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2021.09.05 桜庭一樹「少女を埋める」をめぐって

 以下は、桜庭一樹「少女を埋める」(「文學界」第七十五巻 第九号,2021,9)に関する私の考えを述べたものである。引用は上記初出誌による。頁数は引用部末尾に明示。傍線部太線部は引用者によるもの。/は改行を、(…)は略を表す。

 桜庭一樹(以下桜庭)「少女を埋める」は「七年ぶりの母からの電話は、父の危篤を知らせるものだった。小説家が向き合う、故郷の記憶と家族の解体」(初出誌目次より)とあり、小説家の冬子が父の危篤から死、さらには母親や故郷との関係性を見つめた作品である。冬子の形象は桜庭と重なりあう部分が多く、私小説であると考えられる。

 問題となっているのは、鴻巣友季子(以下鴻巣)が朝日新聞「文芸時評」(2021,8/25,朝刊)に寄せた以下の文章である。

 語り手の直木賞作家「冬子」も故郷から逃げてきた、ある種のケア放棄者だ。地元を敬遠するようになった一因は神社宮司との結婚話にある。「神社の嫁になり、嫁の務めを果たしながら空き時間で小説を書け」という勧めに抗し、冬子は小説家のキャリアを選ぶが、家父長制社会で夫の看護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。弱弱介護の密室での出来事だ


 この評に対して桜庭は「わたしの原稿に〝介護中の虐待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません」「「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」のは一線を超えている」(ともにTwitterより)と抗議しているが、鴻巣は、

父が病気になる前にも、看護・介護中にもあったのだろう、そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです。(…)
小説は多様な「読み」にひらかれていると思います。また、作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです。(鴻巣のEvernoteより)

と釈明しているが、これは既に指摘されているように無理のある話である。

①作中から「介護中の虐待」は読み取れるのか

 この点に関しては既に指摘されているが、私なりの見解としてまとめる。結論からいうと「介護中の虐待」は読み取れない。さらには鴻巣の読みには看過しがたい加害性の論理を含んでいることを指摘したい。

 父が体調を崩してからの二十年、幸せだった、と母は噛みしめるようにしみじみと言った。驚いて声を飲み込んだ。/記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。/不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。(p28)
 いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。/内心、(覚えてたのか……)と思った。/自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかってるものなのだろうか。あの人もこの人も、みんな。/異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。(p43-44)

 鴻巣はEvernote上にて、上記の描写から「父が病気になる前にも、看護・介護中にもあったのだろう、そういう物語として、わたしは読みました」と述べている。「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね」の「虐め」が「家庭という密室で怒りの発作」と結びついた結果、そのような”解釈”を導き出したのだろう。
 これは明示されていないが、鴻巣はおそらく作中の以下の描写も念頭に置いている可能性がある。

 母は……。/ひどく偏りがあるだろうわたしの記憶では、だが。家庭という密室で子供に暴力をふるうこともあった。外部の人たちは、知らなかった。(p53)

 新聞記事上でも鴻巣は「弱弱介護の密室での出来事だ」と表現しているように「密室」という言葉を用いている。しかしながら、ここまで作中からの引用を並べても「介護中の虐待」は読み取れない。
 母は「家庭という密室で怒りの発作を抱えて」おり、「父は、こらえていた」。葬儀で母は父に「いっぱい虐めたね」と謝罪した、そこから「父が病気になる前にも、看護・介護中にもあったのだろう」(鴻巣)と推測するのは明らかな飛躍がある。
 ただの論理の飛躍ならまだしも、この論理には大きな加害性が含まれていると言わざるをえない。鴻巣の論理で言うならば、「A(加害者)はB(加害行為)をしていたのなら当然C(他の加害行為)もしていたはずだ」ということになる。BとCの間に連関はないはずなのに、あたかもそうであるように結びつけるのはAに対する別の加害行為である。「BをしているのだからAはCをしているに違いない」という思考はAへのヘイトにほかならない。当然「家庭という密室で怒りの発作」「子供に暴力をふるうこともあった」ならば、「父が病気になる前にも、看護・介護中にもあったのだろう」という論理はまかり通らないし、このような加害的な言説を断じて許してはならない。私が問題としているのは、鴻巣が陥っていると言わざるを得ない加害の論理だ。これはただの”誤読”とは別種の問題であり、単に読みや解釈の議論として落とし込むのは問題の矮小化である
 また、「読者に余白の解釈を(いっそう)ゆだねることになる」「小説は多様な「読み」にひらかれていると思います」と鴻巣は述べることはまさしく問題の矮小化だ。
 そもそも、他方では「誤読を含めて小説の解釈である」というような擁護も見られるが、その考えは有り得ない。誤読はどこまでいっても誤読である、曲解はどこまでいっても曲解にすぎない。残念ながらそれは正当な解釈ではない。そんな考えが許されるのであれば、小説など必要ではなくなってしまう。「誤読」や「曲解」に対する向き合い方は、「これも解釈だ!」と騒ぎ立てることではなく、自らの過ちを認め真摯にテキストに向き直ること以外にない。誤読や曲解は加害を生む可能性がある以上、読み手はより真摯に誠実にテキストを読まなければならない。これは自戒を込めて記す。
 さらには、これも指摘されていることだが「私小説」は「創作」なのだから「どんな解釈も許される」わけではない。「私小説」は事実か創作かという議論は難しい。しかしながら、「少女を埋める」の背後にはモデルとなった人物がいる以上、現実的な加害の可能性を考慮した発言が求められる。ある人はTwitterで「地方の閉ざされたコミュニティに暮らす年老いた人びとは、新聞に載った鴻巣さんの時評を読み「あの直木賞作家のお母さん、介護中の旦那さんを虐待してたらしい」というデマをあっという間に広げてしまうこと」を危惧しているがその通りだろう。小説を論じることは象牙の塔に籠ることではない。また、言うまでもないが、そのように考慮することが「表現の自由」を損なうのではないかという議論は不毛である。


②朝日新聞の記事の中で何が起きていたのか

 続いて、朝日新聞の記事上で何が起きていたかの分析である。ここから先は雑記である。
 結論から述べると、「理論に文学を当てはめようとしたこと」が原因であると考えられる。文芸時評のタイトルは「ケア労働と個人」であり、文中には「ケア」「ヤングケアラー」「弱弱介護」「ジェンダー」といった現在的な問題に触れられているが、文学はそれらを説明する材料(?)としか取り扱われていないという印象を受ける。
 私事であるが、大学と大学院で文学を研究するにあたって指導教授に一番怒られたのがこの「理論に文学を当てはめようとしたこと」なのだ。当時は学んだことを精一杯使おうとしているのに何故なんだ……とも思ったが徐々に分かってきたことがある。逆なのだ。「理論に文学を当てはめる」のではなく、「文学から理論を生み出す」ことが必要だったのだ。文学研究においては何よりテキストが先なのだ。考えてみれば「理論に文学を当てはめる」のって楽なのだ。何か深いことを言っているような気になれるから。しかし、それでは文学を扱う意味が損なわれてしまう。文学には理論に回収できない微細な描写が織り込まれており、「理論に文学を当てはめる」行為はその微細な部分を抜け落してしまう。作品が単純化されてしまう。「文学から理論を生み出しながらも、既存の理論を参照し、さらにそこから零れ落ちる微細な部分を見つめていく」ことが今の私の至った文学を読むという行為である。「ケアとジェンダー」の中に「少女を埋める」を当てはめることはできるかもしれないが、それは作品のもつ豊饒な描写を単純化してしまった。それどころか致命的な曲解が含まれてしまった。何重にも作品が「損なわれてしまう要素」が含まれており、作者としてこれは耐え難い苦痛だったのではないだろうか。


③「少女を埋める」を読む

 最後に私なりに桜庭一樹「少女を埋める」を読んでみようと思う。
「少女を埋める」は非常にアンビバレンツな感情や関係性の上に成り立っている小説である。ここでは特に母の描写に着目していきたい。

・母と父

 父が体調を崩してからの二十年、幸せだった、と母は噛みしめるようにしみじみと言った。驚いて声を飲み込んだ。/記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。/不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。(p28)
 いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。/内心、(覚えてたのか……)と思った。/自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかってるものなのだろうか。あの人もこの人も、みんな。/異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。(p43-44)

 再度引用する。冬子の目から見た母と父は「不仲だったころもあった」夫婦である。母の口からも「いっぱい虐めたね」と語られる。しかし、この作品に描かれているのはそのような不和だけではない。

 なぜこの土地にわたしは七年も帰ってこなかったのか、と考える。/世間の常識的には有り得ないことか。/そして、今戻った。母は一言も責めないし、わたしも母がしてくれることに必ず「ありがとう」と言うようにし、おそらく互いに気を遣っている。なぜかというと、おそらく二人とも父のことが好きで、父が大切なのだろう。(p16-17)
 自分としてはずっとそばで支えてきた母の気持ちを立てたく、母に向かって「お母さん、お父さんがなるべく苦しくないように……?」と聞くと、母もうんうんとうなずく。改めて先生に、むりな蘇生はしないという自分の意向を伝える。(p27)
 しばらくして、準備ができたと呼ばれ、病室に戻る。看護師さんによると、父の頭の下に吸水シートを敷き、髪にお湯をかけてシャンプーするという。入院生活で髪を洗えていないから、ということだろうか。母が「お父さん、気持ちいいね。あったかいね。よくこうして髪を洗ったねぇ、お父さん」と父の髪を洗っている。何か手伝う必要が出たときのため、傍で待機する。/この儀式は残された家族の心のケアのために考えられたのだろうか? 病院はここまでしてくれるのかと驚き、また感謝の気持ちを持つ。/シャンプーを終え、ドライヤーで乾かす。看護師さんと母が「髪を長く伸ばされてたんですね」「ええ。さいきんはずっと、長いのが好きで」と話している。亡くなってからも物体ではなく一人の人間として扱ってくれることに安堵する。(p31)
女性のほうが、通常は三途の川を渡る船賃の六文銭をお棺に入れるのだが、浄土真宗は入れないことになっているので、入れなくてよいかと聞く。無断で決められないと思い、母に電話する。母は高齢者ホームで祖母と会っているところで、「お金はないよりあったほうがいい。入れてもらって」と言うので、そのまま伝える。(p35)
 母がなぜ親戚に連絡したがらなかったか、急に理解できたように考えたのだった。/最後は父と二人きりでお別れしたかったのでは、と。(p48)

 特にシャンプーの描写からは、母と父の関係が決して「不仲」という一言では言いきれない部分が描かれている。そこには長年父を見つめ続けた母の視線が宿っている。紆余曲折はあったかもしれないが、「父が体調を崩してからの二十年、幸せだった」という母の言葉はシャンプーの場面からも見え隠れする。繰り返しになるが、これだけの描写を無視して「介護中の虐待」と言いきることは難しい。

 母はただ涙を流しており、父は、穏やかな顔で、黙っていた。/父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。/何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。/それにしても、とわたしは思った。/――夫婦って、奴はよ!/深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。/ぼんやりと鈍そうなポーカーフェイスを保ったまま、内心そんなことを考えていた。/……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。(p44)

・母と祖母

 母の抱えるアンビバレンツな感情は祖母との関係性の中でも見え隠れする。

 母曰く、今日いつものように高齢者ホームに行き、祖母にあれこれ報告したのだが、よくがんばったとねぎらってくれると思ったのに、冷たかったのだという。「お父さんの一族の人と仲良く納骨を済ませたのが気に入らなかったんだと思うの」「まぁそうだろうね。昔からむこうの一族の人と親しくすると寂しがるもの」とうなずくと、母は涙を浮かべ、(…)(p59)

 祖母は「血縁にない親戚を一切受け入れない」人物であり、母は「そこがお父さんの実家とちがうの。もう、どうしてうちはこうなの」と悔しさを滲ませている。祖母は幼いころ継母に虐められて育ったが、一方で祖母は幼い母に暴力を振るった経験が語られる。そして冬子の中には母からの暴力の記憶が刻まれている。女三代がそれぞれに暴力の記憶を有し、その連鎖の渦中にいる(そうしたファミリーヒストリーは『赤朽葉家の伝説』にも結実しているようにも思われる)。母は祖母との関係を見つめ直す。

 祖母が七十代、つまり今の母ぐらいの年齢のとき、コタツでうたた寝し、「お母さん……」と寝言を言ったのを母が聞いたことがある。老年になっても夭折した母親を恋うるものかと、祖母の孤独の根深さに驚いたという。(p60)
母は「高齢者ホームにいるおばあちゃんを訪ねるのが何よりの楽しみなの。喧嘩ばかりだけど、長年のことで、楽しい」と弾む声で言った。それから声を落とし、「気がついたんだけどね。わたしの一番の親友は……」と、一度言葉を切った。海外ドラマでいう、ワンミシシッピ、ツーミシシッピ、スリーミシシッピ……十秒ぐらいの沈黙のあと……「おばあちゃんだったのよ!」と急に大きな声を出した。(p29)

「わたしの一番の親友は……おばあちゃんだったのよ!」という語りはこの後p63でも反復される。祖母と親子としての関係ではなく、親友となる道が、母の選んだ血縁に囚われた祖母との距離感を保つうえでの新たな関係性であったのだろう。


・母と冬子

 母と冬子の関係を考えるうえで着眼するのは、母の「秘密」を通しての描写だ。

 一軒家の二階にあるわたしの子供部屋だった部屋は、母が使うようになっていたのだが、最後に二階に上がったとき、部屋の壁すべてと、勉強机と、ベッドサイドに、筆記体のような読み辛い文字を書いた大小様々な付箋が『耳なし芳一』の昔話みたいに隙間なくびっしりと貼ってあった。/いま実家の内がどうなっているのか、わからない。(p31-32)
「自宅は売るか賃貸に出すかもしれない」と言うので、「片付けが大変だから、わたしも、手、伝……」と申し出る途中で、母がまた被せ気味に「いい。こないでね」と首を振る。……散らかっているのを気にして見せたくないのだろうか。気になりつつ引き下がる。(p36)

 母は冬子を実家から遠ざける。冬子は帰省時はホテルに宿泊をする。

 ふと母の携帯電話の待ち受けに三歳ぐらいの男児の写真が見えた。「その子どこの子? どうしたの」と聞くと、母が携帯電話をパシッと閉じ、「かわいそうな子でねぇ。両親を亡くして、それであたしが……まぁ、その話はいい。後でね」と口を閉じ、ほんの数秒、にやついた。そしてそのままその話題には戻らなかった。
(略)
 それぞれ、言いたくないこと、隠し事があるらしいまま、わたしと母は河童と狐のようにとぼけあい、笑顔で「おやすみ」「おつかれさま」と別れた。(p61)

 作品の終盤では「三歳ぐらいの男児」の話が登場するが、「それぞれ、言いたくないこと、隠し事があるらしいまま、わたしと母は河童と狐のようにとぼけあ」うことで核心までは踏み込まない。母には何か秘められた部分が存在するが、冬子は決してそれに深入りしようとしない。冬子の過去には以下のようなことも語られる。

 母はいつも父ではない誰かと疑似家族を作りたがっているように見えていた。性別や年齢に関係なく、時々誰かと恋に落ちるように仲良くなり、東京まで連れてきたりし、わたしに会わせた。まるで娘を含めた三人の疑似家族を作りたくてもがき続けているようだった。だからわたしは、この人は父のことをあまり好きじゃないのだと思い違いしていた。(p54)

 この回想の中に出てくる宮司は「冬子さんに恋愛感情はもてないが、妹のように思えるので結婚したい」(p53)と結婚を持ちかける。家族の形をめぐる奇妙さは父への回想のなかにも表れる。

 子供は向こうの孫を産むより、「シングルマザーとして出産し、置いていってくれたらうちで育てるから」と父が提案した。昔の人のことであり、悪気が全くないのはよくわかった。(p55)

 冬子の父は「この家の子供として直木賞を受賞したので、嫁に行ったらその栄誉も婚家のものとなってしまう」と考えている。時系列は様々であるが「実家に帰れない冬子」「3歳くらいの男児」「疑似家族」「妹のように思えるので結婚したいと話す宮司」などと重なり合い、家父長制という言葉だけでは説明できない家族の位相が形成されていく。

 母は父を支え、この二十年を過ごしてきた。その多くの時間、いま心の中でご立派なことを唱えているこのわたしはいなかった。それなのに、非常時であるいま、あれこれ正論を言って母を諭したりするのは、内容が正しくても、間違った行為だと感じた。今は父のために母を支えなくては。わたしは、沈黙した。(p29-30)
 母が「ここだけ直したいのよ。お父さんに一歩引いてついていったと読める部分を〝共に歩いた〟に変えたい」と一箇所を指差す。/「女のくせにって怒られちゃうけど、あたしはお父さんの後ろをついていったことはない。前に立って引っ張って歩いた。女が生意気なって笑われても、でも、ずっとそうだったから」/それについては、ちっとも悪いことじゃない、そもそも人間は平等なのだ、男である父も、女である母も、子であるわたしも、同じ価値と権利を持っている、それを笑ったり抑圧したりしようとする者がもしいるなら、その者のほうが、そして封建的な社会のほうが間違っているのだ、と強く思ったが、自分の考えを述べるよりケアするほうが優先され、「そうなんだね……」とうなずき、〝共に歩いた〟とボールペンで赤を入れるに留まる。(p40)
 気が重いが、母に毎週末親戚の家に行かないようにと伝えなくてはと思う。文面に悩み、なるべくやんわりとメールを送る。するとすぐに返信がくる。考え、これにも、返信せず。(p65)

 母の抱える「秘密」から距離を取りながらも、冬子は父を看取り死を経験する中で母親に寄り添おうとする姿が描かれる。このバランス感覚を支えている一つが、作中においてしばし描かれる「正論」である。

 正論は理不尽なことから救ってくれる。だから、大好きだ。立場が弱いとき、わたしは命綱みたいにしがみつく。(p53)
 そんなときには、理屈だ。正論だ。おぼれるわたしは命綱のようにまたギュッとしがみつく。/そう、家父長制と……。(p55)
 わきまえるという義務だけがあり、自己決定の権利や責任のない状態には、ただの楽さを超えた快楽さえあることに気づき始めた。(p49)
 一族の中に自我がふわふわーっと知らず溶けていくのを感じながら、いま、自分のうちに二つの世界が並行して存在していることを理解する。/一つは、枝葉としての核家族を複数持つ、同じ姓を持つ一族。太古からの巨木。いわば一つの集合体。/もう一つは、東京で所属している、個人として他人と繋がる、論理的で現代的なコミュニティー。(p49)

 正論や家父長制によって、故郷や家族との関係を冬子は納得しようとする。しかしその心の動きは、冬子自身の内面を引き裂くものでもあった。

女性の権利問題については、
〝今のように社会が大きく変容せざるを得ない時代は、同時に変革の時でもあると感じています。それは個人個人の変革の時であるだけでなく、社会全体の変革の時であり、その二つは同じことなのだ、と。これからは理不尽な扱いを受けて我慢するのを止めて、たたかうべきことはたたかい、反論すべきことには反論します。わたしたちみんなに、社会をよりよくするために行動する義務があるからです〟(p45)

 冬子は「赤旗」のインタヴューに以下のように答えながらも、以下のように母にアドバイスを送り「とんだ二枚舌だな」と「呆れ」る。

(…)父の次兄の長男、母の兄の長男の名を出す。二人が家父長制における次の当主に当たる人物だからだ。「この数日見てただけだけど、やはりこの土地は男女の立場の違いがまだまだ大きいと思う。男の人が常に前にいる。だから……」と言い聞かせながら、つい数日前「赤旗」の記事を書き直したときの、ほかならぬ自分のアジテーションのような言葉が思いだされ、内心(この女、とんだ二枚舌だな)と自分に呆れた。/――でも、母はここで生きていくのだ。(p62)

 しかしここには「――でも、母はここで生きていく」という事実が横たわっている。この事実は動かせないものとして冬子の前に横たわっており、「二枚舌」を使わなければ冬子が母を背負っていきていかなければならないという未来を示唆している(故郷に帰るなど)。しかし、母と冬子の間に会った過去や、現在も明かされることのない「秘密」がのしかかる以上、冬子にその選択をすることはできない。

 でも、他者のことはわからない。わたしに許されるのは、こうして、想像することだけ。(p70)

 アンビバレンツな状況に置かれた冬子は最終盤においてこのような「結論」を下す。この「他者」は母親のことを指しており、母親を他者化することによって冬子は東京の生活へと戻っていく。しかし、それは冬子が母を捨てたことを意味するのではない。母と冬子をめぐる過去や、現在も横たわる関係性、故郷との関わりを目の当たりにした時、冬子に取り得る最も合理的な選択肢だったのだろう。「他者」として「想像すること」は必ずしも関係を無化するものではない。そこには家父長制という言葉で一くくりにできない、様々な諸相を伴った、一つの「家族の解体」の姿である。桜庭はエピローグでこのように記している。「我々、一人一人に、人間の集団の一員として、時代の最適解に合わせて変容し続ける責務がある」。冬子と母の関係は、その可能性を模索する壮大な過程なのである。

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