「やればできる」の魔法
バスケットを教えていると、当然だが練習試合もよくする。そのなかで、子どもたちから学んだことがある。
それは、「彼らはやればできる」ということだ。いや、こう書くと語弊がある。正しくは「やればできる」という言葉には子どもを後押しする力があるということかもしれない。今日はこのことについて書いていく。
そもそも、私は「やればできる」という言葉があまり好きではなかった。
なぜなら、どこか嘘っぽく、そして、薄っぺらく聞こえた言葉だったからだ。「やればできる」は「今はできないけれど、本気を出したらできる」という意味に聞こえる。このことは、まだできていないことができるという可能性のなかに子どもたちを閉じ込めてしまうように感じていたのだ。
そういう意味で、私はこの言葉があまり得意ではなかった。しかし、先日の練習試合で考えさせられる場面に出会った。試合のなかでなかなかリバウンドに入ることができずに、失点が続いていた。私は怒って、檄をとばしていた。だが、あまり効果はなかった。そこで、発破をかけるつもりで、選手に「やればできるんだから、リバウンドがんばれ!」と伝えた。すると、それまで全くできていなかったリバウンドが少しずつできるようになっていったのだ。
これは、どういうことだろう。試合が終わってから考えさせられた。
私が思うにこの出来事は2つのことを表している。
1つは、「前向きな心の状態を作ることの大切さ」である。
怒られれば、「怒られる」という状態を避けるために行動を始める。つまり、罰を避けるために行動するということである。とすれば、今回の例であれば「怒られる→それを避けるためにリバウンドを頑張る→怒られなくなる→リバウンドは頑張らなくてもよい」となる。
こうなると、「リバウンドを頑張る」という行動の目的は「罰をさけるため」となる。怒られるという罰がなくなったらリバウンドを頑張る必要はなくなってしまうのだ。だから、行動に長期的な変化が起きにくくなってしまう。
それに対して「やればできるから、がんばれ」という言葉をかけられた場合はどうだろうか。子どもたちの「リバウンドを頑張る」という行動の目的は「自分がやればできることを証明するため」とか「チームの勝利のため」となるはずである。
「罰を避けるために頑張る」のと「自分のために頑張る」のでは、どちらのほうが行動に変化が起きやすいかは一目瞭然である。
2つ目は「大人の見るところが変わる」ということである。
怒っているときは、人間どこに注目しているかというと「できていないところ」である。今回の例であれば、「リバウンドができていない」に注目して怒っていることになる。
しかし、「やればできる」という言葉はその視点をずらしてくれる。
「やればできる」といった際は、「リバウンドができる未来」に注目している。だから、大人自身も前向きになれるのだ。そして、その前向きになった大人がさらに前向きな言葉を発すれば、子どもたちの行動はさらに前向きになり、どんどん良くなっていくはずだ。
このように、「やればできる」には不思議な力がある。
勘違いしてはいけないのは、「怒る」という手段がすべてにおいて悪いというわけではないということである。
大人や指導者、コーチはあらゆる手段を用いて、目の前の相手を成長させていくことが求められている。「怒る」はそのための、1つの手段としてアリだと思う。ただ、多用すると弊害が出る。そういう風にとらえておいたほうが良いコーチングができると感じている。
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