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中編小説『浅草 トリプティック』(1-1)

第一章 山谷 迫村の場合

(一)

 迫村は、すしや通りのアーチを潜って、浅草六区の通りに出た。
 夕刻のこの時間、西友に夕餉の材料を買いにいく主婦、仕事帰りのサラリーマン、夕食の場を求める外国人観光客が通りを行き交い、昼間とは違う賑わいを見せる。その一方で、鈴なりに止められた自転車と建物の間にできた狭いスペースにホームレスが陣取り、缶ビールを飲みながら行き交う人々を呑気に眺めている。そこから少し距離を置いた場所には、派手なアイシャドウをした老婆がふらふらと揺れながら、薄くなった腹に手を当てて、自分を買ってくれる男を待っている。

 突然、右手から歓声が起こる。声の方に歩を進めると、鳥かごのようにフェンスで囲まれたコートの中で、二十代から三十代と思しき男たちが、ボールを追いかけていた。
「マーク、マーク」
 迫村でも知っている有名なサッカーチームのユニフォームを着て、タオルを頭に巻いた男が、ゴール前で、大きく手を振っている。ボールが男の足元に転がると、そのままゴールに体勢を向けて足を振りぬくが、うまくヒットせず、力ないボールがキーパーの腕の中に入る。

 迫村は喧騒から逃れるように、フットサルコートの斜向かいにある電気会館の建物に入った。薄暗い階段伝いに地下二階に下りる。
 痩身で髪を後ろに縛った店員が、迫村の姿をちらっと見ると、表情を変えずにタイプを指定してくださいと言う。迫村はリクライニングを指さし、インターネットを使用できるかと訊くと、店員はカウンターに置いたノートパソコンから顔を上げず、使えますと答えた。
 女はいるだろうか。
 昨日からずっと思考を占めてきた考えがここでも頭をもたげ、偏頭痛に似た鈍い痛みを覚える。

 リクライニングチェアーに腰を下ろし、胸ポケットからメガネを取り出しかける。ディスプレイが点灯し、日に焼けて黒くなった自分の手が浮かび上がる。ストロークの深いキーボードに人差し指を使って順に文字を打ち込んでいく。時間をかけて検索バーに「吉原 ソープ リヴィエラ」と入力しエンターを押した。店のホームページが開く。

 ミキ 出勤時間 17:00~ラスト

 今日も出勤しているな。「ランキング」をクリックすると、遅番で指名順位が3位になっている。良くないなあ、と思う。それまでずっと圏外だったのが、前月になって突然ランクインするようになった。指名順位が上がれば、彼女を指名する客の数が増えるだろう。そうすれば、また彼女の順位が上がりかねない。それは悪循環だった。
 今度は検索バーに「吉原 ソープ リヴィエラ ミキ」と入力する。ヒットした一覧に風俗のサイトへのリンクがあった。クリックすると、画面が遷移して、表情にモザイクがかかった女の腰から上を写した写真二枚が表示される。インタビューの記事だった。

 本日はリヴィエラのミキさんにインタビューしてきました。年齢のわりに大人の色香を発する彼女。入店してまだ間もないのに、すでに指名上位にいるその秘密を探ってみました。

編集者「おきれいですね」
ミキさん「ありがとうございます。お世辞でもうれしいです。アハハ」
編集者「いやいやそんなことないですよ。柴崎コウに似ていると言われません?」
ミキさん「一度お客さんに言われたことがあります」
編集者「ミキさんはどういった男性がタイプですか?」
ミキさん「がっちりした人が好きかな。でも、相性が良ければ、あまり見た目は気にしないです」
編集者「じゃ、ボクみたいなおじさんでもOK?」
ミキさん「そうですね。会いにきていただければ、いつでも大歓迎です。アハハ」
編集者「それはうれしいな。ところで、このお店で働く以前に風俗の経験はあったの?」
ミキさん「ないです。キャバクラでは働いていましたけど。そこでスカウトされて、この世界に入りました」
編集者「実際、入ってみてどうだった?」
ミキさん「初めのうちは、仕事の仕方がなかなか覚えられなく、大変でしたけど、慣れてくるととても楽しいです。いろんなお客さまと会えるので」
編集者「エッチも楽しい?」
ミキさん「アハハ。そうですね、楽しいです」
編集者「得意技とかあるの?」
ミキさん「フェラは気持ちが良いとよく言われます。自分では良く分からないのですけど」
編集者「プライベートでも練習している?」
ミキさん「いえ、プライベートは全然。ただこの世界に入る前に、エッチなDVDを買って勉強しました」
編集者「ソープもの?」
ミキさん「いえ、コスプレでした。看護婦さんとかファミレスの店員さんとか。アハハ」
編集者「看護婦さんの格好もよく似合いそう」
ミキさん「ありがとうございます」
編集者「ところで、ミキさんの初体験はいつですか?」
ミキさん「中学三年のときです」
編集者「相手は?」
ミキさん「当時付き合っていた彼氏です」
編集者「初めてセックスした感想は?」
ミキさん「とにかく痛かった」

 迫村は、意外に思った。ミキは人見知りが激しく、初対面の人間に対して、べらべらと話すような女ではないはずだった。自身の性について、あけすけに話す姿は想像できない。こういった側面もあるのか。足元に置いたズックからリングノートを取り出し、「ミキ 初体験は中学三年 当時付き合っていた彼氏」と書き込む。
 西友で買った蒸しパンの封を開き、ちぎって口に運ぶ。パーティションを挟んだ右隣で、カタカタとキーボードを激しく打ち込む音がする。わざと大きな音をさせて、食う。
 ノートを見返し、ミキについて知っていることを改めて整理する。

年齢 二四歳
出身 青森
経歴 高校卒業後に上京し、三年間昼間の仕事をする(本人曰く、事務系の仕事。上司のセクハラに嫌気がさして辞めた)。キャバクラで一年勤めて、その後、一度青森に帰郷している。一年経って再び上京し、キャバクラ、そしてソープランドに至っている。
好きな食べ物 ハンバーグ
嫌いな食べ物 納豆
好きな芸能人 佐藤浩一
コンプレックス 足に大きな痣がある。胸が小さい。本人は、美容整形を考えている。

 隣のパーティションの向こう側でキーを打つ音が、先ほどよりも大きくなっている。静かにしろ。迫村は控えめに呟いた。静かにしろ。徐々に声を高める。キーを打つ音は、迫村の呟きに反発するように、むしろその音は大きくなっていく。迫村はディスプレイが置かれた台を叩き、そのまま勢いよく右手の拳でパーティションを叩いた。キーボードを打つ音がぴたりと止んだ。
 ミキは、大学検定の受検を希望していた。根岸の図書館で学習している姿を見たことがある。それは偶然だった。平日の日中、図書館の閲覧室にいる人間は、限定される。仕事にあぶれた日雇いの連中、浪人生らしき青年、ノートに一心不乱にメモを取る主婦。その中で、ミキのような若い女の姿は目立った。迫村はミキの左後ろの席に座り、ミキのことを観察した。何やら分厚い本を開き、ペンで直接書き込みをしていたので、おや、資格試験でも受けるのかなと思った。そのとき、脇に置いていたのが大学検定試験の参考書だった。
 迫村はリュックを抱えて立ち上がった。隣のパーティションを覗くと、まだ十代と思しき女が上目遣いでこちらを睨みつけていた。迫村は目を逸らし、受付の方に向かった。
 通りは先ほどの賑やかさから一転して、人通りは疎らだった。この街は観光客に合わせて一日のリズムを刻む。観光客が捌ければ、街全体が店じまいだった。
 正面のパチンコ店だけが異質な光を放ち、周囲の闇とのコントラストを作り出している。誘蛾灯に寄せられる虫たちのように、時折客が吸い込まれていく。
 迫村は、そのままかさご通りに足を向けた。

1-2へ続く

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