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この短編小説を書いた時は、散歩に凝っていました。何か散歩をテーマに一つ書けないかなと思って書いたのがこれです🕖当時付き合っていた彼女がおりましてその彼女をイメージしながら書いています🙍‍♀️当時はもっと推敲すると良いかもと言うコメントを頂きました。

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店内の壁の一画に設置された棚の上に、ウォーキングシューズが並べられている。僕はその一つ一つを眺めて手に取ったりしながら、どのシューズがしっくりとくるか悩んでいた。シューズの色は茶色、黒色の革製で、シューズの底はしっかりとした溝が入り、歩き易いように軽めに出来ている。それぞれの靴にメーカー名が付してあり、値段は高いもので2万円を越えていた。
(少し高めだけれど、快適に歩ければ安い買い物だろう。)
僕は両手に別々のシューズを持って、シューズの重さを比べたりしたが、最終的に茶色の革製のウォーキングシューズを選び、それの入った箱をレジに持って行った。
「2万600円になります。箱はお要りになりますか。」
桃色に白の縦縞の入ったシャツを着て、髪を肩まで伸ばした若い女性の店員がウォーキングシューズを箱から取り出しながら聞いてきた。
「いや、要りません。」
僕はそう答えた。店員は、「分かりました。」と答えて袋にシューズを詰め始める。僕は財布から一万円札2枚と千円札1枚を取りだしてレジの前に置いた。袋にシューズを詰め終えた店員はお金を受け取り、レジを打ってレジの引き出しからお釣りを取りだすとレジ前に置いた。
「ありがとうございました。」
店員はにっこりと笑み浮かべて、頭を下げる。僕もそれに応じて軽く頭を下げた。そして、レジ前に置かれたお釣りを財布にいれると、ウォーキングシューズが入った袋を受けとり、靴屋の入り口をくぐって駐車しておいた車に向かった。
自宅に向かって車を運転しながら、僕は買ったばかりのウォーキングシューズの事を考えていた。
(今のシューズは古くなったから、捨ててもいいか。新しい靴を履くともっと歩き易くなるんじゃないかな。)
僕がウォーキングにこだわり出したのは、半年ほど前からだった。それまでも、車を使って移動するよりなるべく歩くようにしていたのだが、半年前に人間ドックの健診を受けた時、保険医に普段から運動を心がけて一日一万歩を目標に歩いて下さいと言われたのをきっかけに万歩計を買った。それ以来、万歩計を腰につけて出歩くようになり、一日どれくらい歩いたのかを気にする事が習慣になっている。気にするのが習慣になり始めると、歩く歩数が足りない時などは何とはない用事を見つけて、近所を歩くようになる。妻からも「あなたって、凝り性な所があるわよね。」と言われているが、ウォーキングシューズにこだわり始めたのも、そんな凝り性な僕の性格に起因するのかも知れない。歩くことが好きになり始めると、ウォーキングに歩き易さを求めるようになっていた。(仕事休みの日曜日の朝に買い物に出けたから、一旦家に帰って、新しいシューズを履いて午後からどこかに出かけようか。午後、妻は美容室に予約をとっていると言っていたから一人で出かける事になるかも知れないが、今日は街の方に行ってみよう。)そんな事を思いながら自宅に向かって車を運転した。

「ただいま。」
自宅のマンションの玄関で挨拶をして寝室に向かうと、寝室では紺色のワンピースを着て黒髪をまとめ上げた妻が、鏡を見ながら身支度を整えていた。
僕は、椅子に座って鏡を見つめている細身の妻に後ろから声をかける。
「ただいま。」
「お帰り。靴屋でウォーキングシューズ買ってきたんでしょ。いくらしたの?」
僕が声をかけると鏡を見ていた有子はこちらを振り返るやいなや、手を膝の上に置いて、ぱっと目を開きながら真っ先にウォーキングシューズの値段を聞いてきた。僕は、幾らかばつが悪そうに答える。「2万600円。少し高いけれど、長持ちするし履きやすいからいいよね?」
「うーん、少し高いかな。もう少し、気をつけて。今度は、散歩に凝りだしたみたいね。」
有子はやれやれと言った感じで答えた。2歳年下の有子とは結婚して7年目になる。お互い同じ職場で出会った職場結婚だが、子供がいない今のところは夫婦共働きのスタイルをとっている。家計の事は有子に任せており、有子が家計を取り仕切るのが我が家のスタイルだ。お互い望んではいるが、まだ子供はできなかった。結婚する前はそうではなかったのだが、結婚してから4~5年経つと、まるで母親のように僕の一挙一動にあれこれと口を挟むようになった。まだ子供の出来ない有子はそれを寂しがっていて、ひょっとしてそれが僕の言動に口を挟む原因となっているのかもしれない。以前、有子が子供が出来ないと言って寂しそうに泣き出した事があったが、妻に寂しい思いをさせている事を、僕も申し訳なく感じていた。
「今日は午後から、美容室だっけ?」僕は有子に尋ねた。
「その予定だったんだけど、少し前倒しで午前中からにしてもらったの。午後から大学時代の友達に会いたいから。」
「大学の時の友達?」
「そう、今、旦那さんと子供と一緒に海外の出張から帰って来てるんだって。あんまり会える機会がないから、会っておこうかなと思って。」
「久しぶりなんだから、会ってくれば。俺も、午後からは街に出かけてくるから。」
僕は有子に友達に会うことを促して、自分の午後の予定を告げる。
「どこに行くの?新しいシューズを買ったから、出かけたいんでしょうけど。でも、夕方までには帰って来て。」
有子は上目づかいに僕を見た。僕には、その目がなんとなく子供を見る母親の目に見えた。
「街を歩いて見たいんだ。神田とか、渋谷とかね。電車に乗って移動しながら、街を歩いてみるのが楽しいかもしれない。」
「街ブラしながら、ウィンドウショッピングか。それもいいかも知
れないね。写真でも撮ってきたら?」
有子も僕の話にのってき始めて、写真を撮る事をすすめる。
「それも面白いな。街の写真を撮る事にするよ。街をブラブラしながら、写真撮って、夕方には戻る。」
「うん、そうして。私はそろそろ出かけるけど、ご飯は冷蔵庫に昨日の残りが入ってるからそれを食べてて。後は、キチンと戸締りお願い。」
「はいはい、いってらっしゃい。久しぶりだから楽しんできなよ。」僕は有子にそう告げる。身支度を終えた有子は、ショッキングピンクのバックを手に取り、一度腰に手を当てると玄関に向かった。黒のヒールを履きながら、玄関に来た僕に声をかける。
「じゃあいつもの美容室によって、友達に会ってくるね。いってきます。夕方までには戻るから。」
「ああ、気をつけてな。」
僕は手を振って、有子を見送った。
有子を見送った後、リビングの時計を見ると、時計は11時15分前を指していた。もうしばらくしたら食事をして、出かける事ににしよう。僕はそう考えてしばらくリビングでテレビを見る事にした。
12時近くになって、冷蔵庫の中から有子が言っていた昨晩の残りものを取り出して昼食をとった。サラダを取り出して、コロッケをレンジで温めて食べた後、出かける為の準備に取り掛かった。
電気屋の健康器具コーナーで買った万歩計を身につけ、買ったばかりのウォーキングシューズの靴ひもを整えながら、雨や汚れ除けのスプレーをかける。天気予報では今日の天気は晴れで、降水確率は10%だから出かけるのに問題はないと思う。神田で古本屋を見て回った後、渋谷に行ってみよう。渋谷のスクランブル交差点は、外国人観光客に撮影スポットとして人気らしく、各々の目的を持った多くの人々のスクランブル交差点を整然と行き交う姿が、外国人の心を惹き付けると言うことをテレビで見たことがある。そう言われて見ると、確かにちょっと異世界にも似た不思議な光景かも知れない。そんな街の風景を写真に収めてみるのもいいだろう。
先ずは大宮駅から京浜東北線に乗って神田駅に向かった。神田は古本屋やら、楽器屋やらの店が多く、ちょこちょこと店に寄りながら歩くのには退屈しない。神田に着いて、神田の古書店街に向かって歩いて行くと幾つか古めいた古書店が目につき始める。僕は、スマートフォンをポケットから取り出して、古い書店が立ち並ぶ通りの写真を収めた。そして、幾つか目ぼしい書店を見つけると中に入って、棚に収められている本を眺めることにした。並んだ古本の中に古い絵画集や古地図等を見つけたが、ひょっとして掘り出し物としての価値があるものなのかなと思った。幾つかの古書店を回り、ギター等楽器を扱っている楽器屋を見て回った後、神田駅に戻り、こんどは山手線に乗って渋谷に向かう事にした。
渋谷駅に着きハチ公の銅像前に出ると、神田とはうって変った人の多さに少し酔ったような気分になった。辺りを見渡すと若い人が多いが、中には子供を連れた家族連れのような姿も見える。今日は、休みなので特に人通りが多いのかも知れない。向かいを見ると109のビルの下に目的のスクランブル交差点が見えた。外国人の姿はあまり見かけないが、信号が変わるのを待つ多くの人の姿見える。しばらくスクランブル交差点を眺めていると、歩行者信号が赤から青に変わると同時に、わっと人の群れが一斉に交差点を渡り始めた。なるほど、確かにこの雑多だが整然とした人の流れは、外国人から見ると異世界の出来毎に見えるのかも知れないなそう思いながらスクランブル交差点を渡る人の姿を写真に収める事にし、スマートフォンをポケットから取り出した。スマートフォンを取り出す時に万歩計を見るともう1万歩を越えていた。予定通り1万歩歩いた事に、少し安堵を覚えるとともに、2万歩ぐらい歩いて見ようかという気持ちにもなってきた。渋谷界隈を歩いたら、一度どこかで休憩しようかと思い渋谷の街を歩く事にした。
渋谷のセンター街を過ぎ、渋谷の公園通りの緩やかな坂を歩いていくと代々木公園がある。僕は、坂に沿って立ち並んだ店舗を眺めながら、代々木公園まで行こうと歩いた。代々木公園に着くと、渋谷の雑踏とはうって変わった別世界の森林が広がっている。僕は森林を眺めながら代々木公園の縁に沿ってゆっくりと歩く。時々、散歩であろう年配の夫婦や、子供を連れた家族連れとすれ違う。みんな、都会の雑踏を離れて一息着こうと代々木公園を訪れるのだろう。
ここも皇居と同じ様に都会のオアシスになっているのかと思った。
代々木公園を出た後、コーヒーショップに立ち寄った。コーヒーショップには客はまばらで、店の奥の席が空いていた。僕はそこに座ってアイスコーヒーを注文し、壁の時計を見ると時計は15時半を回っていた。今頃、有子は友達と会っているだろう。今から自宅に戻れば、17時過ぎごろに戻れる時間だ。今更ながら新しい靴を履いていた事が気になって、足に注意を向けてみたが、特に足に負担が懸る様子も無く足にフィットしている。
(やっぱり、品が良かったかな。)
僕は少し気分が良くなり、アイスコーヒーを飲み干すとそろそろ帰ろうかと思いコーヒーショップを出て渋谷の駅に戻る事にした。 渋谷の駅に戻り、山の手線で神田へと向かう元来たルートを引き返す。山の手線の中は比較的に込んでいて、吊革につかまり立ったまま移動となる。窓から外を見ると外は明るいが、日の光はやや斜めから刺していた。もうしばらくすると、この日の光も赤みがかった色を帯びてくるはずだ。
神田の駅に着くと、京浜東北線に乗り換えて今度は大宮まで移動する。京浜東北線は、山手線よりも比較的人は少なくシートに座る事ができた。このまま、大宮まで座って行くことができるだろう。万歩計をポケットから取り出して見てみると1万9千歩を越えていた。家に帰り着くころには2万歩を越えているはずだ。僕は、ふうと一呼吸した。
大宮の駅から降りて、家までは徒歩となる。大宮の駅から自宅マンションまでの約2キロメートルの道を歩く。僕と有子のマンションは、駅の近場の一画にありマンションの近くには他のマンションや住宅、公園などがあって住宅街となっている。駅の正面口を出て左にそれた通りが、僕のマンションに続く通りだ。山の手線に乗っている時にはまだ高かった日の光も、ややうす暗くなり始めて若干赤みがかった色を帯び始めていた。今日は、休日のせいかこの時間、住宅街に続くこの通りには人通りは無かった。平日ならば、この通りにパラパラと家へと帰宅する人の姿を見る事ができる。僕は、通りの左側の路地をまっすぐと歩いた。まっすぐ歩くと、左手に公園が見えてきた。それほど大きな公園では無いがちょっとした広場の中には砂場やブランコ、丸木で作られたジャングルジムに鉄棒が設置されていて、子供が遊ぶのには十分な広さと設備を備えている。公園の中を覗くと、小学1年生ぐらいの男の子と女の子が、二人で砂場の中で遊んでいた。ふと、公園の向かいの入り口から子供を呼ぶ女性の声がした。砂場でしゃがんでいた男の子がそちらを向いて立ちあがる。女性は、公園に入って砂場に近づくと何か女の子に向けて話をした後、男の子の手を引いて一緒に砂場を立ち去った。砂場を立ち去る時、男の子が女の子に手を振り、公園の中に女の子だけが残った。
公園の中に残された女の子を再び見た時、僕は少し不安な気持ちになった。今の時間、辺りが薄暗くなり始めた夕方。この時間帯の事を確か逢.魔.が.時.と言ったと思う。魑魅魍魎が動き始めるという時間帯だ。神.隠.し.なんてものは、田舎の言い伝えや都市伝説かなにかも知れないが、もしも人さらいやそんなものが起きるとすればこんな時間帯ではないだろうか。まさか神隠しなんてそんな事は迷信だろうと思いながらも、女の子がこの時間帯に人気のない公園に一人でいる事に一抹の不安を感じた。
そして、砂場にいる女の子に声を掛けようと思い公園の中に入って行くことにしたが、砂場に近づきながらふと思った。
(傍からみたら、夕方に小さな女の子に声を掛ける怪しいおじさんだな。反対に不審がられるかもしれない。)
それでも、女の子に声を掛けようと砂場に近づく事にした。砂場に近くづくと、人影に気が付いたのか背を向けてしゃがんでいた女の子がこちらを振り向いた。女の子はスカートの部分は黒く白の水玉が入ったベージュのワンピースを着ていて、髪は後ろでまとめていた。目を開いて、近づいてくる僕をじっと見つめている。僕は、女の子の警戒を解こうと柔らかく声を掛けた。
「こんばんは。お嬢ちゃん、もう暗くなってきたよ。早くお家に御帰りなさい。」
声を掛けられた女の子は、下を向いて考え込んでいるようなそぶりを見せた。
「お母さん、今日はまだ帰ってこないから外で遊んでいるの。」
「お仕事なのかい?」「今日は、お仕事の事で大切な用事があるから、遅くなるかもしれないって。」
「家には誰もいないのかい。お父さんは?」
「お父さんは遠くにいる。」
単身赴任なのか、離婚したのか女の子の家庭の事情は分からないが、今は母子家庭になっているようだ。
「お家は近くなの?」
女の子は、こくんとうなづいた。
僕は、このまま女の子を放って帰る事はできないと思い、母親が帰ってくるまで女の子と遊んであげることにした。
「そうか。それじゃあ、お母さんが帰ってくるまでここでおじさんと一緒に遊んでいようか。」
女の子は、上目づかいに僕を見ていたが、またこくんとうなづくと下を向いて砂場の砂をいじり始めた。あたりを見渡すと、この公園の中には、砂場から少し離れたところにブランコが設置してある。
「ブランコに乗ってみないかい。」僕は、女の子に促してみた。
「ブランコ?うん、いいよ。」
女の子は頷いて立ち上がり、手についた砂を払うとブランコに向かって駆けて行った。僕もそれに続く。一方のブランコに座った女の子がブランコを漕ぎ始めた傍で、僕ももう一方のブランコに乗った。女の子は座ったままで勢いをつけてブランコを漕ぐ。僕もゆっくりとブランコを漕ぎ始めた。
「おじさんのお家って、この近く?」
女の子がブランコを漕ぎながら聞いてきた。僕は答えた。
「ああ、近くだよ。もう少し行った先にマンションがあるんだけど、そこに奥さんと二人で住んでるよ。」
「結婚してるの?」
女の子はブランコを漕ぐ勢いを弱めて、こちらを見ながら聞いた。
「ああ、結婚してるよ。」
「そうなんだ。」
女の子は、頷いて答えた。
「僕は、柳田一郎って言うんだけど、お嬢ちゃんの名前はなんて言うの?」
「私は、森田綾子。」
「そうか、綾子ちゃんか。じゃあ、綾子ちゃんって呼ぶね。」
「うん。じゃあ私は、一郎おじちゃんでいい?」
「ああ、いいよ。」
僕と綾子ちゃんは、互いに頷きあった。
「綾子ちゃんは、今、小学生なのかい?」
「うん、一年生。」
「学校は楽しいかい?」
「うん、面白いよ。新しい友達もできたし、勉強も遊ぶのも楽しいよ。」
そう言うと、今度は綾子ちゃんはブランコの上に立って、大きくブランコを漕ぎ始めた。ブランコがキーコ、キーコと音を立てる。僕は、ブランコを止め、だらんと下に足を延ばしてブランコを漕ぐ綾子ちゃんに声をかけた。
「さっきの男の子は、学校のお友達かい?」
「うん、忠君は同じクラスの男の子だよ。」
「そうか。」
(学校では、楽しくやってそうだな。家庭環境が、母子家庭と言う事を除けば…。今は、母子家庭と言った家族の形態も増えてきているから、決して珍しい事ではないけれど。)
僕は綾子ちゃんの学校生活の事、家庭での生活の事を想像して、少し遠くに視線を向けながら、綾子ちゃんを見つめた。
夕陽の赤見がかった色が薄れ、あたりもさらに薄暗くなってきていた。視界も悪くなり始め、遠くを見る事も難しい。さっき心に浮かんだ神.隠.し.という言葉もこの時間に起こる出来事であれば、頷けるものだろう。ふとポケットのスマートフォンを見ると、LINEにメッセージが入っていた。有子からだった。
『遅いなあ(怒)どこにいるの?』18:40
有子からのメッセージに既読の記号を付けて、僕はメッセージを打ちこんだ。
『マンション近くの公園。小さな女の子が、母親が帰ってくるのを待っているから、心配で一緒にいる。』19:10
しばらくして、僕のメッセージに既読の記号が入った後、有子からメッセージが来た。
『本当?じゃあ、私もそこに行くから』有子からのメッセージを読んだ後、今はブランコの上に腰掛けて、ゆっくりとブランコを漕ぎ始めた綾子ちゃんに声をかけた。
「綾子ちゃん、僕の奥さんがここに来るって。」
「一郎おじちゃんの奥さん?」
「そう。」
この公園から、僕のマンションまでは遠くはない。しばらくすると、薄暗がりの中、公園の入口に白い服を着た有子が現れた。
「綾子ちゃん、僕の奥さんが来たよ。」
僕が声を掛けると、綾子ちゃんはブランコを降りて、立ったまま入口から僕らの方に歩いてくる有子の姿をじっと見つめた。
「お嬢ちゃん、こんばんは。」
僕らのいるブランコまで来た有子が、腰を屈めながら綾子ちゃんに声をかけた。
「こんばんは。」
綾子ちゃんは、頭をぺこりと下げた。
「お嬢ちゃんのお名前は?」
「お嬢ちゃんは、このおじちゃんと、お母さんが帰ってくるのを待っていたの?」
「お嬢ちゃんは、小学生かな?」有子は、矢継ぎ早に質問する。
「おいおい。この子は、綾子ちゃんって言って、今は小学一年生で、俺とお母さんの帰りを待っていたんだよ。」
僕が綾子ちゃんの代わりに答えると、綾子ちゃんはこくんと頷いた。有子は、にっこりとほほ笑みを浮かべて、
「そうなんだね。綾子ちゃんって、かわいい名前ね。」と嬉しそうに話した。
「ありがとう。」
綾子ちゃんも、にっこりと笑って答えた。
周囲を見渡すと、辺りはもう暗くなっていた。公園に備え付けられた街頭の白い灯り灯りが灯って、二人の顔の彫りを際立たせて見せた。
「ねえ、綾子ちゃんのお母さんってそろそろ帰ってきていないかな。」
有子がそう話して、時計を見てみると19:30近くを指していた。「うーん、そろそろ戻って来てるかもしれないな。心配してるかもしれないし。そろそろお母さん戻ってないかな?」僕は、綾子ちゃんに尋ねた。
「うん。分かんないけど、帰ってきてるかも。」
「綾子ちゃん。家まで行ってみるかい?」
「うん。」
「じゃあ。三人で行ってみるか。」
「そうね。行ってみましょう。」
有子も同意して頷いて、三人で綾子ちゃんの家まで行く事にした。 綾子ちゃんが先頭に立って、僕と有子がそれに続いた。公園を出て、公園脇の道を曲がる。綾子ちゃんの歩きは思ったよりも早く先頭をすたすたと歩いていく。僕も普段、歩き慣れているからすたすたと歩いた。一人、有子だけが徐々に遅れ始めたが、それでも遅れないようにと、手を大きく振りながら着いてきた。
「ふうふう、綾子ちゃん、歩くのが早いわね。」
路地の角を何度か曲がると、暗がりの中、電柱の街頭に照らされた二階建てのアパートが先に見えてきた。
「あそこの二階。」
先頭を歩いていた綾子ちゃんが立ち止まり、指さしながら言った。
「お母さん、帰っているかしら。」
「どうだろうな。綾子ちゃん、どうだい?」
「まだ電気がついてない。」
綾子ちゃんが、ぽつんと呟いた。
「綾子ちゃん、心配しなくてもお母さんちゃんと帰ってくるよ。」僕はそう言って、綾子ちゃんの頭に手を乗せた。
その時、僕らの真向かいから、小走りにこちらに向かって来る人影が見えた。近づいてくると人影は、眼鏡を掛けたズボン姿の女性だと分かった。
「ママ、お帰りなさい。」
綾子ちゃんが、女性に向かって走りだした。綾子ちゃんが女性の傍まで近づくと、女性は腰をかがめては綾子ちゃんを抱きしめた。
「ごめんね、綾子。仕事の帰りが遅くなってしまって。」
「うん、心配したよ。今まで、あのおじちゃん達と一緒に遊んでたの。」
「そうだったの。」綾子ちゃんが答えると女性は立ちあがって、こちらに向かって軽く頭を下げた。僕も軽く頭を下げて、有子を連れて女性と綾子ちゃんの傍まで歩いた。
「こんばんは、始めまして。この近くに住んでいます柳田と言います。こっちは僕の妻です。綾子ちゃんが、公園で一人で遊んでいるところを通りがかったのですが、夕方に一人にさせておくのが心配だったので、様子を見ながら一緒に遊んでいたんです。そして、家の近くまで一緒に来たのですが、ちょうど帰っていらっしゃったみたいで良かったです。」
「そうでしたか。この子がお世話になりました。どうもありがとうございます。今日、帰るのが普段よりも遅くなってしまって。」女性はそう言って頭を下げた。
「ほんとに、お帰りの時間とぴったりでしたね。綾子ちゃん良かったね。」
有子も綾子ちゃんに向かって話した。
「うん、ママが帰ってきてうれしい。一郎おじちゃん、おばちゃんありがとう。」
「それじゃあ、僕たちは帰ります。綾子ちゃんまたね。」
「じゃあね、綾子ちゃん。」
「ほんとうに、ありがとうございました。」
女性はまた頭を下げ、綾子ちゃんは僕らにバイバイと手を振った。僕と有子も手を振りながら、元来た道を引き返した。
元来た道を引き返しながら、僕と有子は黙って並んで歩いた。僕は何かを話そうと思うのだが、なかなか声にならなかった。そういう具合にしばらく歩きながら、そして有子がぽつんと呟いた。
「綾子ちゃん、可愛かったね。」
「ああ、そうだね。」
「綾子ちゃんの家は、母子家庭なのかな?」
「たぶんそうだと思うけど、分からないな。」
「明るい子だよね。」
「ああ、明るい子だったね。」
そう話すと、有子と僕はまた黙って歩いた。歩いているうちに、僕らのマンションが見えてきた。マンションが見えると、僕はおもむろに大きく口を開いた。
「有子さあ、ペットって欲しくないかい。」
「ペット?」
「犬とか、猫とか。」
「悪くはないと思うけど、世話が大変だよ。」
「だからいいんじゃないか。例えば、犬をつれて散歩なんて、楽しいと思う。今度、一緒にペットショップに見に行こう。」有子はちょっと迷ったような顔を見せたあと答えた。
「じゃあ、来週の休みにしようか。」
「ああ、そうしよう。」
僕はそう言って、ポケットの中の万歩計を取り出した。見ると万歩計の歩数は3万歩を越えていた。新しい靴を買った初日からこれだけ歩いたので、これからこの靴で歩くともっといいウォーキングが出来るかもしれないなと思った。 

(了)   



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