弱聴の逃亡日記「5日ぶりの手紙」

2017年11月27日 5日目 午前

弱聴が目を覚ますとご老人の井戸端会議の輪の中にいた。
えっ? どゆこと? 弱聴自身もポカン…ある。

深夜2時に宇都宮を出発し、夜通し歩き続け、朝方さくら市に到着した弱聴は、コンビニで朝食をとった後、大きな公園に寝心地の良さそうな東屋を発見し、これ幸いと仮眠をとることにした。

東屋の柱と柱を繋ぎ四角い囲いのように設置されたベンチの一つをお借りして横になった。もちろん自家製寝袋をこしらえてイモムシ姿で眠る。
夜通し歩いた疲れと秋晴れのぽかぽか陽気が手伝って弱聴はぐっすりだった。

その間に日課のお散歩に来たおじいちゃんおばあちゃんが集まってきて(おそらくはこの東屋がお決まりの溜まり場なのだろう)、弱聴の両隣と正面のベンチに腰掛け世間話を始めたのだ。
弱聴はそれに気付かず、話に花を咲かせているおじいちゃんおばあちゃんの隣でイモムシ姿で熟睡していたらしい。

目を覚まし状況を理解した弱聴は、心の中で叫んだ。

はっ…はっ…恥ずかしすぎる!

急いで寝袋を剥ぎ取りリュックに無理やり押し込むと、逃げるようにその場を後にした。

そのまま国道四号線に戻り、再び旅を再開したはいいが、どうも調子が乗らない。
夜通し歩いたせいか疲れはさほど感じないのだが体が鈍く、足がスムーズに動かないしペースも上手く掴めない。
今日は頑張ってもあまり距離を稼げなさそうだ。

そんな時、栃木県矢板市で道の駅の看板を見つけ、弱聴は目を輝かせた。
「ちょうどいい、今日はやりたかったことをやる日にしよう!」
四号線の旅は一時中断。道の駅を示す看板に従って道を曲がった。

やりたかったこと。それは旅の途中でその土地の特産物を買って手紙と一緒に実家に送ることだ。
家族が不安に駆られないよう、こまめに手紙を出そうと思っていたのだが、歩くのに必死で、また四号線沿いに特産物を売っている店が見当たらなくて送れずにいた。
今日は夜に歩いて距離を稼いだことだし、これ以上頑張ってもそれほど成果が見込めそうにないので四号線の旅は中断して、実家宛てに土産を送ることにしよう。

道の駅で適当な特産物を買った後、屋外テーブルで同封する手紙を書く。
いろいろな思いが次々と頭を過ってなかなかペンが進まない。

五日前に出した「歩いて実家に帰る」と綴った手紙はもう届いただろうか。
心配しないで欲しいと書いたが、きっと無理だろう。父も母も心配しているに決まっている。怖い人達に襲われたとか、山で熊に出くわしたとか、不吉な事態を想像して気が気じゃないだろう。
連絡が取れればまだマシなのだろうが、今できる通信手段といえば私が手紙を出すか、公衆電話から電話をするか。家族はひたすら私の連絡を待つしかないのだ。

母や父、姉妹の顔を思い浮かべると恋しくなってくる。
今すぐにでも会いたい。こんな辛い旅なんか辞めて、懐かしい我が家に帰りたい。
そう思うのだけれど、「いや、決して辞めてはいけない」ともう一人の自分が言っている。

この途方もなく長い一人旅が、自分の人生にどんな意味をもたらすのか、今は全く見当もつかないが、旅路に足を踏み入れた以上、最後までやり遂げなければ全てが水の泡になってしまいそうな気がする。

結局手紙には「無事でいるよ、心配いらないよ」という内容と近況を少し書いて終わらせた。
伝えたいことの三分の一も書けなかったような気がする。

小さめの段ボールに特産物と手紙を詰めて宅配便に出す。
心配する母の顔が思い浮かぶ。
あと何日歩けば家族に会えるだろうか。

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