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未克服の優生思想―旧優生保護法の被害事例から考える。

優秀な遺伝子を持つ人の配偶者を国家が選定すべきという「見解」を有名ミュージシャンがツイート。

ALS患者の方を「安楽死」させた医者が殺人罪で逮捕。

最近世間を騒がせているこれらの事件に共通するキーワードとして、「優生思想」が取り沙汰されている。しかし、そもそも「優生思想」とはどのような考え方なのだろうか。そして日本ではどのような影響力を持ってきたのだろうか。

優生思想は、単なる考え方の問題にとどまらず、実際にそれに基づいた政策が運用され、そして多くの人が苦しんできた歴史がある。かつて日本では「優生保護法」という法律に基づいて、障害のある方に本人の同意もなく強制的に不妊手術を受けさせられることがあった。その被害者が2018年1月30日に国を相手取って提訴したことを皮切りに、同様の被害者たちが次々と声を上げ、被害に対する謝罪と補償を求めはじめている。

彼女たちの事例を通じて、現代の日本社会にも根強く温存されている優生思想の正体に迫っていこう。

旧優生保護法とは

 1948年成立の旧優生保護法は、戦前の国民優生法をより強化し、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」目的のもとで、遺伝性(第4条)や非遺伝性(第12条)の心身の障害や精神疾患などを対象に、優生保護審査会の審査を経て、本人の同意なしで生殖を不能とする「優生手術」を強制することを認めていた。その背景には、障害や貧困などにより人間を分類し、「経済効率の悪い」人間の存在を否定する「優生思想」がある。優生思想はナチスの断種法に典型的にみられ、旧優生保護法もこの系譜に位置づけられる。

 1996年までに本人の同意なくおこなわれた優生手術は全国で約1万6500件にのぼる。本人の意思に反して手術をおこなうため、国の通知では「身体の拘束」や「麻酔薬使用」、「欺罔」(あざむくこと)といった手段が認められており、「基本的人権の制限を伴うものであることはいうまでもない」とされていた。また、本人の同意があったとされる手術のなかにも、実際には施設への入退所や結婚との交換条件として強制されていた事例が多数ある。

 こうした国の方針のもと、各地で優生手術が推進された。優生手術件数は都道府県によって大きく異なるが、宮城県は北海道についで2番目に件数が多い約1400件となっている。宮城県は、全国的に手術数が減少に転じた1955年以降も増加している点に特徴がある。宮城県の件数の多さの背景には、地域ぐるみの推進体制があった。たとえば1962年の宮城県議会では、「民族素質の劣悪化防止の立場からも、優生保護法の立法の趣旨から考えましても、愛宕診療所(中央優生保護相談所付属診療所)を形だけ整えるというだけではなしに、これを強化していただきたい」との県議の質問に対し、県衛生部長が「病院の機能も発揮させ、またそれに対するいろいろな措置も講じまして、十分使命を果たしたい」と手術の推進を約束していることは象徴的だろう。

 旧優生保護法は、障害者団体や国連の人権委員会などから批判を受け、1996年に優生手術に関する条項が削除され母体保護法へと変わった。しかし、それ以降も国は被害の実態調査も被害者への謝罪も補償も一切おこなっていない。「当時は合法だった」というのがその理由だ。

 こうした流れが変わりつつある。被害者たちが声を上げ始めたのだ。飯塚淳子さん(仮名)は、20年間自らの被害経験を訴えつづけてきた。国の反応は鈍かったが、2017年に日弁連から同法は憲法違反の人権侵害であったとの意見書が出され、そのことを報道で知った佐藤路子(仮名)さんは勇気を奮い起こし、義妹の佐藤由美さん(仮名)の被害について2018年1月に国賠訴訟を提訴する流れとなった。

 こうした流れに押され、国も実態調査をおこなった後に何らかの補償立法を策定する動きを見せている。しかし、6月時点では国は裁判において争う姿勢を示しており、調査や補償立法が十分なものになるのかどうかは依然として予断を許さない。現在、優生保護法に関する社会運動は裁判での勝訴と補償立法の両方を追求している。十分な内容の補償立法を勝ち取るためにも裁判で多くの当事者が声を上げることが必要だと考えている。全国で弁護団による相談ホットラインが数回開催され、100件近くもの被害相談が寄せられており、うちの何名かは各地で国への訴訟に踏み切っている。

被害の実態―宮城県の事例から

佐藤由美さんの事例
 佐藤由美さんは宮城県在住の60代の女性。由美さんが手術を受けたのは、1972年12月、15歳のときのことだ。
 由美さんの義姉の佐藤路子さんによると、由美さんは手術後、日常的に「お腹が痛い」と訴えていたという。さらに30代で卵巣嚢腫になったのも不妊手術が影響しているとみられる。
 路子さんは、由美さんのおなかに手術の傷がいまでも大きく残っていることについて、「犬や猫でさえ、不妊手術の傷は目立たなくするのにどうして」と悲しみと怒りを隠せない。
 最近路子さんが情報開示請求をしたところ、由美さんの手術の理由が「遺伝性精神薄弱(遺伝性の知的障害)」だとされていることが分かった。しかし親族のなかに知的障害のある人はいない。また由美さんの知的障害は遺伝性ではなく、療育手帳には「生後受けた口蓋破裂の手術の麻酔治療の後遺症である」と記載されている。路子さんは「人を愚弄するにもほどがある。強制的に手術するために″遺伝性″という名前をつけたのでは。なんのために15歳、中学生で手術をしなければならなかったのか。私は納得できません」と語る。
 路子さんには旧優生保護法の被害者に謝罪も補償もしない国の姿勢が現在の日本社会にある障害者に対する差別と重なって見えている。「妹の福祉の手続きをしに役所へ行くと「今度は何が欲しいの?」と職員から言われた、とよく母が話していた。役所にかなり嫌がられていた時期があったようだ。現在でも障害者に対する役所の窓口の対応には嫌な思いをすることがある。障害をもっていても楽しく明るく生活できるよう支援してほしい」と語る。
飯塚さんの事例
 宮城県の70代女性の飯塚淳子さん(仮名)は、16歳のときに説明もなく優生手術を受けさせられた。法律が廃止された後に「優生手術に対する謝罪を求める会」へとつながり、自らの被害を20年間訴えてきた。「何も知らされず子どもを産めない体にされた。人生が全て無駄になった。心の傷はいまも消えない」と語る。
 飯塚さんは7人きょうだいの長女として宮城県に生まれた。父親が病弱で、経済的に苦しい家庭であった。家族は生活保護を利用。飯塚さんは生計を助けるために母親の仕事を手伝っていたが、そのために勉強が遅れたことから知的障害者だと誤認され、施設に入所させられた。中学卒業後は知的障害者の生活指導をおこなう「職親」のもとに住み込むことになり、そこでは罵倒を受けたり食べ物を与えられない虐待を受けた。
 1963年1月、16歳のとき、県の精神薄弱更生相談所(当時)で知能検査を受けさせられ、軽度の知的障害を示す「魯鈍」「優生手術の必要を認められる」と診断された。その後、職親から突然診療所に連れ出され、何の説明も受けないまま注射を打たれ、気がついたら卵管を縛る手術が終わっていた。それが子どもを産めなくするための手術であると知ったのは半年後に両親の会話を偶然聞いたときだった。飯塚さんの父は、民生委員から「生活保護を受けているなら、優生手術を受けないと」というでたらめな説明をされ、手術の同意書に「印鑑を押せ」と責められてやむなく押したという。
 飯塚さんも手術の影響で心身の不調に苦しんでいる。生理のたびに耐え難い激痛に襲われ、たびたび倦怠感に襲われるため、仕事もままならず、介護職に就くという夢も断念した。他の仕事に就いても続けていくのが難しい状況もあった。卵管を縛っている糸をほどくため東京都の病院を回ったが無理だった。子どもは諦めきれず、23歳のときに養子をもらった。
 子供が産めないことも原因となって、離婚も何度か経験した。「不妊手術を受けさせられたことで、私の人生は変わった」と飯塚さんは語る。
 「国に補償と謝罪を求める」と決意し、20年ほど前に名乗り出たが、国は手術の記録が廃棄されていること、「当時は合法」であることなどを理由に彼女の訴えを無視。国連から日本政府に勧告が何度も出てもその態度は変わらなかった。他に訴え出る仲間も現れず、独りで声を上げ続けた。そして佐藤由美さん・佐藤路子さんが国を提訴したことが社会的な圧力となり、今年2月に宮城県知事が飯塚さんの不妊手術の事実を認定。飯塚さん自身も今年5月に遂に提訴に踏み切った。「人生を奪った国はきちんと責任を取るべきだ。自分が死んでも被害者が国を追及できるよう、命ある限り被害を訴える」。それが飯塚さんの思いだ。

旧優生保護法の本質

 飯塚さんの執刀医であり中央優生保護相談所所長と同附属診療所所長を兼任した長瀬秀雄医師は1964年、「第9回家族計画普及全国大会」の「宮城県における家族計画事業」という報告のなかで「宮城県における家族計画普及事業は、特に人口資質の向上の問題についても取り組んでおります。……人口資質の劣悪化を防ぐため精薄者を主な対象とした優生手術を強力に進めております。精薄は、現在の医学では不治の病とみなした方がよく、発生頻度も高く、かつ、この人々の多くは自活、育児能力が十分でないばかりか、社会から庇護を受けなければならないのであります」「この実践機関として、昭和37年5月県立中央優生保護相談所同附属診療所(独立機関)が設置され、保健所併設の優生保護相談所、福祉事務所、市町村、地区組織と提携して事業を進めております」と述べている。

 この記録からは「自活・育児能力が十分でない」「社会から庇護を受けなければならない」人口の増大を悪とし、「人口資質の劣悪化を防ぐための……優生手術を強力に進め」る姿勢だけでなく、地域の行政、地域組織が一体となって優生手術を推進する体制がつくられていたことがよくわかる。飯塚さんの事例でも、生活保護のケースワーカー、民生委員、職親が貧困層への差別意識から優生手術を正当化していた。

 飯塚さんは、後年、別の医者から「あなたは障害を持ってはいない」と言われている。また、佐藤由美さんの障害は、幼い頃の手術が原因であり、遺伝性ではなかった。もちろん、遺伝性の障害を持っていれば本人の同意なく優生手術をおこなってよいということではまったくない。旧優生保護法は、遺伝性であるか否かにかかわらず、そればかりか障害の有無にかかわらず、「低価値者」や「重荷」と社会から見なされた人々の産む/産まないの権利を否定するものであった。旧優生保護法の本質とは、こうした人々の生命や人生を恣意的にコントロールし、遂にはその抹消を試みる点にあったといえるだろう。

優生思想の根源はどこにあるのか

 ここで、あらためて「優生思想」の根源とは何かを考えてみよう。そもそも、「障害」というカテゴリーは、純粋に物理的なImpairmentとは違い、社会のあり方が当事者の力を制限してしまうというdisabilityの問題である。障害とは「自然的事実」ではなく社会的に構成された「社会的事実」なのだ。

 近代社会における「障害」は、人間の労働力商品化と深くかかわっている。大規模な工場労働が出現し、それに適合するように人間を訓練し、訓練困難な人間を二流の労働力として選別する学校教育や、誰が労働力商品として適切な人間かの基準と診断を担う医学や心理学などの学問が動員され、人間を市場価値によって選別して取り扱う社会的な権力関係が成立した。人口の大部分が賃労働によって生計を立てるように変化していくにつれ、賃労働に適合できない人間は社会的な承認関係から外されていく。そして、賃労働に適合できない人間や貧困層は価値を生まないばかりか、その生存を保障する福祉には費用がかかるとして、「劣悪な人口」を排除しようという思想が生まれる。これが近代社会において優生思想が発生した理由であった。優生思想は、こうした人々に対する、ある種のレイシズムを媒介にしたジェノサイドだったといえる。

 優生思想は遺伝学の古い理解に基づいたものであり、その遺伝に関する粗雑な理解の多くは今日科学的にも誤りであったと認識されている。しかし、このような「障害」を社会的事実として生み出す権力関係は未だ克服されていない。

 現代日本において優生思想を生み出す社会構造が根強いことをいくつかの事例で確認しよう。たとえば、過労死の労災認定基準に取り入れられている個体脆弱性理論という理屈がある。これは、同じ強度の労働をおこなっていても死亡していない労働者が多数派であることを理由にして、亡くなった労働者が特別に「脆弱な個体」だったとして死の業務起因性を否定するものだ。また、近年認知されるようになってきた成人の発達障害も、長時間労働とパワハラが蔓延する日本の労働環境のもとで、特に「脆弱な個体」が労働に困難をきたすことで顕在化している側面があると推測される。

 過労死については、特に「脆弱な個体」には労災の因果関係を認めず遺族年金の支給もしない、発達障害については職場環境の改善がなされるのではなく(それはコストとみなされる)、個人の労働適応力が低かったことに原因が帰される。近代社会一般が優生思想を生み出す構造を持っているのであるが、日本社会では特に労働者に求められる異常な労働強度と開発主義型の極めて不十分な国家福祉のもと、優生思想が生まれる近代的な権力関係がとりわけ強く維持されているといえる。

 また、生活保護制度の運用においても、露骨なかたちで優生思想の継続がみられる。たとえば2012年3月、京都府宇治市で母子世帯の保護利用者に対し「妊娠出産した場合は生活保護を打ち切る」という内容の誓約書にサインさせていたことが発覚した事件があった。また2016年にも、生活保護を利用する千葉県の女性がケースワーカーに妊娠を告げたところ、出産扶助を出さず「いつ堕ろすんですか」と中絶をほのめかす発言をされたという相談がPOSSEに寄せられた。生活保護の現場では、「低価値者」「重荷」と見なされた人間の産む/産まないという権利に行政が介入する権力関係が実際に働いているのである。

 2016年には神奈川県相模原市の障害者施設で、障害者抹殺の優生思想を持つ元職員が入居者19名を殺害し、施設職員を含めて27名に重軽傷を負わせるヘイトクライムが発生している。この事件について佐藤路子さんは「旧優生保護法が残っている象徴だと思う」と語っている。

 以上の事例は、法律廃止以降も日本社会が優生思想を全く克服できていないことを示しているのではないだろうか。

今後の展望

 旧優生保護法は誰が見ても非人道的な法律だ。その被害者に国が謝罪と補償をおこなうことは当然だろう。だがそれだけでなく、旧優生保護法の問題に取り組むことは、現在の日本社会を、優生政策が全面化し優生思想にもとづくヘイトクライムが頻発するような社会にしないためにも不可欠である。

 本来なら苦しむ人々を救うことが職業的な使命であるはずの医者、看護師、教員、ケースワーカー、民間の福祉関係者などが旧優生保護法のもとで一体となって人権侵害に関わってしまった。いま、日本社会で労働、貧困、福祉の課題に取り組むのであれば、旧優生保護法が提起する問題は避けて通ることができない。

 仙台POSSEでは、仙台市内の個人や団体の有志でつくる「優生手術被害者とともに歩むみやぎの会」に参加し、裁判の傍聴や報告集会の運営、市民向けの公開学習会の開催などの取り組みをおこなっている。関心のある方はぜひ裁判や公開学習会に足を運んでいただければ幸いである。

本記事は、POSSE vol.39に掲載されたルポ「未克服の優生思想と労働・貧困問題の視点――宮城県で声を上げた旧優生保護法の被害者の事例を中心に」を一部改変したものです。

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