見出し画像

かつて好きだった人との思い出って美化されちゃうよねって話


今でも思い出すかつて好きだった人はいるだろうか。

僕はいる。かつて好きだった彼女は今どこで誰と
何を想うのだろうかと物思いにふける時がある。

そんな話を親友と酒を飲みつつ、
タバコの煙に包まれながら夜通し語り合った。

今回はその内容について書いていきたい。

思い出は美化される

何か切ない恋愛経験とかドラマのような青春の一夜を
過ごした事があるだろうか。

幸いなことに僕は何度かそういう経験があり、
やはりその時思い出を共有した相手に
どこか今でも惹かれてしまうのだ。

僕はこれを思い出の魔力と呼んでいる。

夏夜の公園や、寒空の下歩いたあの路地も
全て鮮明に残っている。

しかし実際冷静に考えると実は鮮明な記憶でなく
その時の要素だけがフワフワと残留しているのだ。

その残留している要素がロマンチックな記憶と
錯覚させ、隣にいた人に想いを募らすのだ。

簡単な言葉で言うと、いわゆる「エモい」とは
まさにこの事を指す言葉だろう

こういったエモい要素が多い記憶というのは
時が経つにつれて美化されていくのだ。


美化される条件


思い出が美化されるには一定の条件がある。
個人差があるが、僕個人的に確定しているのは

お互いプラトニックな関係である

これが一つ重要な条件だ。
お互いがプラトニックな関係であればある程
尊くそして高貴な記憶として残留する。

いわゆる甘酸っぱいとかほろ苦いとはこういった
関係である。

あとはたんまりエモい要素を内包していれば
それは記憶として美化される。


この思い出が美化される現象は当然恋人にも適応されるが、
恋人との記憶や思い出は時間を共有する頻度が高いので
更新されていく故に美化されにくい。

思い出が美化されやすいのは付き合う事はなかったけど
お互い好きだったとか、片想いだったとかそういう
恋愛として完成、確立されなかったものが主な対象となる。

大人になって同窓会で会ったかつての恋人や
昔好きだった人に胸震わすのはこの現象と言えるだろう。

さてもう一つは

物理的な距離の関係がある

しばらく会えないとか、
なかなか会えない距離にいる人には想いが募りやすい。
会う頻度が高いと美化されない。

先程の恋人と同じように更新されてしまうからだ。
(遠距離恋愛は例外的なことが多い)

この物理的な距離が一種大事であり、
なかなか会えない、が故に会いたい。
という心理状態が思い出の美化に拍車をかける。

会えない分かつての記憶を思い出す頻度が増すわけだが
その度に思い出は美化されていく。

綺麗な要素、いい部分だけが切り取られ
それが記憶を占領し始める。

こうして思い出の美化はされていくのだ。

男女の仲になった場合美化されないのか?

さて一つ疑問が浮かぶだろうが、
肉体的関係を築いた場合思い出は美化されないのか?
という疑問だ。

僕なりの答えを言うと

美化されない。

正しくは順番が大事なのだが、

好きだった→美化された→男女の仲になった

このパターンは一時的に成立するが、体を重ねる毎に
美化された思い出は薄れていくだろう。

その理由は後述する。

そして

好きだった→男女の仲になった→美化された

このパターンは成立しない。絶対に
男女の仲になってから美化されるのは、
肉体的な快楽の部分だけだ

要は「またヤりたいな」という感情はこの記事の
題材である美化された思い出に適応されない。

いわゆるこの記事で題材としている美化された記憶は
青春の1ページ的な思い出であって、
経験的な記憶ではない。

美化される思い出は「状況的なもの」であり
「瞬間的な一部分」であることが多い。

例えば遊園地に行ったという思い出
全部が美化されるのではなく、
最後に乗った観覧車で見た夜景と
それを眺める好きな人の横顔とか、
アイスクリーム食べながら見せた笑顔とか。
そういった部分的な要素が非常に美化されやすい。

故に肉体的関係を築いてしまった場合
美化される事はほぼないと考える。
(恋人の場合は例外である事は重ねて述べておく)


男女の違いって多分あるよねって話

この話を友人と話している時、
性別による捉え方の差は多少あるはずという結論が出た。

別に性別における差別をしているわけではない。
男女の感受性における区別の話である事を念頭に置いて
読んでもらいたい。

まず議題として上がったのは

肉体的関係を築いてしまった場合美化されないのは
男性の方がパターンとして多いのではないか

という事だ。

女性の場合は関係を持ってしまって以降
相手への思いはが強くなる事はしばしばあるようだが
男性の場合はどうだろうか

少なくとも僕と友人の議論の結果は
男子って好きな人に理想を押し付けがちな所ない?

という結論だった。

自分の好きな女性が男と簡単に身体の関係を
持って欲しくはない。中にはそれが興奮するという輩も
いるだろうが、純粋であって欲しいと想いがちな気がする

セフレや遊び相手にはそんな事到底思わないだろうが
恋心を寄せる人にはそう思う事があるはずだ。

故に自らその理想を壊すような事はなかなか
出来ない気がする
。というのが我々の答えだった。

簡単に男と寝るような人であって欲しくないという
なんとも我儘な願望が、無意識的に適応されてしまう。

男には本命とセフレの間に、
肉体関係のない第二の本命がいる。
故にセフレはNo.2ではなくNo.3以下なのである。

Twitterでかつてバズっていた内容だが、
まさにその通りだろう。

本気で恋心を寄せる人と肉体関係を持たない男は多い。
なぜなら理想を壊したくないのと何か美化された思い出
があるからなのかもしれない。

故に先程述べた、美化された後に肉体関係を築いても
継続しないのはこれである。

自ら相手に抱いていた理想を壊してしまい、かつての
記憶も色褪せてしまう。そんな身勝手が故に関係が
あっさりと終わってしまうこともしばしばあるだろう。

我々の議論の場に女性がいなかったが故
一個人の男性側の意見しか述べる事はできなかったが、
きっと女性は女性特有の傾向があると思う。

機会があれば男女の考え方の違いもまとめてみたい。


邦楽から学ぶ今回の題材


エモい記憶や経験がない方はいるはず。
だがこれは邦楽から学べる気がする。

例えばきのこ帝国の「クロノスタシス


あの歌詞にある
「今日だけは忘れてよ家まで帰る道」とか
気持ちを表すワンフレーズとしては分かりやすいだろう。

そもそも「コンビニで買った缶ビール片手に夜の散歩」
という状況がまさに美化される思い出の条件が詰まってる

他にも邦楽アーティストは今回の題材である
「美化された思い出」を曲にしているものが多い。

そこに理想や共感や「エモさ」を感じるのは
一種本能なのかもしれない。



結局美化された思い出とは何か。

結論を先に述べると風化した恋心とでも言おう。
ただ美化された思い出は決して良いものとは言えない。

必ずどこかで折り合いをつけなければいけない物だと
僕は考えている。

美化された思い出は、一つの記憶であり呪いでもある。
かつての関係と相手の今の関係は大きく変わり
理想と現実の乖離は、思い出が風化していればいるほど
大きな物になっている。

既に存在しない物に未練がましく
理想を押し付け続けるのは、結局のところ自分も相手も
傷つけてしまうのだ。

だから美化された思い出は程々に心に留め
いつか区切りをつけなければいけない物である事を
覚えておいてもらいたい。

これは僕と友人の実体験であり戒めなのだから
間違いないだろう。

written by ポロポロ

名前:ポロポロ
東京でなんとか生きてる24歳。
酒と映画が好き。カメラマンもしている。
仕事は教育系。
セミナーを開きたいと今日この頃思う。
noteは不安な夜に自分の気持ちを書き始めたのが
きっかけ。
モチベーション理論系の記事と独り言とたまーに
人付き合いについて書いている。

Twitter @ryunenkowakatta
Instagram  @chanry1152
E-mail photo.1152@icloud.com 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?