一生懸命に突っ走る長女
改めまして、こんばんは。
言葉で可能性を広げるメッセンジャー・ナリー∞です。
私は、佐賀の田舎で生まれた、動物占いはライオン、A型、長女です。
母は明るく、料理上手(でも嫁いですぐは料理を作れなかったんだそう)、お花とキャラクターものが大好きで、庭には四季折々の花々が咲いています。
中でも好きなのは、クリスマスローズです。
花粉を交配させて、楽しんでいます。
父は、末っ子長男、多分だけど学歴コンプレックスがあったようで、私にその思いをさせたくないと思っていたように感じます。言葉数少なめだけれど(最近はそんなことないなと思うので、子どもの頃の印象だったのかもしれません)、繊細でぶっきらぼうで、優しい大きな存在です。
何不自由なく、平々凡々のいわいる普通の家に生まれて育ちました。
その、あまりにも一般的な感じに、何もないなと、どこかコンプレックスさえ感じていたほどです。
何かを突き詰めた職人さんが大好物なのですが、当時は自分にないものを求めて、変人やマニアックな人を羨ましく思っていました。それほど何かに熱中できるってすごいなと。
母がアルバムにコメントを添えて書いてくれていたのですが、それを見ると
「家にいると活発だが、他所へ行ったらおとなしいですネ」「よく喋って、じっとしておけない子」とのこと。幼稚園の先生が、「ある子は自分中心でないとすぐ怒るけど、ミカちゃんが我慢している所が多いので仲良くやっている」と言っていたそうです。
小学生の頃の作文が出てきたので載せてみます。文章は淡々として幼いですが、
私のスピリット部分はすでに出来上がっていますね。
<小学校の通知表より>
1年生 お話をしっかり聞くことに努力したで賞
1日も休まずに学校に来たで賞
◎話のあらましを聞き取ることができる。
◎点や画などに気を付けて、丁寧に書くこどができる。
◎学校・家庭施設などの働きに関心を持っている。
◎自然の事柄を理解することができる。
◎身近な事柄の中から、自然の仕組みを考えることができる。
◎音楽の学習に喜んで参加しようとする。
◎用具を上手に使って、物を作ることができる。
◎作品に表したかったことを話すことができる。
◎基礎となる動きを身につけ、楽しく運動できる。
先生から 学習中、話の聞き方も真剣です。係の仕事や掃除も大変よく頑張っていました。自己主張が少なく、いつも引っ込みがちです。もっと本読みの時、声を張り上げて練習すると、学校でもすらっと発表できると思います。わかっていても、黙っていては伝達できません。
プリントや課題をよく読んで考えようという態度が見られます。
話の聞き方も上手です。
2年生 ◎言葉の読み書きができ、使い方がわかる。
◎事柄の順序をはっきりさせて、文章を書くことができる。
◎順序や場面の移り変わりをおさえて、聞くことができる。
◎形・点・画などに気を付けて、正しく書くことができる。
◎正しく表現したり、読み物を進んで読んだりしようとする。
◎働く人の様子や苦労について理解できる。
◎絵や図を活用することができる。
◎用語や記号の意味がわかる。
◎計算や量が観測ができる。
◎数の仕組みや、計算・図形の決まりに目をつけて、使ったり考えたり
できる。
◎道筋を立てて考え、処理することができる。
◎動物や植物の世話を喜んでしようとする。
◎歌声に気を付けて歌うことができる。
◎絵や粘土で豊かに表すことができる。
◎最後まで粘り強く取り組み、準備や後片付けができる。
先生から 大変素直で真面目です。勉強でも生活でも言われたことは、きちんと守り、忘れ物もなく、よく頑張っています。優しい性格で、多少遠慮しすぎる面があります。授業中、進んで質問したり、意見を言ったりすることができるようになると素晴らしいと思います。
真面目な性格で、何事にも一生懸命に取り組むことができました。それだけに自分から発言するようになってほしいと思います。
今学期は絵画で鶏を描く時、根気強く仕上げ、児童画展に入賞しました。最後までよく頑張りました。整頓係として、いつも、机・椅子・棚の整理に気を付けてくれました。
学習と遊びの区別がしっかりついていて、どの教科も意欲的に取り組むことができました。成績も安定しています。宿題や学習用具の忘れ物はなく、学習に対する心構えはできているようです。なんに対しても頑張り屋で努力しているので、今後もその努力を続けてほしいと思います。
3年生
先生から 積極的な学習態度で、自分の考えのもとに計画的に学習を進めています。ノートの整理の仕方にも工夫の跡が多く見られます。優しく、人あたりも良いので、皆んなから信頼されています。水泳も粘り強く頑張り、泳力を伸ばしていました。
目標に向かって精一杯努力を続けている姿には感心しています。学習面でも大きな成果を上げています。係活動でもリーダーシップを発揮し、皆んなの生活を豊かにするように気に掛けて行動していました。
何事にも意欲的に頑張っています。友人関係も円満に広がっていますので、今後の成長が楽しみです。
4年生
先生から 初めの頃はとても控え目だったのが、友達との関わりや授業態度に積極性が出てきました。班長になり、グループをまとめていく難しさを体験しながら随分しっかりしてきたようで、今後が楽しみです。
教師の言葉を素直に聞き入れ、よく努力しています。運動、学習全般に積極性な態度で臨み、力と自信をつけてきているようです。
復習ノートのまとめ方には感心しています。
班長として、班長会ではよく意見を出し、友達にもよく手を貸して、班をまとめていました。時々不機嫌な顔つきをするのが気になりました。無理に自分を押さえずに、気分の安定を図って積極的に振る舞ってほしいと思います。
5年生
先生から とっても明るく笑顔のよく似合う美香さんです。クラス全体が騒がしい時、「静かにしてください」と大きな声で注意してくれる場面を何度も見ました。中々勇気がいると思いますが、頼もしい限りです。係の仕事も着実にこなし、責任ある行動ができます。授業中は、よく話は聞いているのですが、自分の考えを発言することは少ないようです。自信を持って発表するよう励ましていきたいと思います。
図工での絵画やデザインの活躍は立派でした。やるべきことをきちんとできる点は良いのですが、今学期は授業中に死語が少々目立ちました。自分の気持ちを素直に表現できる美香さんです。大切にしてきたいと思います。
明るさとさっぱりした決断力…気持ちの良いものでした。反面、自分の感情を出しすぎて、友達に気を遣わせる場面もあったようです。本来、気配りのできる美香さんです。大きく伸びてほしいと思います。
6年生
先生より 青ブロックの副ブロック長に立候補してなり、6年生になってやる気を見せてくれました。ブロック集会では、たくさんの児童の前で自己紹介したり、応援歌のリードをしたりと、よく頑張ってくれました。友達に対しても優しくなりました。
2学期では、代表委員、応援団として大変だったと思います。代表委員会では、学級の意見をきちんと伝えながら、討議に加わったことは良い経験になったと思います。感情的に激しい部分も随分穏やかになってきたように思います。副ブロック長を一生懸命つとめ立派でした。
読みながら笑っちゃったのですが、大人しい私から、活動的な私への変化。
小学校の高学年の頃は、割と活発だったように記憶しています。
小学校の時に、ノートのまとめ方が上手だと、クラスのみんなに回覧して褒めらてたのを今でも覚えています。
この時の嬉しかった記憶が、編集者・ライターの道へと繋がっています。
「長女だから我慢しなさい」そう言われたことはないのですが、どこかで勝手に
空気を読んで、自分の立ち回りを考えていたように思います。
自分の気持ちよりも、他人の目や、友達との調和を重んじていたので、自分の気持ちがどう思っている?ということに気付くのが苦手だと思っていました。
例え思っていても、それを言葉にするのが下手だったのかもしれません。
(それで友達を困らせていたのは悪かなったと思います。だたマイナスな言葉を
言うことが逆に相手を不快にさせるのではという恐れがあったように感じています)
だからか、私は小学校の頃から日記を書くのが好きでした。
自分が思ったことを日記帳に綴っていたのです。時にはイラスト付きで。
しかも、昔から物語などを作るのが好きだったのを覚えています。
よくチラシの裏を使って、本の状態にして、イラスト付きの物語を書いていました。
そして、小学校の卒業文集には
君は、君だよ
と書いていました。
当時、SMAPのキムタクの大ファンで、TV「夢がMORIMORI」はかぶりつきで
見ていました。
たまたまSMAPのファンだったからかもしれませんが、
この頃から、自分が、自分らしくいることの大切さを感じていたように思います。
そして、中学生。
中学校・高校は、目立つグループでなく、大人しめの真面目なメンツのグループ。
母が社会のルールに反している人をすごく嫌っていたので、私はとても規律を大事にし、一生懸命、勉強や部活動に勤しんでいたと思います。
あまり幼少期の記憶のない私ですが、断片的に覚えていることはあります。
例えば、中学生?高校生?の頃、
合唱コンクールの練習をクラスでしていた時、
私は力いっぱい歌を歌っていました。
それを見たクライメイトが、「⚪︎⚪︎ちゃん、見て!」と笑いながらバカにされたのを今でも覚えています。
一生懸命することが、なんで悪いんだろう。
疑いもなく、私は自分のできること必死にやっているだけなのに、良かれと思って。
中学校の頃の英語の井出先生を凄く覚えています。
英語を学ぶのは、歌を習うように楽しくて、井出先生のサラサラストレート髪と、物怖じしない、かっこよさが好きでした。
<中学校の成績表より>
1年生 国語が1番得意、数学、音楽、技術・家庭も平均より◎
先生より 部活動は休まず参加し、頑張りました。漢字はよく書いて頑張っているのですが、授業中のおしゃべりが少し気になります。
友達のいい点も直した方がいい点も認め、お互いより良い関係づくりをしようと努力しました。
2年生 音楽はオール5!国語と数学・理科がオール4で、美術・保健体育・技術・家庭・英語も平均より◎
先生より 全ての教科に力を抜くことなくコツコツと努力することができた一学期でした。自分で計画的に学習することができています。この調子でさらに力を伸ばしていきたいものです。
コツコツと頑張っていることが、学習面でも成果として表れています。自分の力を信じて一歩一歩この調子で進むことができれば素晴らしいと思います。
卓球部員としても練習の成果が試合に発揮できています。
3年生 技術・家庭がオール5!数学・理科・美術・保健体育・英語も平均より◎先生より 中学生らしい真面目な生活ぶりは大変好感が持てます。部活動も熱心に取り組み中体連に向けて頑張っています。
誠実な人柄で、清掃活動など、丁寧でよく頑張ります。文化祭では、小道具のアイディアを出し合いながら上手に作っていました。冬休みは苦手な数学を中心に弱点を克服して行ってください。
卒業おめでとう!いつまでも「優しさ」を失わないでください。
学力は平均より、少し上といったところですかね。
大体10何番目、またはそれより前といったことろでした。
数学で96点、音楽98点、美術100点!?でそれぞれクラス1位のこともあったようです。全く覚えていませんが笑、真面目に頑張っていたと記憶しています。
ちょと画像が荒いですが、卒業文集には、
「By myself」と書いています。自分自身で。頭文字は小文字でしたが、HITOMIの歌にもありましたね。やっぱり、私であること、自分で行うことの大切さを一貫して感じていたんじゃないのかなと、今振り返ると感じます。
思えば昔から海外にも興味があり、
高校生の頃は、普通高の中でも新しく「国際文化コース」が設立された所に入りました。
当時は、自分が気になる国を選んで、その国について発表することや、地域の偉人について学んだことを覚えています。
成富兵庫茂保という人がいて、堤防を築いたとか。
(成富兵庫茂保が鍋島藩の家臣だと後から認識しました)。
大雪で、空港で待機した初めての海外・中国
空港で素敵な方にお会いする度に、心のシャッターでパチリと記憶に留めて、ノートに書き留めたり、どんな所が惹かれたのか書いたり、この時みたいに声をかけて一緒に写真撮影してもらったり。美しい人が大好物なんです。
今振り返ると、初めての海外は中国でした。
数年ぶりの大雪で、みんなで空港で待機した記憶があります。
万里の長城に行き、こんな昔にこんなにも長い城壁を建てていたなんて凄いなと
思ったり、水餃子が美味しかったなーという思い出がありました。
雪でとにかく寒かった!そんな印象でした。
現地のおばあちゃんと交流する時間が会って、生活をのぞかせていただいた
ことはとても興味深かったと記憶しています。
そして、昔から、女性初の⚪︎⚪︎というものに憧れを抱いていたように感じます。
大人しめな性格ながらも、希望や想いを奥底で感じていた私。
<高校の成績表より>
高校1年生 数学1・家庭が5、国語・生物・英語1・オーラル・コミュニケーション・中国語・LL演習が平均より◎
先生より 家庭クラブ副会長のお仕事、ご苦労様でした。他の先生も褒められていました。
高校2年生 数学2・Aが5、現代文・古典1・生物・保険・英語2・中国語・英語表現・地域研究が平均より◎
3年生の成績表はなかったです笑
そして、高校の卒業文集では
「結局は自分一人で決めることだけど、みんなの支えがあったからこそできた。
みんなに会えて本当に良かった」と綴っていました。
自分で選択して、開拓していく覚悟と孤独感があるからこそ、人とのつながりを
大事にしているのだと思います。
夢は叶わないこともあるよ
大学は、九州では、英語といえば、北九州大学の外国語学部が歴史があり、実践的な英語のクラスがあり第一希望でしたが、残念ながら夢叶わず、第二希望の
お嬢様高校で有名な女子大学の文学部英語学科へと入学しました。
今でも覚えているのですが、当時の高校担任の先生に「夢は叶わないこともあるんだよ」と言われて、憤りを感じたことを覚えています。
先生が悪いというわけでなく、きっと何気ない一言だったと思います。
私は、「心から本気で求めたものは叶う」と心底信じてきたので、
今はそうかもしれないけど、絶対に叶うのだと反骨心が芽生えました。
大学を選んだ本質は、海外で働きたいといういものでしたので、
大学を卒業後に、ご縁で韓国で働けて、本当にやりたいことはできるように
なっているのだなと体感しました。
ーーー後日、卒業文集の先生の文章を読んでみると
「物事は全て本質と状況を把握し、その中でのベストだと判断したことをやっていかなくてはいけない。自分の責任で自分で道を決めなさい。自分は人と違うんだ。人は人、そう思えれば他人が見えてくる。自分は自分、そう思えれば人を認めその違いに寛大になれるものだと思う」と記されていました。
先生は、点で見た時に思い通りにならないこともあると伝えたかったのだなと、
今となっては感じました。
こんなこともありました。
高校生の時に、学校内の掲示板で、「韓国でホームステイをする旅」というのが
クラスの掲示板で募集されているのを見た私は、仲良しの友達2人誘って応募したのです。
でも、見つけた私は当選せず、友達2人が当選したのでした。
後になって思えば、私はいずれ韓国に行けたので、あの時行けずとも行けるようになっていたのかなと理解しました。
学生ながらもチームで何かをやる楽しさを体感
妹に言わせると、姉の私は
「クソ真面目」でした笑
自分自身では、なんだか面白みにかけるなと、どこかで思っていたように、
自己否定が強かったように思います。
バイトは、コンビニなどでもしたのですが、1番印象に残って楽しかったのが、
結婚式場でのバイトでした。
晴れの日の舞台に携われるって、心躍るなーと思っていたのです。
初めは、バンケット(宴会場で飲食サービスを行うスタッフ)から始まり、
ラウンジ・親族紹介などまで行うようになりました。
今でこそ、ハウスウエディングは主流ですが、当時は珍しく、その走りのような
存在の会社でした。
立ち上げの正社員・営業スタッフの方々の熱意や、社長の理念の素晴らしさを肌で感じていました。
中でも楽しかったのは【ドンデン】。
週末、1日に2〜3件、1件目の結婚式が終わると正社員・バイト生のみんなで
力を合わせて、片付け、レイアウト変更、次の結婚式の準備をしていきます。
限られた時間に行うのは大変なのですが、リーダーの指示のもと、
力を合わせて作り上げていく感じはとてもワクワクするものでした。
力を合わせて創造する楽しさを初めて知った瞬間でした。
初海外!なんて小さい世界で生きてきたのだろう
二十歳の時に、日本語教師を副専攻で取得していました。
そのカリキュラムの一つに、アメリカ・ウィスコンシン州にてホームステイしながら学べる語学留学がありました。
迷わず私は行きたい!行く!と決め、両親に行かせてもらいました。
ウィスコンシンは、知らない方もいらっしゃると思いますが、五大湖の 2 つの湖に面した田舎街です。ウィスコンシン州はとても教育熱心な州でもあります。
初めて広大な土地を上から見下ろした時に、
「私はなんて小さい世界で生きてきたのだろう」「もっと色んな世界を見たい!」と思ったのを鮮明に覚えています。
当時お世話になったホストファミリーに、当時一緒に行ったクライメイトの家族も一緒に、いつか会いに行きたいなと思っています。
雄大な大学のキャンパスでバスケをしたこと、ホストファミリーと一緒にシカゴで食べた薄いピザがビックリするほど美味しかったこと、ホストファミリーのSARAがめちゃくちゃ可愛かったこと、年上のマシュは、地下室でバンドの練習をしていたこと。
庭が素敵だったこと、お父さんのTOMがクッキーを作ってくれたこと、
芝刈りの機械に挑戦したこと、
ホストファミリーにすぐに打ち解けられない時に、ママのスーが植物に水をやるふりをして部屋を見に来てくれたこと。
全部が新鮮で、刺激的で、とても楽しい時間でした。
平和を願って涙したジョンレノンのイマジン
私がアメリカを訪れたのは、2001年。
よりによって9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が起きた時に
アメリカ・ウィスコンシン州にいました。
TV越しに起きた事件は、あまりにも現実味がなく、
英語で詳細まで分からなかったので、とても不安な気持ちになったと記憶しています。
そして、ホームステイファミリーと別れる最終日に
参加者全員とホームステイファミリーのみんなで、両手を取り合って
ジョンレノンのイマジンを聴きながら、平和を願ったあの感覚は
今でも忘れません。
自然と涙が流れました。
なんであんなに悲しいことが起きなきゃいけないのか。
心から平和を願いました。
カナダ短期留学で色んな国の人と交流
カナダのトロントには2回ほど短期留学で行きました。メキシコ人、韓国、台湾など、色々な国の人と一緒に語学学校で学べたことはとてもいい刺激となりました。文化の違いを肌で感じた貴重な経験でした。
思えば父は独身の頃からMINOLTAを片手に、素人モデルさんみたいな人たちを撮影していたそうです。母は母で、私たち子どもが幼少期からキャノンのカメラ(当時はフィルム)で沢山撮影してくれていました。
今でも実家の居間に行くと、幼少期から大人になって子どもたちがお盆や正月に集まると写真を撮って、大きくして額縁に入れて飾ってくれています。
最近はいとこも大きくなって、あまり集まれていないので、もっぱら甥っ子の写真が多めです笑
こうして、家にあった、20冊以上ものアルバムやら、文集からを読んでみると、
両親はこうやって大切に成長の記録を撮ってくれていたのだなー、とか。
あの時の私はそんなことを感じていたのか、と色々な気づきがあってとても
面白かったです。
皆さんも、気になったら昔の写真を掘り出して見てみると、変わらないもの、
変わったことの気付きが沢山あると思いますよ。
それでは学生編はこのぐらいで結びます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?