当に素の言葉だなぁ」と感じるんですが、何か意識されているんでしょうか?
大学生のころからですが、僕は純粋な好奇心、素朴な疑問、心で感じた違和感。この3つと正直に向き合うことを大事にしています。そして熱量高く、シンプルにそのときやりたいと思ったことをやる。
ときには難しいこともあるけれど、心から「今、これがやりたい!」と思ったら、できる限り優先してできるように工夫して生きていきたいです。
――中村さんに、これほど行動力があるのは「行動すれば繋がる」成功体験みたいなものが、積みあがった結果なんでしょうか?
怖いけどやってみたい選択肢があったのに、無難な選択肢を選んでしまったことで、後悔した経験がたくさんあります。社会人になってからもその後悔は残っているので「次こそはチャレンジしよう!」と常に思っているんです。その積み重ねで、行動できている部分があるのかもしれません。
――後悔した経験があったんですね。
はい。でも後悔することが悪いわけではなく、後悔したことを自覚することが大事なのかなって。一度後悔を感じれば、次にチャンスがきたとき、選びたいものを選べる確率が高まるはずだから。
まとめ
自転車で世界を旅した中村洋太さんが 「フリーライター」になったワケ
というテーマで開催された同イベントで私が学んだこと。それは
「後悔は、次への行動につなげてくれる大事なもの」
ということ。そして
「人に伝える気持ちで、いろいろやってみるのもいいよね」
ということでした。
怖かったけど、やってみたらこんな感じだったよ!
小さなことも、大きなことも、そんなふうに行動できたら。
世界が少し広がるかもしれませんね。
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