権利を放棄すること

最近、芸能人の政治的発言が話題になっていますね。わたしもそういったSNS上での発言から、問題意識を持つようなことは多々あります。テレビニュースはじっくりとは観ないので…SNSは偉大です。

芸能人の政治的発言は、特に若者に向けて効果絶大だと思います。わたしみたいにニュースを観ない人は多いので、SNSでの発言は目に入りやすいと思います。そうすることで、関心を持てます。

若者は政治に関心がないと言いますが、自分のことで手一杯で政治まで関心が及ばないんですよね。有権者になってわかりました。年を取れば取るほど余裕が出来、ニュースを日がな1日観て、否が応でも政治への関心を深めていくようになるのだと気づきました。

わたしは中学生の頃から社会科が好きで、公民の先生の考え方も大好きで、選挙への関心も人より強かったと思います。公民の先生のおかげで、有権者になったら絶対に選挙は欠かさないし、子供たちに政治参加したいと思ってもらえるように社会科の教師になろうと思っていました。(教えることがとても苦手ということに気づき、その夢は高校生になってから諦めました。)

高校生になり、日本史や世界史をよりじっくり学ぶようになると、いろいろな革命や政治運動が行われていたということを知りました。歴史が積み重なって今になっている、それは変わらない事実ですし、今も重なっていっています。

血を流すような革命を起こしてくれたおかげで、新たな権利を掴みとれた。大きな犠牲の上に成り立った尊い権利。これが何度も何度も繰り返される。革命前の当たり前は、悪者として、悪習として淘汰されていくこともある。当たり前は当たり前じゃなくなる。それが日本にも流れつき、欧米の先進国からは少し遅れて、日本の庶民たちにも尊い権利が与えられた。しかも、男女や貧富には関係なく。

それを今わたしは生まれながらにして享受できている。

どれだけ尊いことなのだろうか?
どれだけの血を流した後に生まれた権利なのか?
どれだけ努力して、どれだけ訴えて、今この権利が成り立っているのか?

わたしはいまどれだけありがたい環境にいるのだろうか。高校時代、何度も何度も思った。わたしが今持てる権利を持っていない時代に生まれたとしたら、革命や運動に乗れているだろうか?多分乗れてない。

そんな尊い権利を、生まれながらに持ち、最低限の暮らしを保障されている。ありがたすぎる。先人たちには頭が上がらない。戦ってくれたあなた方がいたから、いまこうして暮らしていける。

様々な人の苦労のもとにいまの権利がある。

当たり前は当たり前じゃなくなる。せっかく掴み取った権利も、行使しなくなれば、権利としてなくなるだろう。権利が当たり前じゃなくなるかもしれない。

政治に参加する権利を持ち合わせているのに全く参加しないのは、先人たちの努力を踏みにじる最低な行為だと思ってしまう。喉から手が出るほど、この権利を欲しかった人もいるだろうし、今現在欲しいと熱望している人も絶対にいるはずだ。この権利を放棄していいはずがない。

どんな考え方をするも、自由だと思う。たとえ下劣な考え方だとしても。間違っているとかは誰も決められない。当たり前は当たり前じゃないから。政治に参加せず、それ以前になにも考えていないことは大きな問題だ。

なにも考えていないところへ一石を投じるのが、インフルエンサーの投稿だと思う。そこから今無関心である有権者が興味を持ってなにか考えるようになる。それだけでとても有意義だと思う。

先人たちが苦労して勝ち得たものをいま私たちが手放してはいけない。

わたしもこれを機にもっと勉強して発信していこうと思う。

それもこれもインフルエンサーのおかげ。インフルエンサーも偉大だ。



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