質的研究の話(後編)

前回「質的研究の話(前編)」の続きです。

研究プロセスの非定向性の違い

【量的研究】
量的研究では、一般にデータ収集を完全に終えてからデータ分析を開始します。つまりデータ収集とデータ分析とは異なる2つの過程です。

【質的研究】
対して質的研究では、最初のデータを採取したら(例えば最初の一人のインタビューを終えたら)その内容を逐語、記録化し、すぐにその分析を開始します。さらに最後のデータの分析時までフォローアップインタビューなどでデータ採取を継続します。

つまり質的研究では、データ収集しながら分析しデータ分析が進んだら理論記述を試みます。質的研究ではこのように、データ採取、データ分析、理論記述はサイクリックなプロセスです。






交絡因子の扱いの違い

交絡因子とは調査対象外の因子のことです。
【量的研究】
量的研究では、交絡因子の影響を、除外基準の適用やマスキング(盲検化)などによって最大限排除します。また、未知の交絡因子の影響をランダムサンプリングによって均質化して排除しようとします。

【質的研究】
対して質的研究では、そのような要因を排除できないことがほとんどです。例えば、インタビュアーや回答者がどういう人間であるかをお互いに知らないようにしてインタビューをすることは不可能です。もしそういった要因を排除すると、得られる情報の豊かさとの間で相反関係が生じます。




認識論の違い

インタビューを例に説明します。まず量的・実証的研究の立場では「回答者は話すべき客観的体験や客観的知識を持っており、インタビュアーは中立的な立場でそれをそのまま引き出すべき」と考えます。量的研究のこのような認識論を客観主義的実在論と呼びます。

対して質的研究の立場では「回答者はインタビュアーが自分にとってどういう存在か、このインタビューが自分にとってどういう意味を持つかによって、意図的・無意図的に話す内容を変える」と考えます。つまり質的研究の立場では「言語化はインタビュアーと回答者とのつくりだす社会的関係や相互行為論的状況の上に初めて成立する」と考えます。質的研究のこのような認識論は社会的構成主義あるいは相互行為論と呼ばれます。

このように両者の認識論は異なっているため安易に併用すると、研究に問題を生じる場合があります。



サンプル量の違い

【量的研究】
量的・実証的研究の場合、必要なサンプル量つまりnは、研究デザインの段階で、統計学的な必要によって決まります。量的研究も質的研究も、究極的には一般性・普遍性のある知見を追究しており、両者はこの点で同じです。そして量的研究でその際に最も恐れるべきことは、個別の偏ったデータを拾い上げ、それを一般的・普遍的な特性だと誤認してしまうことです。そのため、適用する手続きに応じて十分なnが必要になります。

【質的研究】
対して質的研究は、非常に少ない人数のインタビューに基づくことがありn=1の研究でさえ立派に成立します。質的研究では一般性・普遍性のある知見を追究する際に、nを大きくすることで個別の偏りを拾いあげないようにしようという発想はありません。むしろ個別や具体を深く追究して深い意味を見い出すことで、それが深ければ深いほど一般性や普遍性のある知見になると考えます。

対象がたとえ1人でも、その問いと答えが深ければ、その対象1人に関してのみデータ収集を行っているのではなく、その背景にいる多くの人に関するデータ採取も同時に行っているのだと考えます。加えて、データの解釈を十分な文献の引用によって行うことで、多様な知見を統合した、より客観的な知見を生成することになります。これが、質的研究で個別的・具体的な追究を深く行うことを通して、一般性や普遍性を汲み上げることを可能にします。

なお質的な分析は、たとえ同じデータでも分析者によって分析結果は異なります。また同じ分析者が同じデータを分析しても、時期を経れば、同じ分析になるとは限りません。その点で質的な分析には再現性はありません。



量的研究と質的研究の併用

今日の研究では、個々の研究をよりよいものにするために、 量的研究をする際には質的な分析も同時に行うべきだとされることがあります。しかしこの際は注意が必要です。

まず、多くの研究参加者を対象とする「大規模な質的研究」では、客観性や実証性を志向しており、 量的研究と親和性が高いため、両手法を併用することにはあまり問題がありません。 しかし「小規模の質的研究」は、 深い解釈を目指すものが多く、社会的構成主義や相互行為論に、より強く依拠するため、量的研究との間で認識論の違いがあります。

例えば、量的研究では 「頻度」は重要な概念ですが、質的研究で追究するのは事実や行為ではなく「意味」です。頻度は数えられるし数えることは有益ですが、意味は数えられず、数える必要さえありません。

質的研究では、たった一度しか見い出されない概念でも、その包括性、象徴性、他の概念との関連性、事象や行為に対する説明力、 既知の重要な概念との強い関係性などによっては重要な概念だと評価します。



どんな質的研究をするか

質的研究は多様で大きな連続体を形成しています。実証主義的で客観主義的な研究もあれば、量的研究とは正反対の、対象に深い解釈を行う解釈学的な研究もあります。質的研究で重要なことは、個々の研究がどのような認識論に立ち、どの程度実証的で、どの程度解釈的なものであるのか、を見定めることです。


参考文献

・大谷尚、質的研究とは何か、薬学雑誌 137 (6)、 653-658、 2017
・寺下貴美、第7回 質的研究方法論~質的データを科学的に分析するために

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