お金があれば幸福度が上がっていくのでしょうか? 「お金=幸福」という方程式は正しいですか?
結論から述べます。
批判を怖れずに述べるなら、世界の現状を考えたとき、
「豊かであれば幸福である」はきわめて厳粛な事実として正しい
といえます。豊かな国に生まれた人間は、生まれながらに幸福への切符を手にしているのです。
以下では、日本と世界の対比を議論の中心に据え、
・日本の豊かさの世界的位置
・日本は豊かなのに幸福を感じにくいのはなぜか
・日本が豊かさを諦めると日本と世界はどうなるのか
・さらに周期的に現れる「清貧に生きる」を実行するとどうなるのか
などについてお話ししようと思います。
●日本の豊かさの実体
まずは以下のウェッブサイトにアクセスをしてみて下さい。
Global Rich List [1]
Incomeを選んで、Location を Japan (Yen) に切り替え、ご自分の年収をご入力下さい。
その際、自分が受け取れるあらゆる所得を合算してから、数値をご入力下さい。そして Show my results をタップします。なお、学生さんや扶養家族に入っている方は、世帯収入を合算してそれを世帯人数で割って、その数値を用いるといいでしょう。
結果はいかがでしたか?
日本人ならほとんどの人がトップ5%以内にランクインするはずで、トップ0.1%以下にまで食い込める方も少なくないはずです。
実際、サラリーマンの夢と言われる年収1000万円(税引き後;税込みなら1300万円ほど)を入力すると、あなたは世界でトップ0.09%に属する超高所得を稼ぎ出していることになります。
一方、生活保護を受けておられる方は、地域によって、家族構成によって金額がちがいますが、標準3人世帯(夫33歳、妻29歳、子供4歳、地方在住)の場合なら年間150万円前後の受給があるはずです。失礼ながら、150万円であっても、これは世界のトップ10.79%に位置します。
これが日本の豊かさの実体なのです*。
なお、重要な問題であることは重々承知なのですが、ここでは、日本国内の相対的格差については、議論の混乱を避けるため、言及しないことにいたします。この点に関しては後日を期したいと思っておりますので、悪しからずご諒解下さい。
●われわれは本当の絶対的貧困を想像すらできない
さて、IMFが算出している世界で最も貧しい国は南スーダンです。近年の国民1人あたりGDPは、購買力平価換算で2047ドルです[2] 。2047ドルの世界的位置は難しいですが、おそらくトップ60%程度にあたると思います。しかも、これはデータが得られるくらいには、政府が機能している国の中での最下位なのです。混乱の極みにあって、データさえ取れない国々はこの統計には表れません。
さらに、南スーダンの人びとよりまだギリギリの水準で暮らしている人びとが、世界には現在およそ7億人程度います。貧困研究でよく話題になる「飢餓」付近にいる人びとは、年収700ドル程度(8万円ほど)なのです。
そうした人びとの生活を、日本人のほとんどの方は、ほぼ想像することすらできないでしょう。これはある意味で幸福なことです。
私は職業がら実際に見てその一端を知っていますが、ここでとてもお話しできるような類いのものではありません。悲惨という表現ですら、まだ不足を感じるためです。
●「豊かではあっても幸福ではない」と感じるのはなぜか?
[Angus Deaton, The Great Escape: Health, Wealth, and the Origins of Inequality, Princeton University Press, 2015, p.18.]
この図は、経済発展と格差に関する研究の第一人者であるアンガス・ディートン(2015年のノーベル経済学賞受賞者)の著作から転載したものです(傾向線は私がひいています)。横軸が一人あたりGDP、縦軸が国別の人生満足度(幸福度)であり、円の大きさが人口に対応しています。
この図から受ける第一印象は、一人あたりGDPが10000ドルあたりに屈曲点があることです。
10000ドルまでは、豊かになればなるほど自分の幸福度も急速に上昇していきますが、10000ドルを過ぎると、豊かになっていっても幸福度の増加具合が鈍ってきます。これが「日本は豊かだけれどあまり幸福じゃない」と感じる理由です(なお、長引く不況の最中にデータが採録されているので、日本の幸福度は低めに出ていることは注意が必要です)。
この印象からよく導かれる議論は「豊かになるだけでは人間は幸福にはなれない」という言説です。
では、皆さんのご経験で、インドや中国の一般の人々、あるいは中南米、西アジア、東欧、中欧、アフリカの人びとで、日本の豊かさや高度の治安などを羨まない人がおられましたか?
私の知人にサハラ以南のアフリカ出身の人物がいますが、「日本は豊かで、平和で、治安がよくていいな。建物に弾痕がない」という感想を洩らしたことを、私は今でもよく記憶しています。
そうした感慨は私は多く耳にしてきましたし、日本の豊かさの世界における位置づけも知っていますので、「豊かになるだけでは人間は幸福にはなれない」という議論には、やはり違和感を覚えます。
「清貧に生きて幸福の質を向上させるべきだ」というご指摘には一定の理解も評価もできますが、それは豊かな国に生まれているがゆえに考えることのできる一種の贅沢です。
世界の貧困は悲惨という表現では語り尽くせないほど残酷なものです。
一例だけあげれば「観光客の哀れを催させて物乞いがしやすいように、親が子供の手足の一部を切り落としてやるのが親心」というのが、貧困国のリアルです。
私の経験では、貧困に喘ぐ国で、早く日本のように平和で豊かになりたいと羨望しない国はないと言っても過言ではありません。
●なぜ「豊かであれば幸福なのか」?
先ほどの図では豊かさと幸福度が明確に相関していないような印象を受けました。しかし下の図ならどうでしょうか。
[Angus Deaton, p.21.]
実は、この二つのグラフ、データは全く同じものなのです。違うのは、豊かさを表す横軸の目盛りが一目盛りごとに4倍になっている点だけです。
このグラフが示唆しているのは、豊かさと幸福度には明確な正の相関があることです。
また、こうしたグラフにすると、原点付近に隠れていた国々が見えてきます。ジンバブエ、コンゴ民主共和国(ザイールと呼ばれていた国です)、ブルンジ、トーゴ、シエラレオネ、エチオピア、いずれもアフリカ諸国ばかりです。
貧しく幸福でもない国々は、豊かさは日本の10分の1以下、幸福度では3ポイント近く低いのです。幸福度のレベルが3前後というのは、日本人なら目を覆わんばかりの、耐えられないほどの悲惨さです**。
●清貧に生きれば幸福になれるのか?
日本では豊かさのわりには幸福度を感じにくいと先ほど書きました。
それは日本の幸福度はすでにかなり高いところに高どまりしているためです。日本の幸福度を1ポイントでも引き上げるには、現在の日本の行き方を踏襲するなら、一人あたり所得を10万ドル超えという前人未踏の高みにまで引き上げねばなりません。こんな高所得国はいまだかつて存在しませんでした。
世の一部にある声としての「豊かさを諦めて清貧に生きる」とは、私見ですが「欲望を抑え、消費を控え、慎ましやかに生きていく」ことだと思われます。しかし、お叱りを承知の上で、貧困研究の成果に忠実ならば、清貧に生きようとすればするほど、日本人の幸福度は、残念ながら低下していきます。そうした方向性では、日本人は幸福にはなれません。
日本人の幸福度を引き上げるには、まず大前提として豊かでなければならないのです。
それにくわえて、社会での選択の幅を拡げ、健康を増進し、自由をさらに推し進め、浪費ではない消費を増やし、教育を充実させ、社会の寛容さを拡大し、所得格差を縮小させ、男女共同参画社会をさらに推進し、高福祉国化する方法しかないのです。
豊かであってこその幸福です。世界屈指の豊かさを誇る日本が豊かでなくなれば、世界的なダメージは計り知れません。豊かであり続けることは日本の使命です。「豊かさを諦めて清貧に生きる」その先に、日本人の幸福も世界の幸福もは待ってはいないのです。
長文におつきあい下さり、ありがとうございました。
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* このサイトの算出方法は、所得分布の形がブラックボックスになっているなど、問題なしとはしませんが、あくまでも目安とお考え下さい。
**幸福度が3ということは、一人あたりのGDP、健康寿命、家族指数、自由指数、寛容さ、汚職の無さ、貧富の格差の総合点が10点満点で3点にしか届かないということです。「貧しく、短命で、家族が分断されており、自由がなく、社会に寛容さがなく、汚職は多く、貧富の格差が大きい」国というのが、幸福度3の正体です。
脚注
[1] http://www.globalrichlist.com/
[2] https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/02/weodata/weorept.aspx?sy=2012&ey=2014&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=733&s=NGDP%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=&pr.x=40&pr.y=17
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