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パーティイズオーバーだ!っだっだっだっだん

”それ”はいつからだったのか僕にもわからない。
たぶんずっと前からだったと思う。

”それ”がどうして起きたのか。それすら僕にはわからない。探せば納得してもらえそうな理由を並べられそうだけど、それは全てではない。

そして”それ”がいつ終わったのかもわからない。

家族とサザエさんを見ている時だったかもしれないし、CMで流れたアップテンポな曲を聴いた時かもしれないし、あなたのなかで爆ぜた時かもしれない。

”それ”は”悲しみを潤んだ絶望”だった。

成りたい姿がある。
それだと今は食べられないから、食べるためによそで働く。
そして子どもが寝たあと、机にむかって近づくためにもがく。

割り切って昼の仕事を適当にできればいいんだけど、そういう性格じゃないから、毎晩それなりにくたくたになってから机にむかう。

でも何も変わらない。嫌になるほど何も……。
二千を超える時間を積み上げても何も……変わらない。

眠たい夜に目をこすりながら待ち続けていた。
誰でもいいから「おうちを間違えました」でもいいからベルが鳴るのを待ってた。

そんな時に”悲しみを潤んだ絶望”は隙間から湿った風が通りぬけるようにすっと入ってきて、真っ暗な煙を吹き散らし、鉛のようにどてんと居座った。

続けることを諦めそうになった。
これまでの時間とこれからの時間を思うと眩暈がした。
細胞が不安定でみんながてんでばらばらの方角に行こうとするもんだから、ふらふらとよかれる場所を欲しがった。

だけど”悲しみを潤んだ絶望”をみる時間は終わった。
”それ”はいつ終わったのか、僕にもわからない。
いつのまにか”それ”がいなくなるようにできた。という言い方がいちばんしっくりくる。

だからまだ終わらない。
悲しみを楽しむ時間は終わった。
party is over.

続けても最後はきっと運次第なんだろう。
だけど続けなきゃ運に任すことすらできない。

これまでの二千時間で刻まれたものとこれからの膨大な日々に祈る。

いつもは知らんぷりしてるのに、こんなときだけお願いして神様ごめんなさいね。

僕は僕の将来を信じる。

続けることは信じることかな。
それがいちばんしっくりくる。

わっっかりにくい文章にお付き合い頂いて、ありがとうございました。

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