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【随筆】堕ちていく夫婦                               第二回 幸せなはずの結婚生活が、いつしか "支配された生活" に取って代わられる Part1

当記事をご覧いただきありがとうございます。Yaekaと申します。
今回は随筆「堕ちていく夫婦」の第二回です。結婚生活中、元夫と私は共依存関係にあり、当時の私は彼に洗脳されていました。現在は別居し離婚協議が進んでおり、洗脳も解けひとり自由気ままに生活しております。第二回である今回は「幸せなはずの結婚生活が、いつしか "支配された生活" に取って代わられた。」というテーマにもあるように、結婚生活でどのように洗脳され、思考の矯正をさせられていったかを2回に分けて解説します。




元夫と私の出会いはオンラインの言語交換サイトでした。日本語を学びたい彼と英語を学びたい私が知り合い、数か月メールでやり取りをした後、私がイギリスに住む彼を実際に訪ねる形で親密になりその後結婚に至りました。
20年に日本で籍を入れ、そのまま京都市で二人で暮らし始めました。





ある時期から、「なんとなく苦しい、息がしずらい。もう無理。」という感情がふとした瞬間に、かつ定期的に沸き起こっていたのを今でもよく覚えています。当時私は仕事と家事をこなしつつも、持病があり度々体調を崩す夫を病院に連れて行き、日本語の話せない夫と医者間の通訳をしては、へとへとになって家に帰るという生活を送っていました。夫は日本語が話せない、体調が悪い、という理由で仕事を探そうとはせず、収入源は私一人のみ。毎月がカツカツの経済状況に加え、目の前のことに忙殺され気持ちを休める時間がありませんでした。





このように言うと夫が全面的に悪く映ってしまいますが、当時の私にとって夫は私を理解してくれる唯一の人であり、この先もこの人しかいないと本気で思っていました。不安障害や抑うつ症状があった私に理解があり、何かあれば一番に夫に話をし、それをうんうんと聞いてくれ寄り添ってくれる彼を心から大事に思っていましたし、持病が悪化して仕事が出来なくても私が支えればいいと考えていました。完全に彼を精神的な支えにしてしまっていました。




加えて何か不明点や不安があると知識が豊富で頭のいい彼にすぐに聞いてしまう、というような頼り方をしていました。今思えば、この時点で目の前の課題について自分の頭で考えるということを放棄しており、洗脳されるための下準備が整っていたように思います。




また、夫に持病があるということは結婚当初からわかっていたので、それを承知で結婚したという責任を自分自身に課していました。病気は彼のせいではない、仕方ないと自分に言い聞かせ理解のある良い妻であろうとしました。何があっても彼を支えるという使命感を燃やしていましたし、夫も夫の家族も夫婦というのはそうあるべき、という考えだったと思います。
実際に、病気を患うというのは本人のせいではありませんし、生活する上では配慮がなされて然るべきです。しかし夫と夫の家族が異様だったのは〔病気であることで彼を特別視しすぎていた点、また、病や障害と向き合いながらも自力で生きる力を育てようとしない点〕でした。彼は昔から極端に甘やかされていたのだと思います。彼の家族の中では、病気だから何もしなくていいという構図が出来上がっているようでした。





ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回は実際にどのように洗脳されていったかを具体的に解説していきます。
もしまたお読みいただけると跳んで喜びます。


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