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誰もが「弱い自分」を拒絶する。

世間ではよく、「精神的にひ弱」や「メンヘラ」という言葉を耳にします。その言葉を向けられた時や、自分にその特徴が思い当たる時、人は大きなショックを受け打ちのめされることでしょう。ある人はその言葉を聞かなかったことにして逃避したり、反対にその言葉を他人に使い自分より下がいるという優位性を感じることで安心感を得ようとする人もいます。多くの人が「精神的に弱い自分」を受け入れることができません。受け入れることができないので、なぜ他人にそのような言葉を言われたのか、もしくは自分は弱いと思ってしまうのか、そこに至った原因を追究することができません。

なぜ受け入れることができないのか。全員に当てはまるものではありませんが、恐らく多くの人がこの局面でぶち当たると思われる心の葛藤を、少し紐解いてみましょう。






「もしかしたら、自分は一般的な人より精神的に弱いのかもしれない」

言葉で上記を発するのは簡単ですが、いざ実際にこの事実を本当の意味で受け入れようとすると、体や脳がそれを拒否するような感覚に陥ることはないでしょうか?私はそうでした。20代の時に2、3人から「精神的に弱いよね」や「もっと強くなれ」などと言われたことがあります。当時から自分が打たれ弱く、すぐに思い悩んで病んでしまうことは自覚していましたがやはりそのような言葉は受け入れ難く、その事実を否定したくて仕方ありませんでした。
しかも厄介なことに、そういった発言をしてくるのは心の距離が非常に近い彼氏や親だったのでショックはかなり大きく、言われる度に情けなく恥ずかしい気持ちになり自分を責め続けてしまい、精神不安定になりさらに打たれ弱くなるという負のループに陥ってました。この窮地に陥ってしまうとそこから自力で脱するのは非常に難しく、下手をすると抑うつ症状を発症したり、ストレスから体調不良になってしまうことがあります。今回はそれについて言及しませんが、私がこの負のループから脱した方法は別途記事にしてまとめたいと思います。






「強い」=「成功者」という呪い

自分ではない他者に、「あなたは弱い」と言われることは耐え難い苦痛を伴います。なぜなら、その言葉が他者から自分を否定されていることと同義だと感じてしまうからです。発言した側は否定しているつもりは全くないにも関わらず、です。現代の日本では「強い」ことは正義のように考えられており、「勝者」や「成功者」は目に見えてわかりやすく注目され、もてはやされます。幼少期から10代、20代と成長していく中で無意識にこの価値観が染み入り、「弱い」ことは「悪」や「失敗」「かわいそう」というようなネガティブなイメージに直接結びつきます。ここ5年程でようやく、<失敗してもいい><弱くてもいい>というような考え方が広まってきたように思いますが、それでもまだまだ根底に根付いた「勝者、成功者」=「強い」というイメージは人々の心から完全に拭うことはできません。ここでは成功者を否定するわけではありません。問題なのはそのイメージに固執し、そうでなければいけないと思い込み、現状でそうなれていない自分や他人を必要以上に責めてしまう思考回路にあります。







「弱い自分」を受け入れられないのは、自然な現象
その感情をそのまま包み込もう

ここで特筆したいのは、弱い自分を受け入れられないことはごく自然な感情だということです。簡単に受け入れられるひとはそういませんし、受け入れるまでにかなりの時間を要します。受け入れられないことで自分を責める必要も、反対に開き直る必要もありません。
重要なのは「私がすぐに落ち込んでしまうのは、もしかすると他人と比べているからかもしれない。それは人と比べる癖がついてしまっているからではないか」いうように論理的に、かつ客観的に事実を事実として認識することです。そしてその時に出現する感情を無視しないようにしましょう。自分の弱さを認識する時、人には様々な感情が溢れ出ると思います。もし可能ならその感情ひとつひとつを、優しく受け入れてあげましょう。「悲しい」「嫌だ」という感情を俯瞰でみて、「そうだね、つらいよね」という感じで自分の子供のように接するのです。感情をこのように扱うにはある程度の訓練が必要なので、これについては次回解説致します。



ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回も読んでいただけると、跳んで喜びます。

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