弱聴の逃亡日記「イモムシ姿、目撃される」

  2017年11月29日 7日目後半
 国道四号線を北上し福島県白河市から那須川市まで順調に歩みを運ぶ。
 山の森林、家々が並ぶ町の景色、風の匂い。見るもの触れるものに不思議と親しみを感じるのは福島県に入ったせいだろうか。
 福島県は出身地の岩手県と同じ東北地方に分類される。福島は小さい頃に何度か訪れたことがあるし、同じ東北というだけで自然と親近感が湧く。
 東日本大震災後からよく見かけるようになった「がんばろう! 東北」などの励ましののぼりや看板が目に留まり、東北入りした達成感を掻き立てる。

 午後八時、那須川市を歩いていた弱聴はそろそろ野宿する場所を探そうと四号線から脇道に入って公園を探していた。
「町の雰囲気的には公園がありそうなんだけど…。おっ! これは!」
 弱聴はある店舗に目が釘付けになる。店先の外灯はついているが店内は暗く、閉店しているようだ。近づいて様子をうかがってみる。どうやら地元で採れた野菜やら特産物やらを売っている産地直売店のようだ。
 弱聴が目をつけたのは店の前にある屋外テーブルだ。外で飲食できるようテーブルや椅子が並べられているのだが、周りは透明な屋根と壁で囲われたガレージになっていた。
 何たる幸運! 屋根と壁付きの上、横になるのにピッタリの長椅子まである。しかも椅子は木製。金属製やプラスチック製より熱を奪われないから温かさが持続するのだ! 
 こんな野宿にピッタリな場所があるだろうか! 幸いなことにガレージはシャッターやチェーンなどで閉鎖されておらず、「いつでも、誰でも、どうぞ」とでも言うかのように開放されている。
 しかし、弱聴は躊躇した。閉店した店の屋外テーブルで寝るというのはいかがなものか。見つかる可能性も高いし、不審人物あるいは不法侵入で通報でもされたら面倒なことになる。そして何より後ろめたい。
「けど、また別の場所を探すのも面倒だし。ここよりいい場所なんてきっと見つからないだろうし…」
 屋根付き、壁付き、おまけに木製長椅子ベッド。最上級の野宿物件だ。誘惑に勝てるわけがない。
「バレなきゃいいよね。お店の人が来る前に出発すれば大丈夫でしょ!」
 後ろめたさを払いのけ、弱聴は店舗のガレージで一晩過ごすことにした。

  11月30日 8日目 朝
 朝6時頃、弱聴は目覚めていた。が、動けずにいた。
 すぐそばに人の気配を感じるのだ。
 店舗の屋外テーブルが設置されたガレージ。そこの長椅子にビニールシートに包まりイモムシ姿で寝ていた弱聴は人の気配で目を覚ました。
 ゆっくりと足音が近づいてくる。どうやらこちらの存在に気付いるようだ。
(ヤバい。見つかってしまった! バレる前に出ようと思っていたのに、どうしよう!)

 すぐそばで足音が止まる。こちらの様子を窺っているようだ。
(どうしよう、どうしよう…。)
 予想していなかった展開にパニックする弱聴。
(とにかくここは…寝たフリだ!)
 目を閉じ、規則正しい呼吸を繰り返す。心臓はバクバクだ。

 向こうはイモムシ姿で横たわる弱聴を頭のてっぺんから足の先までくまなく眺め、こいつは無害か、有害か、品定めをしているようだ。
 まるで森の中で熊に遭遇したかのような緊張感。愚かにも死んだフリを選んだ弱聴は相手が無害と判断するのをじっと祈るのみ。
(たのむ! 何もせず、このまま立ち去ってくれ!)
 しばらくすると弱聴を観察するのに飽きたのか相手は足音と共に遠ざかっていった。
 ひとまず安心。しかしこの後どうするべきか。離れて行ったもののまだ近くをうろついているようだ。

 お店の人だろうか。朝早いのにもう開店の準備に来たのか? 警察に通報されて大事にされたらどうしよう。とにかく穏便にこの場を去る方法を考えなければ。
 寝たフリを続けながら作戦を練っていると、向こうから話し声が聞こえてきた。
「あそこで寝ている人がいるよ」
「寝ている人?」
「うん。あそこに人がいて、寝ているみたいなの」

(わぁーっ、恥ずかしーーー!)顔がカーッと赤くなる。

「いつものように運動しに来たの。そしたら何か物が置いてあると思ってね、近寄ってみたら、人だったのよ!」

(やめてくれーーー! 人に言いふらさないでくれーーー!)

 もう居ても立っても居られない。今すぐこの場を離れたい。
 しかし、ここで今すぐ起き上がり立ち去るのもいかがなものか。寝たフリがバレてしまうではないか。それに逃げるように立ち去る姿をあの人たちに見られたら、なおさら不審者として噂に拍車が掛かるだろう。
 では、このまま寝たふりを続けてあの人たちがいなくなるのを待つか? おそらく運動しに来たと言っていたからすぐには立ち去らないだろう。立ち去るのを待っている間に今度こそお店の人が来るかもしれない…。

(えぇい! しょうがない! 腹をくくろう!)
 弱聴は起き上がって、声がする方へ向かった。
 おばさんが一人、ストレッチをしている。もう一人はどこかへ行ってしまったようだ。
「おはようございます」まずは笑顔で挨拶。
「あの…実は野宿させてもらっていました。歩いて旅をしている者で、ここがすごくいい場所だったので、場所をお借りして寝させてもらいました。あの、何か盗もうとか悪さしようとかそういうつもりは一切なくて、本当にただ寝させてもらっただけで…」
と一息で事情を説明する。
 訝しげに弱聴を見ていたおばさんの顔がパッと明るくなった。
「あら! そうだったの。いいのよ、別に。歩いて旅? 大変ねぇ」
 それから少し会話を交わすと、さっきまでの不穏な緊張感は無くなり、おばさんは優しく労いの言葉で弱聴を見送ってくれた。

 正直に話して良かった。あのおばさんがどれほどの噂好きか分からないが、「歩いて旅する面白い人がいた」と広められることはあっても、不審者として噂されることはないだろう。
 旅を始めてから何人かと話す機会はあったが、自分から「歩いて旅をしています」と話したことは無かった。自分から言うのも恥ずかしいし、相手がどんな反応をするのか怖かったので、避けてきたのだ。
 しかし、今のおばさんの反応はさほど悪くなかった。むしろ好意的だった。もしかしたら下手に隠すより堂々と言った方が旅しやすいかもしれない。
 弱聴は荷物をまとめ、野宿の最上級物件を惜しみつつ福島県那須川市を後にした。

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