弱聴の逃亡日記「山の野宿」

2017年11月28日 6日目 夜の続き

あのコンビニを出てからどのくらい歩いただろうか。
まだ2時間しか経っていないような気もするし、5時間以上歩いてきたような気もする。
興奮の熱に任せて歩いてきたせいで距離と時間の感覚を完全に見失ってしまった。

途中、外灯が一つもない真っ暗な道を懐中電灯の灯りだけを頼りに歩いたり、歩道のない狭い道で車のスレスレを歩いたり、安っぽく灯るラブホテルの看板を見つけて「そこで休むのもいいかも」なんて変な事を考えてみたり、一面が落ち葉の絨毯状態の道に足を取られたり、すぐ脇の雑木林からガサゴソと音が聞こえ野生動物の気配を感じ恐ろしくなったり――。
とにかく相当歩いてきた。しかし山の上り坂はまだ続いている。

恐らくこの国道はこの大きな山を越えて次の町へ続いているのだろう。
この山さえ越えてしまえば、町へ出られる。夕飯にもありつけるし、あわよくば風呂にも入れるかもしれない。
弱聴は自分にそう言い聞かせて次の町を目指してかなりの距離を歩いてきた。

しかし、まだ上り坂ということは、まだ山の頂上に達していないわけで、「帰るまでが遠足」の言葉通り上って下るまでが山越えのわけで、つまりはまだ半分にも達していないということだ。

今日中に山越えできるだろうか…。

上気していた体はすっかり冷え去り、驚異的なスピードで歩いていたのが嘘のようにペースが落ちた。
その反動か一気に疲労感が押し寄せ、足の裏、ふくらはぎ、太もも、腰、下半身全てが痛み、一歩、一歩と踏み込む度にムチを打たれたような痛みが全身を駆け巡った。
山はさらに深い闇に包まれ、道路わきの森閑とした雑木林は不気味な空気をはらんでいる。
交通量が減った夜の四号線には制限速度を無視した車が、ヘッドライトと走行音を凶器みたいに振りかざしながら、カーブの多い山道を飛ばして行く。弱聴は行き交う車や鬱蒼とした雑木林に恐怖を感じながら、独りトボトボと歩いていた。

すると、ずっと続いていた上り坂が突如下り坂に変わった。
一気に希望が湧いてくる。
「もしかしたら山の下りに差し掛かったのかもしれない! とうとう頂上まで上がって来たんだ! やったー! 後は下りだけだ!」
と、喜んだのも束の間、
「えっ、また上り坂?」
カーブの先にはこれまた長い上り坂が待っていた。弱聴はガックリ肩を落とした。
気を取り直し、坂を上っていくと、
「あっ、また下りになった。よっしゃ、今度こそ!」
そうして下ると、
「また、上り…。マジかよ…。」
なんて思わせぶりな道なんだ。
下り坂になったと喜んだら上り坂に戻り、上ったと思ったらまた下り…と、もどかしい切り替わりが何度も続いた。
カーブと周りの雑木林で見通しが悪いせいで、先の道路が見えず何度も騙されてしまう。

もしこれが昼間の元気な時間帯だったら何とも思わなかっただろうが、今は山越えを切に願う限界寸前状態だ。
下りにさしかかる度に「今度こそ頂上に達したんだ!」「これを下って行けば町に着く!」「この下りカーブの先に町の灯りが見えるはず」などと馬鹿の一つ覚えで期待を抱いては、ことごとく裏切られる始末。
これほど何度も裏切られているのだから、そろそろ察すればいいものを、しかし弱聴は懲りもせず、下りに差し掛かる度に純粋な期待を抱き続けた。

それほど切実だったのだ。精神的にも、肉体的にも。

と言うのも上り下りの繰り返しが、体へ大きな負担を掛けていた。
上りと下りでは歩き方も使う筋肉も違う。
特に下りの膝への衝撃は一入で、少しでも気を抜くと膝からガクッと崩れ落ちそうになる。上り下りが切り替わる度に神経を尖らせ、細心の注意を払って歩かなければならない。
さらには上りと下りで痛む部位も変わってくる。
痛みに耐えながら神経を尖らせるのは精神を削る思いだった。

弱聴の体はとっくに限界を超えていた。この辺で引き際を見極めないと明日以降の旅に影響が出てくるだろう。

しかし辺りは鬱蒼とした雑木林。野生の動物が出て来てもおかしくない。
それにここは標高が高く気温が低い。何十キロも歩いてきて食事も食べてない状態で、この寒さの中、眠るのは一抹の不安がある。

そうこう考えているうちに、ちょうどいい場所に出くわした。
以前、駐車場にでも使われていたのか草刈りがされていて砂利が敷かれている一角があったのだ。ここなら道路のすぐ脇なので動物もそうそう出てこないだろうし、周りの雑草が目隠しになって道路側からも見えないだろう。
今更うじうじ悩んだところで、もう一歩も前に進めない体だ。
とにかく休んで夜が明けるのを待とう。

レジャーシートを敷いて靴を脱ぎ、腰を降ろした。
砂利の上なのでボコボコして痛い。それに真底冷える。
今までの野宿も寒かったが、この寒さは桁違いだ。

下が砂利で直に寝転がれないため、寝袋方式は諦める。
その代わり新聞紙を服と服の間に入れるといいと誰かが言っていたのを思い出し、腹や腕や足の服の中に新聞紙を巻いてみたが、寒すぎて効果があるのか無いのか実感が湧かない。
レジャーシートの上に新聞紙を敷いて、その上に猫のように丸まって横になり、さらに新聞紙、スカーフ、最後にレインコートで全身をすっぽり覆う。視界が遮られ、骨の無いテントの中に居るようだ。

ときどきレインコートのフードの穴から外の景色をうかがう。
空には星を遮るように重たい雲がゆっくり流れていく。
(どうか、お願いだから、雨だけは勘弁してくれ)
そう祈りながら弱聴は、ホッカイロを握りしめて目を閉じた。

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