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「自粛を要請する」に似た表現

 政府の緊急事態宣言に伴い(5月25日に全国で解除)、もはやおなじみのフレーズになった「自粛を要請する」。感染状況によっては今後も「再要請の目安を上回った場合には、また外出自粛の再要請を行っていく」(小池百合子都知事・5月22日の記者会見より)など、当たり前のように使われるようになりました。

 感染を抑え込んで人命を守るためとはいえ、自粛(自分で自分の行いをつつしむこと。広辞苑)を要請する(強く請いもとめること。同)とは、「自分を律せよ!」と、自分の道徳心について政府から指図されているような気分になりました。もちろん、私も家に篭りましたが。「要請」を受け入れたのではなくて、自分の身を守ると同時に、不用意にウイルスを広めることのないようにと、危険回避のために取った行動です。

 この「自粛を要請する」という不思議な組み合わせについては、以前にどこかで聞いたことがあるような気がして、ずっと考えていてたところある言葉に思い当たりました。「志願という名の命令」でした。これは、前職で太平洋戦争を振り返る企画を担当した際、特攻隊の生還者にインタビュー重ねた際に何度も聞いた言葉でした。生還者は、戦争末期の木造の特攻機で出撃したために鹿児島県沖の島に不時着したり、出撃直前に終戦を迎えたりして生きのびた人たちです。

 なぜ志願したのかという質問に対し、「志願という名の命令であった」という答えを何度も聞きました。本当は手を挙げたくなかったが、「志願せざるを得ない雰囲気になった」といいます。上官が「長男でない者」などの条件を示したとのことでした。(中には、「軍国少年だったので勇んで手を挙げた」という人もいましたが少数でした)

 雰囲気という目に見えないことを考える上ではこれをおいて他にない…と思い立ち、山本七平(1983)の「『空気』の研究」に改めて当たりました。山本は同書の中で、文藝春秋1975年8月号掲載の記事『戦艦大和』(吉田満監修構成)から、「全般の空気よりして当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(山本2018:16)という、当時を回顧した軍幹部の言葉を引いています。大和の出撃は無謀だと判断するのに十分なデータも揃っていながら、「空気」で決まったわけです。当時の日本軍の首脳から、末端は特攻兵に至るまで支配されていたとみられる、この「空気」の正体がさらに気になります。

 西洋史学との比較から日本人論を導いた阿部謹也(1992)は、日本には「社会」と「世間」という二つの用語の世界があるとしています。「社会という言葉を用いて抽象的に語るときは、自己のよってたつ世間を忘れ、いくらでも博愛主義的ヒューマニスティックになれるが、具体的な行動を伴うときには、世間に即して考えなければならないために、ヒューマニズムの影も見られないことが多い」(阿部2019: 20)。何か痛いところを、鋭く言い当てていませんか。

 冒頭で「道徳心」について政府から指図されたような気がしたと書きましたが、政府に「自粛を要請」されることは、阿部の指摘に従えば我々にとってより身近な(従って批判を受けることがより怖しい)世間での振る舞いが、結果として自分に跳ね返ってくるぞと言われているような気がするから、不快な気分になったのかもしれません。

 科学との関係性においては、この「空気」や「世間」という「科学的でないもの」に対峙する可能性もあるということでしょうか。有意なエビデンスが得られないものは、科学の世界では扱わないことになりますが、「外」の世界では目に見えない、エビデンスが得られないものが大手を振ってまかり通っている場合もあります。その時点ですでに、科学はアドバンテージを取られていることになります。

 大阪府が5月23日、再休業を要請する際の「大阪モデル」について、感染状況によって「黄信号」にならないように基準を変えました(毎日新聞5月23日付)。このことについて、京都大学の山中伸弥教授は自身のウェブサイトで、「この報道が本当であれば、大阪府の対策が、科学から政治に移ったことを意味します」と述べています。

 ちなみに、上述の本に当たろうと思い、都内でゴールデンウィーク明けに営業を一部再開した書店を数店訪れました。「『空気』の研究」は、どの店でも目立つ場所に陳列されていました。古典の部類に入る有名な本とはいえ、日本を取り巻く「空気」の不思議さを考えていた人が、かなりいるのかなという印象を持ちました。

【参考文献】
山本七平(1983)「『空気』の研究」文藝春秋。2018。
阿部謹也(1992)「西洋中世の愛と人格 『世間』論序説」講談社。2019。毎日新聞「大阪モデルの基準一部変更 休業再要請指標 本来「黄信号」も条件緩和」。2020年5月23日21時3分配信。Available at:
https://mainichi.jp/articles/20200523/k00/00m/040/251000c (Accessed: 30 May 2020)
山中伸弥(2020)山中伸弥によるコロナウイルス発信「大阪モデル 結果を見て基準を変更!(5月24日各社)」。Available at: https://www.covid19-yamanaka.com/cont5/main.html (Accessed : 30 May 2020)

Photo by Ryoji Iwata on Unsplash