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可視化された井戸端会議と動物園

はじめに


 最近、というほど取り立てて最近の話でもないが、Twitter上で妻(女性)が旦那(男性)の不満や悪口を見ない日は無いのではないかという程に、現代日本のSNSは女性による男性に対する罵倒・嘲笑で溢れている。そしてそれが大抵の場合万バズというレベルで世の女性の共感をもって迎えられている訳である。

 そんな光景を目にするにつけ私などは他人(男)の悪口でよくもまあそんなに盛り上がれるもんだなあと思ってしまうのだが、逆に何故これほど盛り上がれるのかという視点から改めてこの「女性が男性の悪口で盛り上がる構図」について考えたとき、既視感に襲われたとともに直ぐにその正体に思い至った。

なるほどこれは井戸端会議の構図そのものなのだと。

 今回はそんなSNS上における女性たちの井戸端会議のあり方と、それに対する男性たちの反応について考察してみたいと思う。

可視化された井戸端会議という地獄絵図

 改めて説明するまでもないが、井戸端会議とは女性が集まって行う世間話を言う。かつて長屋の女性達が共同井戸に集まり水仕事をしながら世間話に興じたことが由来とされ、そこから転じて現代では主婦が家事の合間に、あるいはもっと広く女性が集まって行う世間話全般を井戸端会議と呼ぶようになっている。

 そこではどういったことが話されているのだろうか。現代の井戸端会議に関して、象印は以下のような調査を行っている。

1位:子どものこと 2位:とりとめのない話 3位:家事ときて4位に37.3%で夫・夫婦のことがランクインしている。

また、井戸端会議の実態を取材した記事によると、8割は旦那の愚痴合戦といった意見もあるようだ。

 いずれにせよ旦那(男性)への不満・愚痴は井戸端会議の大きなトピックの一つであり、だからこそ小説やドラマ等の作品或いは落語の噺のネタとしてしばしば登場するのだろう。

 ところでこの井戸端会議の中身を窺い知れる場所があるとしたらどうだろうか。そう、それこそが冒頭で述べたTwitterを始めとしたSNSというわけである。

 「知らぬが仏」という言葉があるように男性は「何か悪口を言われているらしいぞ」ということは認識していても、その中身が見えないという前提があったからこそ、また女性の方も「言わぬが花」とその悪口を全面的に家庭へ持ち込まないからこそ表面上男女の仲は波風が立たずに済んでいたのだし、悪口を言われているということすらも半ば自虐的な笑いのネタへと昇華出来ていた訳だ。

 ところがSNS全盛の現代においてこうした不文律はもはや存在していない。SNSという公共の場において呟かれた男性に対する愚痴は、時として本人が望むと望まざるとに拘らず万を超える"いいね"という共感とともに拡散されていく。この男性への愚痴とそれに対する女性の共感はまさに井戸端会議の構図そのものであり、今やその井戸端会議は全世界に向けて可視化されているのである。

 当然そのような一方的な物言いを目にした男性が、例え当人で無くても黙っている筈もない。カイジの言うように「それを口にしたら戦争だろうがっ・・・!」というやつである。クローズド・コミュニティであった井戸端会議が可視化された今、地獄の扉は既に開いてしまったのだ。

衆人環視の場で他人の悪口を言うということはつまりそういうことである

 次はこの可視化された井戸端会議という地獄絵図を目にした男性の反応を見ていこう。

檻の中の井戸端会議

 女性達が現実の男性をあげつらってTwitter上で愚痴や不満を垂れ流し、それが女性に共感・拡散されているのは上で述べた通りである。これに対して男性はどのような反応を見せているのだろうか。厳密に言えばTwitterにおいて投稿者の性別を窺い知ることはできないのだが、元のツイートが男性の悪口なのだからそれに対する男性の反応は当然ネガティブなものとなるだろう。

 結論から先に言ってしまうとそれが最も顕著に見られるのが引用ツイートだ。その理由についてTwitterにおける4つの機能の紹介とあわせて見ていこう。

Twitterの4つの機能

 Twitterには元のツイートに対する反応として”いいね”、リツイート、リプライ、引用ツイートの4つの機能が存在する。この中でまずボタンを押すだけの”いいね”は、文字通り好意的な意思表示をボタン一つで表すという機能以上のものではないので基本的にネガティブな反応とは関係がない。また、リツイートに関しても単に相手のツイートをそのまま拡散するという機能でしかない為、特に何かしらの感情がそこに入り込む余地は少ない。

 そしてリプライ。ツイート元の相手に対し返信を行うという直接的な行為である為、エネルギーを必要とする。それ故に良くも悪くも最も大きな感情が発せられている場所と言って良い。しかしその方向性はネガティブな反応だけではなく、それと同レベルのエネルギーでもって共感をツイート元に伝えようとする人もいるので、意外と賛否両論になりやすい場所でもある。

 これに対して自らのツイートを添えつつ元のツイートを拡散する引用ツイートは他の3つの機能とは性質を大きく異にする。何故なら付け加えたコメントの方向性によって、その拡散自体に意味や指向性を持たせることができるからだ。例えばポジティブなツイートとともに拡散すれば、その拡散されたツイートを見た人は元のツイートに対してもポジティブな印象を抱きやすくなるし、その逆もまた然りである。

 そしてそのツイートが引用元に対して批判的であればあるほど、その引用ツイートは晒し上げという側面が強くなってくる。つまり元ツイートに対し批判的なツイートとともに拡散することで「こんなにトンチキな事を言っている女がいる」ということを世間に広め、辱めることで対抗しようとという訳である。

井戸端会議という名の珍獣


 それはあたかも動物園やサファリパークにおいて、ガイドが「見てください、ここにはこんな珍獣がいますよ!」と喧伝して回っているかのようだ。そんな視点から引用ツイートを見てみると、その構図が私には何やら動物園の檻のように見えてくるのである。

檻の中の珍獣が世界に向けて晒される図

終わりに-男女大分断時代前夜-


 妻(女性)が旦那(男性)の悪口を呟きそれが多くの女性の共感とともに迎え入れられる光景。現代のSNS上で日常的に見られるこうした光景を私は可視化された井戸端会議と名付け、元来男性の見えない場所で行われてきたはずの井戸端会議が今やSNS上で可視化され世の男性の目に曝されるようになっている現状と、それに対する男性の反応についてここまで述べてきた。最後にこの解き放たれてしまったパンドラの箱がもたらす今後の影響について考察していきたい。

 考えられる最も大きな問題、それは言うまでもなく男女の分断である。この可視化された井戸端会議という存在に対し「たかが一人の愚痴じゃないか。何を大げさな」という反論もあるだろう。しかしツイート元は一人の愚痴であっても、それが万単位の共感を伴えばそれは立派な1つの女性による世論となる。

 しかもそれが多くの男性の反感を引き起こすとなれば、その先に待ち受けているのは男女間の更なる分断への道だけだ。そしてその萌芽は既に現れている。

 内閣府調査の令和4年度男女共同参画白書によると20代男性の約7割が配偶者、または恋人がおらず、約4割はデートの経験がないということだ。コスパ至上主義のこの世代にしてみれば恋愛やデートは「コスパの悪いもの」という認識なのだろう。恐らくこの「コスパの悪さ」の内訳には異性に対するリスクも多分に含まれている筈だ。そしてその割合は今後増加することはあっても減ることは無いだろう。

 SNSというものが全世界に向けて発信されるツールである以上、今現在繰り広げられているSNS上における男女間の対立が止むことは無い。つまり男女のさらなる分断はもはや不可逆的なものと言って良い。この対立が現実社会に具体性をもって表面化したとき、我が国の少子化は男女大分断時代というあらたなフェーズに突入するだろう。そしてそれは遠い未来の話ではない。近い将来そうした時代が確実に訪れると私は確信している。


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