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アメリカでホームレス!?

なかなか経験することじゃないとは思いますが…(笑)
アメリカ移住して早々に、家なき子を経験しました。

ホームレスと言っても、幸いなことに蓄えがあったので、ホテルステイができました。
それでも、安定して住める場所がないということは、相当なストレスでした…

今回は、その時に感じたことや出会いについて、書いていきたいと思います!

アメリカ移住に至るまでのあれこれは、前回の記事で書かせていただいてます。
よかったらそちらも読んでもらえたら嬉しいです!

突然ホームレスに

前回の記事で書かせてもらった通り、元アメリカ軍人の夫の退役を機に、アメリカに移住した。

日本のように、戸籍や住民票といったシステムはアメリカにはないが、夫が日本で働いている間はアメリカに住所を持っていることが前提となる。

家庭の事情で祖父に育てられた夫は、祖父の家がある場所をその住所として登録していた。

システム上、退役時アメリカ本国に帰るための引越しをする場合、その登録住所に帰る手続きがとられるので、私たちは祖父を頼りにアメリカ移住したのだ。

祖父の家に着いてからは、すぐに諸々の申請を行った。
運転免許証の書き換え、SSN(ソーシャルセキュリティナンバー)の申請、夫の退役に伴い得られる健康保険や障害年金の申請などなど…

役所での手続きとなるので、時間がかかることは覚悟していたが、日本以上に時間がかかる!
酷い時には、担当者が申請処理を行っておらず、再申請する羽目になることもあった。

それらの申請を進めている間、私たち夫婦はストレスまみれの生活を送っていた。
正直に言おう。
祖父はいわゆる毒親なのだ。
私たちの行動を全て把握したがるし、どんな場所にもついてこようとする。
「お前たちのためなんだ」と、やることなすこと全てに口出しされ、自分の思うようにいかないと、怒り、怒鳴り散らされる。

この申請が終わるまでの我慢
車を買うまでの我慢
家が決まるまでの我慢

自分たちで小さなゴールを決め、目標達成しながら少しずつでも前進しようと行動するが、あと一歩のところで台無しにされる。

ある日、我慢の限界を迎えた夫が、祖父と話し合いをしようとしたが、全く聞く耳を持たず。
自分が責められていると勘違いをし、怒り狂い、その場で家を追い出された。
免許証の書き換えや保険の手続きが終わり、ようやく車を購入することができた次の日だった。

ホテル生活のはじまり

家を追い出された次の日からは、引き続き必要な申請を進めるため、各申請を受け付けている役所や事務所の場所を調べながら、近くのホテルを転々とした。

住所不定となってしまったため、夫は次の仕事に就くことができなくなり、求職活動が振り出しに戻ってしまった。

さらに最悪な事に、家を出されたタイミングで、私はグリーンカードもパスポートも手元にない状態だったのだ。
グリーンカードは申請が承認され、カードの郵送待ちをしており、パスポートは納税者登録のために税務署に提出中で、返送待ちをしていたのだが、その時に突然祖父の家を追い出されてしまったのである。
グリーンカードがなければ、私は求職活動をアメリカで行うことができない。

加えて、自分が永住者であることを証明できるものがなにもないということが、不安でしかたなかった。

同時に車も故障し、足もなくなった。

今できること

そんなドン底の日々で、私にできることはなにかと、考えた。

車もグリーンカードもない状態でもできること…

リモートでもできる、フリーランスの仕事を探すことだった。
アメリカ移住が決まったタイミングで、選択肢の一つとして考えてはいたが、この時は藁にもすがる思いで、求人に応募しまくった。
時間はかかったが、現在はフリーランスとして仕事をさせてもらっている。

この時の、夫の精神状態は酷いものだった。
実は、軍を退役した理由のひとつに、パワハラがあり、過酷な経験をしていたのだ。
それに加えて、今回の祖父の毒親っぷりである。
連続して、1年近くこの状況を耐え抜いてきた彼の状態は、鬱のような、PTSDのような、言葉では表せないものだった。
今では、症状もよくなってきて、軍からの保障もおりているのが救いだ。

人の優しさ

そんな状態から抜け出すために、さまざまな人に助けてもらった。

  • 求職活動のために訪れたキャリアセンターのケースワーカーたち

  • ホームレス向けのリソースセンターの担当者

  • 車の修理を無償で行っている非営利組織の代表

  • 車が壊れた時に牽引代をおまけしてくれた運転手

  • 再び車がオーバーヒートした時に声をかけてくれたハイウェイパトロール

大変なことが次々に起こり、状況が目まぐるしく変化していくことに対応できなかった。
物価高の中でのホテル暮らしは、どんなに安い場所を探しても、財布には大打撃で大赤字。
車社会のアメリカで肝心の車が壊れ、各申請も求職活動も詰んだ。
車が直るのに時間がかかり、その間なにも動けないまま、時間とお金が失われていく。

それでも、毎日のように電話で励ましてくれたり、利用できる制度の情報をシェアしてくれた。

対応エリア外なのに、何時間もかけて無償で車を修理しにきてくれた。

「自分も元ホームレスだったから、気持ちがわかるよ。頑張れ」と、代金をおまけしてくれた。

炎天下の中車が再びオーバーヒートした時、声をかけ、キンキンの水をくれて、エアコンにあたらせてくれた。牽引車の手配をしてくれた。

なかなかできない経験をした分、優しい出会いがたくさんあった。

彼らには本当に感謝している。
一生の宝となる経験ができた。

再スタート

たくさんの人に助けられて、車もどうにか走れる状態になり、生活を安定させるための基盤作りを再開できた。

人生、不思議なもので、どんなドン底を経験しても、どうにかそこから這い上がると、今度はいいことが続くものだ。

諸々の手続きや求職活動を再開すると、トントン拍子にことが進んだ。


まだ時間がかかるかもしれないが、今回の経験での疲れや傷を癒やし、また大変なことが起きた時には、夫婦力を合わせて乗り越えていきたい。

ペイフォワードの精神で、優しさを次に繋いで、私のモットー、Life is weirdとともに、これからの人生を生きていけたらと思う。

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