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日本の銭湯文化から地域コミュニティを考える

今月末で閉店する銭湯へ行ってきた。通い慣れ、入り慣れた場所がなくなるのはとても寂しいものだ。私は明日3月13日より約1ヶ月ほど、北欧はノルウェーまでジャコウウシの撮影へ出かけるため、帰ってくるのは4月半ば、今日が最後の入浴チャンスというわけだ。そうして熱めの湯船に浸かっていて、ふと思いついたことがあり、こうして文章を綴っているわけだ。
海外撮影出発の前日に何をしているのかとも思うが、思いついてしまったものはどうしようもなく、書いていこうと思う。あくまでも私の思いつき、考えなので話半分に読んでいただければと思う。 2023.3.12

近所から銭湯がなくなる時

我が家の最寄りにある日帰り入浴施設「御料乃湯」と、その少し先にある銭湯「菊の湯」が今月末をもって閉店するらしいとの話を聞いたのは半月ほど前のことだった。
我が家は家賃4千円の貧乏住宅、当然ながら風呂はついておらず、件の浴場には3日に一回のペースで通っていた。

思い返してみれば近所の銭湯がなくなるのは人生で2度目である。1度目は故郷の実家の近所にあった「東郷湯」だ。家を出て1分とかからない場所にあり、大きな煙突からはいつも煙が昇っていた。暖簾をくぐると番台があり、瓶の牛乳があり、壁に描かれた富士山と、熱いお湯と、湯気に満ちていた。
いつ行っても近所の常連さんで賑わっており、それぞれが1日の汗と疲れを流しながら世間話をする、そういう空間だった。

朧げな記憶を頼りに当時のことを思い出しながら、今日で最後の入浴となる湯船に浸かっていると、以前誰かに聞いた話をふと思い出した。

「銭湯はある種の神社なんだよ」

銭湯にはなぜ富士山が描かれるのか

ゼミの教授だったか、はたまたラジオで聞いたのか、全く思い出せないが、最初にその話を聞いた時、なぜだか自分の中で腑に落ちるのを感じた。そして話を聞き自ら調べるうちに、それは確信めいたものへと変わっていった。

富士山という山は、日本人にとって特別な山だ。標高は3776mと日本で最も高く、美しい風貌をした独立峰だ。数多くの芸術作品の題材とされ、古くから神(カミ)の山、あるいはカミそのものとして、信仰の対象となってきた。

古来の日本人は、恵みと災いの双方をもたらし、深い自然が広がる山々に対し、畏怖の念と共に接していた。噴火や雪崩など時として大きな災害を引き起こす一方、清らかな水や木々、きのこや木の実、動物などの食物、温泉といった多くの恵みを人々に与えてきた。
当時の人々からすれば、その振る舞いはまさに、気まぐれなカミそのものだったはずだ。その結果として、山岳や巨木や巨石を神とする磐座信仰(古神道)が誕生するのは容易に想像がつく。

時に神社というものは本来、深い山々や山頂など、人の力の遠く及ばない場所に祭祀対象があるものだが、それを簡素化・簡易化したものが現在、私たちが暮らす地域に残る神社である。
神社というものは、里で暮らす人々の祈りを、山の奥深くにいる神に届ける一つの手段として作られたシステムなのだ。

以上を踏まえて話を銭湯に戻そう。
銭湯に描かれる富士山は、まさしく日本の原初の信仰対象である山々の象徴と言っていいだろう。その信仰対象たるシンボルを見ながら、地域の人々が集まり、豊かな水に感謝し、湯に浸かる。これはまさに人と神の本来の在り方に通じるものがあると考えられないだろうか。

そして信仰は移り変わった

日本人は無宗教だと言われる。確かに仏教が広く普及されているものの、キリスト教徒やイスラム教徒のような熱心さは日本人にはない。
そもそも宗教とは何か、人間にとってシステムとしての宗教はなんなのだろうか。

詳しい説明は今回省くが、宗教というシステムは、こと日本人においては、そこまで必要なかったのではないだろうか。

歴史的に見て、人類が宗教というシステムを必要としたのは、確固たるコミュニティを作り上げるためだと私は思う。他地域との争いや天災から生き延びるために、人々はコミュニティを作り、数の力で乗り越えようとした。その生物としての本能的な在り方をまとめるシステムとして、神を頂点とし、教会を結束点とする「宗教」という存在が必要だったのだ。

しかし私が思うに、日本における宗教は、神社で行われる祭りや共同浴場という「場」を借りて、他の国々より一足先に、カミそのものを信仰するものから、人同士の地域コミュニティを信仰するものへと移ろいだのではないだろうか。

共同浴場という場所では、人は最も無防備な姿で、他の人々と「時間と空間」を共有する。その場を成り立たせるために必要なのは、他者を信じ、自らを晒すこと。すなわちコミュニティへの信仰である。

大陸で隣り合った国同士が争い宗教的コミュニティを発達させていたころ、四方を海に囲まれているという地理的な優位性のもと、「宗教に対して熱心にならないと他国との争いに敗れる」という危機感を感じることなく、日本では着々と地域コミュニティへの信仰が形成されていったのだろう。

コミュニティが失われた日本

ところが近年、日本の地域コミュニティは消滅しつつある。

地域に特化したコミュニティゆえに、世界に開かれ、資本主義にさらされた途端、簡略化されたシステムとして資本の渦に引き寄せられ、飲み込まれてしまった。

大抵のことがネットで完結し、効率的で便利になった一方で、人と人との交流が減り、特に都市部において地域コミュニティはほとんど機能しておらず、その波は地方にも例外なく押し寄せている。

失われつつあるコミュニティの代替としてネット上におけるSNSなどの繋がりが普及しているが、相手の表情が見えず、文字に依存するコミュニケーションは問題も多く、場合によっては命を落とす人もいる。
曖昧な情報や一方的な意見が、さも真実のように一人歩きを始め、それをもとに多数が少数を攻撃するという、俯瞰して見ると単なるストレスの発散場所となっている面もある。

本来コミュニティとは共同体のことである。互いを存続させるために存在し、安心と癒しを提供し得るものだ。その点、昨今のSNSはコミュニティのひとつのツールには成り得ても、コミュニティそのものになることは難しいのではないだろうか。

今の時代にこそ、温かく地域に根ざした銭湯のようなコミュニティが日本には必要だと私は思うのだが、今の社会システムと資本主義が続く限りはそれは難しいのかもしれない。


とまあ、こんなことを考えながら、私にとって菊の湯最後の入浴を楽しんだのでした。

菊の湯さん、御料の湯さん、長い間お疲れ様でした。お世話になりました。

さて、次からはどこに行けばいいのやら。。。おわり


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