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なぜ僕は書くのか

なぜ僕/私は書くのか。

これは文字を書く人たちは一度は自問自答したであろう問いであるが、意外と答えは人によってバラバラで面白い。

今回の記事でおよそ100記事目くらいになるので、節目として改めてこの質問に答えてみようと思う。

まず初めに過去に遡ってみようと思う。

小学生時代の時は、漢字を誰よりも綺麗に書くことがとにかく楽しかった。
皆さんも同じような漢字ドリルを使っていたかどうか定かではないが、すでに薄く書かれてる漢字のお手本の上から、漢字をひたすらなぞり、暗記していく漢字ドリルを使っていた。

僕は、その薄い文字の上から、ただただ
はみ出ないように注意深く丁寧に文字をなぞっていた。自分的には当時、文字を「書く」というよりかは、「描く」感覚でなぞっていた記憶がある。もちろん、絵も人よりはかなり得意な方であった。

ひたすら丁寧に文字を書いていたおかげで、よく先生が僕の漢字ドリルを見本にして、みんなに見せてくれたこともあった。

「皆さん、ゲンくんが書いてる漢字を目指して頑張りましょう!

小学生の時は、毎年担任の先生が違ったが、褒められる内容は毎年同じであった。

字を書くのは、この頃から好きで得意であったが、文章は別に人並み程度の文章で、作文コンクールとかは出していたものの、賞なんてものは取れたことは一度もなかった。
読書感想文とかも、好きか嫌いかで言ったら嫌いだったかもしれない。


中学校に進学してからは、漢字ドリルが無くなり、文章を読むことの方が増えた。たぶんこれは全国共通であろう。また、どんな授業でも感想や、要約を書くことを求められることが増えた。

体育ですら、「今日の授業の感想」や、音楽の歌のテストでは、1人1人みんなの前で歌わされ、「〇〇さんの歌の評価・感想」などなど、とにかくなんでも書かされる機会が多かった。

この時から、テキトーなことを速攻で空欄にパンパンに書き埋めるという能力を身につけた。すべて成績に関わってくるということを考慮して、体育の授業の感想文や、音楽の感想文などは、いかなる時も空欄をパンパンに、そして内容がありそうで全くないことをパンパンに書き埋めた。

体育の授業感想文には、どさくさに紛れて小さく「昨日の夜飯はカレーでした」とか全く関係のないことを書いて、行数を稼いでいた。ちなみにこれは当時とても仲の良かった、大野くんに教わった技術である。とてもタメになった。

中学時代は、こういった文章を書き上げる能力のおかげで、通知表の「関心・意欲・態度」の項目は毎回、最高評価であった。


高校に上がってからは、文章からは少し離れてしまった。というか、勉強から離れてしまったといっても過言ではない。

というのも、高校は部活をやるためにいったようなものなので、部活ばっかしていて勉強は全然やっていなかった。一応、文武両道を謳っていた学校であったが、僕はあまりできていなかったなあと少し後悔している。高校3年になってからは、ものすごい勢いで勉強し始めたけど…。(部活が終わりに近づいたからです。)

そして、晴れて大学生に。

電車で往復3時間くらい、通学にかかってしまうので、その時間を有益なものにしたいと考え、なるべく読書や、英語の勉強に通学時間を費やすようなクソ真面目な大学ライフを送っていた。

というわけで、本を読むのが好きになったのは、恥ずかしながら大学生になってからである。

電車の中でスマホばかりいじっているのも、なんだか勿体ないなあと思っていたのもあって、読書というのは最高の時間潰し+自己投資であることに気づいたのも、この頃である。

しかし、この頃は文章を「読む」という受動的な行為ばかりで、文章を「書く」という能動的創造的活動はまだしていなかった。

大学3年の8月になり、他の同級生たちがインターンに行き始め、就活でバタバタな中、僕はアメリカのカリフォルニア州に飛んだ。ずっと行きたかった交換留学である。いくばくか就活への不安はあったが、それ以上にアメリカ留学が夢であり、人生の中で一つの通過点としていたので、そっちの達成感やワクワクの方が大きかった。結果として、交換留学は自分にとって、訳がわからないくらい貴重な財産となった。(いやなんやねんそれって感じですよね。笑)

行かせてくれた親に心底、感謝している。

結果的に、新型コロナウイルスのパンデミックの影響で、留学途中に強制帰国となってしまったが、それでも充実の留学ライフであった。

そして帰国後…

予想はしていたが、なんにもやる気が出なくなってしまったのである。

ただひたすら、ぼーーっとしていた。

これは高校の部活引退後もなったので、久々の感覚であったが、おそらく軽度の燃え尽き症候群であったと思う。就活にも全然身が入らず、ひとまず自分自身を見つめ直す期間として休学を1年間することに決めた。

そんな時に、高校時代の経験や僕の留学の経験を共有したいなあとふと思い、漠然と「書く」ことを始めた。この時はじめてnoteの存在を知り、暇さえあれば、ブログを書くことにした。

だから、一つ目の答えとしては、今までの経験や日常をただ記録するだけでなく、読者の皆様と共有、シェアして、まるで読者の方もそれを経験したかのように思ってもらいたくて書いているということになります。

ただ、これ以外にも理由があって、それは僕自身が「言葉」に助けられてきたことが多かったから、僕も僕の「言葉」や「文字」で誰かのことを笑わせたり、元気になってもらったり、ワクワクしてもらえたら最高だなあと思い、書いています。

僕の地元は、ものすごく前向きで明るい人が多く、「なんでも挑戦してみろ!」とか、「なんとかなるよ!」とかそういう口癖の人が多くて、そういった友達や先輩方のおかげで、今も毎日楽しく過ごすことができています。

読んだ本や言葉にも助かってきました。
ああ、このフレーズ刺さるなあ。とか、
うわ、この格言響くなあ。とか思いながら本を読んだり、言葉を読んだりしているし、その言葉たちのおかげで、前向きに生きることができていると確信しています。

音楽もそうです。特にMr.Childrenさんの歌にはどれだけ助かってきたことか、、、。
彼らの歌によって救われてきた人、元気になった人は数え切れないほどいると思います。
そのくらい考えさせられる歌詞、心に響く言葉を届けてくれます。


素敵な文章や言葉を届けてくれる方々に感謝、リスペクトをしているのもあり、僕もそういった人たちになりたい。そんな理由もあって、僕はいまもこうして書いています。

あとは、将来的にベストセラー作家になって、その印税で海外旅行に行くという汚い理由もありますが、これは好感度が下がりそうなので、書くのをやめようか迷いました。

まあ、いまの僕が書く理由はそんなところでしょうか。歳を取るにつれて、もっと深みのある面白い文章が書けたら幸いです。

Gen

これでまた珈琲豆が買えます。ありがとうございます。