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【トークイベント】「コロナとオルタナライフ」(6月20日)

ぽすけん企画第6弾は「コロナとオルタナライフ」をテーマにトークイベントを行いました。出演者は、長野県の間伐材でスノーボード製作に取り組む渡辺尚幸さん、3.11を機に各地のオルタナティブな実践を取材する諫山三武さん、スポーツの抵抗文化や批評性について研究する山本敦久さんの3人です。

まったりトークイベント
「コロナとライフスタイル:PRANA PUNKSとZINE 未知の駅」
出演者:渡辺尚幸×諫山三武×山本敦久
日時:2020年6月20日(土) 18:00〜20:00
場所:zoom(無料・予約不要)

【出演者プロフィール】

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渡辺尚幸(わたなべ・なおゆき)
長野県長野市在住、スノーボードブランド「PRANA PUNKS」代表。間伐材や地域材を活用したスノーボードを自分たちでデザイン・製作し、各地で試乗会や展示会を行いながら流通・販売までを手掛けている。戦後の植林政策によって荒廃した日本の山林の問題や、地域が抱える経済問題に対して、スノーボーダーとして向き合い、大量消費や資本主義の価値とは異なる価値を提起し続けている。ギタリストでもあり、またカホンクリエイターでもある。
Web:PRANA PUNKS Snowboarding

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諫山三武(いさやま・さぶ)
編集者/大学非常勤講師。3.11後、「Alternative Lifestyle」(もう1つの生き方)をテーマにしたZINE『未知の駅』を創刊。パーマカルチャーやモバイルハウスなど、資本主義に巻き込まれながらも、それとは異なる生き方を各地で思考・実践する人たちを取材し続けしている。所属は株式会社未知の駅(代表)と武蔵大学(非常勤講師)。最近は薬草とヨガにハマっている。小社の新刊『薬草仙人の手帖』(井澤嵯壽著, 未知の駅, 2019)発売中。twitter: @michino_eki web: 株式会社未知の駅

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山本敦久(やまもと・あつひさ)
成城大学社会イノベーション学部教員。専門は、スポーツ社会学、カルチュラル・スタディーズ、身体文化論。著書に、『ポスト・スポーツの時代』(岩波書店、2020)、『反東京オリンピック宣言』(小笠原博毅との共編、航思社、2016年)、『やっぱりいらない東京オリンピック』(小笠原博毅との共著、岩波ブックレット、2019年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(田中東子、安藤丈将との共編、2017年、ナカニシヤ出版)など。

【トークテーマ】

コロナと外出自粛によって大打撃を受け、ある種の「停滞状態」に陥ったグローバル資本主義経済。ニュースでは「日常を取り戻す」といった言説が飛び交っているが、果たして本当に「コロナ以前と同じ状態に戻る」ことなど出来るのだろうか? むしろ、私たちはもう不可逆で、さまざまな変化をせざるを得ない時代に、否応なく突入させられているのではないか?
今回のトークイベントでは、ポストコロナ時代における人々のライフスタイルについてどのような在り方が考えられるのか、また、コロナによって「リアル」や「生身」の価値がどう変わったのか、これからの共同体は「ソーシャル・ディスタンス」とどう付き合っていけばいいのか、といったイシューについて、まったり2時間トークしていきたい。
出演者のPRANA PUNKS代表の渡辺尚幸は、長野県を拠点に間伐材や地域材を使ったスノーボードをつくりながら、〈遊び〉と〈環境問題〉を繋ぐ回路(渡辺が「ウッドコア繋がり」と呼ぶネットワーク)をミクロな活動の中で展開している。
『未知の駅』編集長の諫山三武は、渡辺のような各地でさまざまな形で展開されるオルタナティブな実践について、3.11後から取材を始め、それらを「ZINE」と呼ばれる自費出版物の一形態として発行しながら、大手メディアが取り上げないような問題について議論を共有する場づくりを行っている。
山本敦久は研究者という立場から、この両者の活動を長年ウォッチしつつ、持続可能なライフスタイルを提起するオルタナティブなスポーツの批評性や可能性について分節化を試み続けている。そんな3人で、ポストコロナをめぐる生活の変容について、新たな視点や言葉を模索してみたい。

【トークのポイント】
・恩寵としてコロナを捉えてみる
・ポストコロナ時代における「手触り」とは?
・ソーシャル・ディスタンスはどんな人の関係性をつくるのか?
・自立したカルチャーやスモールな経済圏・流通を独自につくりだすこと
・必要以上に稼がない、「食うために食う」思想とは
・国ではなく自分たちが決めるディスタンス(距離)
・不安の中で暮らしていくこと
・自然と人間、食べ物と人間、人間と動物、人と人といった関係性を編みなおすエージェンシーとしてのモノ
・ポストコロナのzineとウッドコア
・ソーシャルディスタンスと手触り、あるいはzoomとzine。一見すると矛盾するようなもののなかに、オルタナライフがあるのではないか?

【備考】
1. PRANA PUNKSの渡辺尚幸のインタビューがこちらからPDFで閲覧できます(ZINE『未知の駅』Vol.6「つくる」特集:「呼吸するスノーボード」、2016年 に掲載)。スノーボードブランド設立の経緯、地域経済や現代人のライフスタイルの問題に鋭く切り込んでいます。

2. ZINE『未知の駅』創刊の経緯についてはこちらから記事が閲覧できます。

ーーー以下、トークの記録ーーー

【ぽすけんについて】

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山本:今日で「ぽすけん企画第6弾」です。この「ぽすけん」は、コロナ状況下でなかなか会えないので、それが現実の代替になるとはまったく考えてはいませんが、ひとまずzoomのようなものを使って、話したり発信したり、そこで議論したりする場所をつくっていこうということから始まっていったわけです。前回(ぽすけん企画第5弾)は、「オリンピックとコロナ」というテーマでやりました。オリンピックが「原発ムラ」ならぬ「五輪ムラ」というものを産官学で形成していて、そこでいろんな利権や象徴性やキャリア形成の構造ができあがり、また電通がそこにどうコミットし、ソリューションビジネスを仕掛け、オリンピックという政治・経済・スポーツを複合した権力の仕組みが動いているのかということを議論しました。その前(ぽすけん企画第4弾)は、「オンライン・フェミニズム」をテーマにして行いました。2回とも想像していたよりも反響が大きいです。トークの内容は、noteに記事としてUPしていますのでぜひ読んでもらえればと思います。特にフェミニズムは反響ありました。これも今月末にテキストで読めるようになるかと思います。

 というわけでフェミニズム、反オリンピック、それにつづいて「コロナとオルタナライフ」ということで今日のぽすけん企画というか、まあ「番組」的なものをやっていこうと思っているところです。最初に、、あ、僕がMCでいいんですか? はい、では。

【zine×snowboard】

 僕は成城大学で教員をしています山本敦久です。どうぞよろしくお願いします。スポーツ今日は、僕以外にお二人のスピーカーに出演していただきます。おひとりは、みなさんの画面からどう見えてるかわかりませんけども、タバコをふかしているのが、僕らは「ナベさん」と昔から呼んでいる渡辺尚幸さんです。

渡辺:こんにちは。

山本:ナベさんは、プロのスノーボーダーですが、単にスノーボーダーっていうふうに説明するわけにもいかなくて。ここで説明しすぎると、みなさんにいろんな先入観が入ってしまうかもしれないので、そのへんはナベさんの話を伺いながらということで。なぜスノーボードが入り口なのか、なぜオルタナティブなライフスタイルが大事なのか、なぜコロナ禍でそういう議論が行われるのかということは、トークのなかで紐解いていければと思っています。
 お二人目の出演者は、諌山三武さんです。『未知の駅』というzine、いわば手作りの冊子を作っています。「さぶちゃん」って今日は、いつもどおり呼ばせてもらいます。

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 さぶちゃんは、このzineを通じて、小さな商業圏というか手作りのネットワークのような人の集まり方を楽しんでいます。『未知の駅』は、それを媒介にしてあくまでスモールサイズでの商業圏やネットワークや共同体を作るためのひとつの入り口になるようなものだと思います。そのような意味で、さぶちゃんの手作りの試みもオルタなライフスタイルと言えるでしょう。
 
 それでは少し本題に入っていきたいと思います。ナベさんはある場所というか、あるネットワークのなかでとてもリスペクトを集めています。スノーボーダーで、ナベさんを知らないとそれは「潜り」ということになります(笑)

渡辺:いやいやそんなことないですよ(笑)。

山本:もしかしたら感度の高い世界中のスノーボーダーは、ナベさんを知っていると思います。2014年からPRANA PUNKS Snowboardingというブランドをやっています。それ以前は、Green.Labというスノーボードのプロジェクトを中山二郎さんたちと一緒にたちあげました。Green.Labも、とても魅力的なスノーボードブランドで、これまた感度の高いボーダーたちの注目を集めるプロジェクトです。

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 これはPRANA PUNKS のカタログですね。ナベさんは、このようにスノーボードの板をつくっています。長野県の間伐材を使った板をつくっています。

zineとスノーボード。今日はこの2つが掛け合わされたところにオルタナティブなライフスタイルという議論をつくりだしてみようと思います。おふたりとも、ここから1時間半くらいですけどお付き合いください。今日は「まったりやる」と掲げていますので、まったりとトークをしていこうと思っています。その方が二人の持ち味も出てきますから。じゃあどうしようかな。最初はさぶちゃんから行きましょう。ナベさんは今日が記念すべきzoomデビューですし(笑)。

渡辺:さっき通信が切れちゃったけどね。もう焦っちゃうよね(笑)。

山本:それでは、さぶちゃんから「未知の駅」がどういう流れで出来上がったのか、さぶちゃんがこれをどうして作ろうと思ったのか、この冊子を通じてどんなことを表現したり、どんな人と出会ったりしたのかとかをお話いただきたいと思います。

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諫山:諫山三武です、よろしくお願いします。編集者をやっています。8年前に大学を卒業して以来ずっと、こういう、雑誌であるとか大学で発行される刊行物とか書籍とか、こういうものをつくっているんですけれども、こういうことの原点が大学4年生のときからつくりはじめた『未知の駅』というタイトルのzine(少部数の自費出版本を指す言葉)です。

山本:大学生のときだったっけ?

諫山:作り始めたのが大学4年生で、出たのが卒業した後ですね。何が書いてある本なのかと言いますと、今日のテーマでもある「オルタナティブライフスタイル」について。具体例から話します。最初に僕が取材したのが熊本県高森町というところに、東京から家族連れて引っ越しをしてそこでパーマカルチャーという自給自足みたいな暮らしをしている人がいるんですけども、その人の家にたまたまご縁があって行く機会がありました。その人の話を書いて、電気を使わない暮らしとか、ガスを使わない暮らしをしているということを知って、なんでそんなことをやってんの? って話を聞きに行ったのが最初でした。それをきっかけに、「ちょっと変わった生活」じゃないですけど、資本主義とはちょっと異なる生き方をしている人たちを取材するようになりました。自分たちで自分たちの生活をつくっていったりとか、自分のところで出たゴミや排泄物をまた資源として循環させていく。そういう暮らしをしている人、あるいはやっていないけどそういうことを考えている人たちを取材したり原稿書いてもらったりしながら、今まで作ってきたという感じです。
 実はこれ、活動が3〜4年くらい今止まっていまして、2016年の6号が直近なんですけど、これがモノづくりをテーマにした特集で、そこでナベさんにどういうモノづくりをされているのか、話を聴きました。ちなみにこれに関してはnoteの記事の最後にリンクが貼ってあってナベさんの記事が全文無料で読めるようになっています。貼ってありましたよね?

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渡辺:そうだね、「呼吸するスノーボード」。ナイスコピー。

諫山:ありがとうございます。とりあえずそんな感じですか?

山本:聞いていて思い出したけど、僕もこの創刊号で「Critical Ridingーヴァナキュラー横乗り文化(長野編)ー」って記事書いてるんだよね。

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この記事でナベさんが登場してるんだよね。当時はGreen Lab.でナベさんが板を作っている頃。2004年くらいですよね? Green. Labをやり始めたの。

渡辺:そうだね。2004年、2005年くらい。

山本:その頃、長野県の菅平や峰の原に行って、ナベさんや中山二郎に会って取材していました。『未知の駅』の創刊号に書いたのはその頃に取材して考えたことです。だからすでにここでさぶちゃんとナベさんは実は会ってるんだね。

諫山:そうなんですよね。で、僕、編集者でもあり、あと武蔵大学の社会学で1年生にレポートの書き方や本・論文の読み方などの講義をやっているんですけれども、もともとそういうことをやっていた人じゃなかったんです。むしろ大学2年の秋まで図書館の使い方を知らないっていうくらい、活字と関わりのない人生を送ってきたわけです。どちらかというとサークルで演劇をやるとか、ゴスペルをやるとか、あるいは15歳のときからずっとヒッチハイクをやっていていろんな人に車に乗せてもらいながら旅をするという、どちらかというとアクティブな活動とか表現活動をずっとやっていたわけです。
 じゃあなんでそんな人間がこんな編集や出版の仕事をするようになったのかと言いますと、この『未知の駅』というzineがキッカケでした。これが最初に出たのが2012年だったんですけど、その前年の2011年といえば3.11ですね。ちょうど3.11の時、僕は大学4年生でした。そこで東日本大震災と原発事故がありました。それまで大学の授業やいろんな研究会について社会問題に触れてはいたけど、どこかリアルに感じられなかった。どこか他人事な感じがあったんですけど、急に3.11の時にリアルな感じがしたんです。今のコロナもそうですけど、マスクをするのかしないのか、出かけるの出かけないのか、とかそういう問題に直面していました。
 今の大学生たちだってzoomで授業をやってて、もろにその影響を受けているわけですよね。そういうことが当時の自分にも降り掛かってきた。そういう時に、例えば放射能汚染のリスクがあるけど、外が雨の時に、濡れながら歩いてていいのか、スーパーの食品は普通に食べてていいのか、実はよくわからない。国は「直ちに影響はない」と言うけれども、まわりを見ると人によって意識の差が全然違う。すごく気をつけている人は必ずマスクをつけて外出していたし、産地もよく選んで牛肉はオージービーフにしたり、野菜は九州のものを選んだりとかしてて。どれくらい自分が気をつけたらいいのかというのもよくわからなったんです。

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 2011年の夏、樋口健二さんという原発報道写真を撮っている人でこの人が大学で講演をしてくれる機会がありました。この人は日本の原発内部で働く人達の被曝労働の実態を公にして、その写真が「週刊金曜日」の表紙なんかにも使われていたわけですけれども、その時に、普段自分たちが使っている電気というものがどういうところで作られてて、どういう人達がどんな働き方をしていてつくられたものを使っているのかということに初めてそこで気づくわけです。さらにそういう意識がいろんなことに連鎖していって、じゃあ食べものや水って誰がどこでつくっているんだろう、とか考えていくわけです。
 ファストファッションなんかも安いから買っちゃいますけど、made inバングラデシュとかベトナムとか書いてあってそういうことの裏側の世界とか。今まで考えてこなかったけど実は国外の工場で非常に劣悪な労働環境で賃金もそんなにもらえないような実態とか、そういったことを積極的に知るようになった時期というのがあったんです、それが大学4年生のときだった。
 じゃあどうしよう? と。今すぐに自分の生活を変えられるのかというとお金もないし、すぐ畑があるような土地があるわけでもない。原発デモに行ったりもしたけど、問題が大きすぎて、自分にはどうしたらいいのかよくわからなくなった。で、どうしようとモヤモヤ考えていたときに、たまたまヒッチハイクで実家の福岡まで帰るときに草津PAというところで出会ったおじさんが熊本に行くといったので、途中福岡まで乗せてってくださいって言ったんですけども、熊本まで何しに行くんですか? って聞いたら、いや実は電気も冷蔵庫もなしで自給自足の暮らしをしている人がいて、それももともと田舎暮らしをしていたわけではなく、東京から引っ越してきて、やりながらいろんなことを覚えてやっている、その友達がいまログハウスをつくっているからそれの手伝いに行くんだ、という話を聞いて。ほお。なんか面白そうだな。その時の自分の興味関心とつながったんです。それでそのまま「よかったら泊めてもらっていいですか?」「僕も手伝います」と言うと「いいよ」と快諾してくれて。それでその日のうちに、熊本まで一緒に行っちゃったわけです。そこで電気を使わないような暮らしとか、なんでそういう暮らし方をしているのかとか、パーマカルチャーという文化と出会ったりして、結構がつんとやられたわけです。こんな生き方があったのか、と。今まで自分の知ってた暮らしと違う暮らしをしている人たちが実は田舎のいろんなところにいろんな人達がいるぞと。で、東京に帰ってきていろんな人達にその話をしていたら「それ面白いじゃん」って話になりまして。なんか記事にしたらいいじゃんって言われて、そのときにブログとかにしようかなと思ったんですよ。そこに記事を書いて広めようかなと思ったんですけど、なんかそのころに「zine」というものがあるらしいと知って。つまり出版社に頼まずに自分たちで勝手に紙に書いてホッチキスで留めて、自分たちで流通させる、それもマス向けじゃなくて友達とか友達の友達くらい、せいぜい100〜200人くらいが読んでくれるようなものをつくっている友達がいて、あ、じゃあ自分もzineにしてみようかなって思ったわけです。

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 ヒッチハイクで乗せてもらって、お別れする時とかに、例えば「僕ブログやってるんで」って言ってURLの書いてある名刺を渡しても、果たして何人の人が実際に検索してたどり着くかっていうとわかんないけど、「僕こんなのつくってます」って言って、zineを渡したら、へぇ〜って言ってその場で手にしてパラパラめくって見るという動きが生まれるんですね。その人にとってはなんだか小難しい話が書いてあるかもしれないけれど、「なんかよくわかんないけど、ヒッチハイクやってるやつがいて、こんなのもらったんだ」って職場でやりとりしてたりするらしいんですね、どうやら。そういう手触りとか、モノの面白さというのを感じて、2012年から作り始めたわけです。とりあえず形にするということだけを目的にやってきたわけですけど、意外と反応や反響があって、私がデザインやってあげるとか、校正は私がやるとかっていう風に、あれよあれよという間にちょっとしたコミュニティみたいなものができて、趣味で始めたはずが、「さぶちゃん編集者だよね」っていう認識に変わっていって、遊びが仕事になっていった。最初の大きな仕事が大学の冊子をつくることで、そうやっていくうちに、だんだん仕事になっていって大学卒業後は会社をつくて8年間、自分の出したいもの、例えば最近は薬草に興味があるので薬草の書籍をつくったりしています。

山本:ありがとうございます。最初から明確なヴィジョンがあったというよりも、自分の出来る範囲内で何が出来るのかなって考える。本を出そうっていったら、まず販路がなきゃとか、出版社通さなきゃとか結構ハードルがあるけど、zineだったら、紙と鉛筆とホッチキスがあればできるというところから始まっていって、いつの間にかそこに人が繋がっていく。手作りの冊子を介して人が集まるということ自体が、ひとつのテンポラルなコミュニティになっていくということだね。そういうことを楽しんでいくというのが、さぶちゃんの入り口だったということかな。

【ウッドコア(芯材)へのこだわり】
 次はナベさんにお話伺いたいんですけども。2004年のGreen.Labの立ち上げから聞いてみたいです。間伐材でスノーボードの板をつくるっていうところからお話してもらえるといいかと。

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渡辺:そうだ、2004年。グリーンラボが2004年に、いまの二郎君と一郎君とで、3人でスタートして、そのときは、うーん。自分たちのスポンサーが、自分たちはこれから先どうしようとかっていう、たとえばじろうが26〜27歳くらいのころに、いろいろ話して、ずーっと続けていきたいから、ずーっと続けるにはどうしようっていうときにじゃあスノーボード、今まではスポンサーから頂いていたものを、自分たちではつくれないのかっていうところにいったんだよね。まず頂いていたものからそれを「自分たちでつくる」っていうことに対して前向きに考えた時に、でもほとんど無名のスノーボーダーがそんなことできるのか、つくったとしてもそれは果たして売れるのかって、いろいろ考えたんだよ。でもとりあえずは、つくって、二郎がいま住んでいる菅平を中心にとか、長野を中心にって、いろいろ浅はかな考えではあったけど、つくることに進んだんだ。でもその時になにか自分たちの特徴が、どこかで見い出せないかなっていう時に、たまたまおれが昔、長野で世話になった「木こりデザイン」っていうところがあって、そこはカラマツに特化した観光土産物とか、おもちゃとかそういうものをつくってて。で、すごい信念がある所長で、カラマツしかやらない、カラマツで何か出来るんじゃないかっていうところだった。

山本:カラマツで工芸品をつくってる人ってことですね。

渡辺:そうそう、今もそれちゃんとやってて、「カラマツの時計」っていうブランドで、「木こり」っていうところがあって、もうかなり長いと思います。僕、そこに2~3年近く在籍してて、その間にちょっとだけ、カラマツって、すごい目が通ってていいなって思ったんだけど、離れたんだよ。でも付き合いはずっとあったから一度、カラマツを長野県のカラマツ利用促進っていう、切り口でカラマツを使ってみようって思って、また「木こり」さんへ行って、ウッドコアっていう形のものを見様見真似で貼り合わせて、それでちょうどその時、長野県も県の林務としてカラマツをどうやって利用促進していくかっていうところがあって。知り合いに、松本の方で学校の机とか子どものイスとかをつくってPTAを介在して広めて行った人がいたりして、やっぱり少なからずカラマツを身近なところで利用促進していくのが、長野県の地元の木ということで、やっぱりいいなって思って。で、県とか県の企業局や、あと森林総合センターとか、いろいろ足を運びながら、カラマツってどうですかね? っていう形でやってたんだけれども、まずその時に言われたのは「まぁ渡辺さん、そんな強度やいろいろなこと考えるよりもまず、つくったほうがいいよ」って言われて。

山本:ここで言われているカラマツっていうのは間伐材としてのカラマツっていうことでいいの?

渡辺:間伐もそうだし、当時は間伐間伐っていうのが、時代背景にあったんだ。その時代背景というのはCO2の京都議定書以降の吸収源という、効率化を図るための間伐。つまりいい木を育てることで、だめな木を淘汰して、その木は使いものにはならないけれど、っていうか。間伐って、いい木を育てるための土台、踏み台だからさ。

山本:間引きをすることで、山の生態系に活力を与えていくってことですよね。

渡辺:そういうことだね。その木は本来使えないってわけじゃないけど、経済効率のなかではさ、お金にならないから、往々にしてその場で捨ててしまっていたわけさ。ただそれをもう一度、間伐材をもったいないっていう意味合いのなかで使っていこうとしたのがさっき言ってた「木こり」っていうところで、それを修正合材にしてつなぎ合わせて、1つの合材にして、それを加工していくっていうスタイル。そうしてようやく用途がでていったんだけど。

山本:スノーボードの板って、視聴者のみなさんも見たことはあるとは思うけど。いまナベさんが「ウッドコア」って言ったんだけど。そこんとこ、もう少し詳しくお願いできますか。多くの人はスノーボードの板って、いわゆるすでに出来上がった完成形のスノーボード板だと思ってる。

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渡辺:ああそうだよね、グラスファイバーのね。

山本:ナベさんが言った「ウッドコア」というのは、コレの前の一歩手前の工程だよね。

渡辺:そうそう、中に入っているのが木なんだよね。

山本:竹崎さん(スタッフ)、なんか写真なかったっけ? ナベさんのウッドコアの写真。

竹崎:ちょっと待ってくださいね。

山本:これ多分みんな想像つかないと思うから見てもらった方がいいと思うんだよね。要するに山で切られた間伐材で、使い所がなかなかないっていう状態になっている木ですよね。

渡辺:うんうんうん。

山本:これがウッドコアだね(写真を見ながら)。板になる前なんだよね。

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渡辺:そうそう、中に入っているものだからね。これをつくっているわけなんですよ。

山本:これが合成材、集成材ってことなんですよね。角材を接ぎ合わせてつくっていくんですよね。

渡辺:まあまあ、大雑把に言えばそうだね。うーんとね、これは、さっき言った間伐っていうのは、節があったりヤニがあったりして使えないところなんですよ。材としてはあまりよくない材なので、使えるところだけをつなぎ合わせてるものなんですよ。最初、2004〜2005年はしばらくそれを使っていたのさ。間伐の小さい合材をつなぎ合わせて使っていたんだけど、最近は、最近のことだけ言うと、間伐っていう問題ではなくてさ、山全体が。森林や林業全体が。「間伐を使おう」じゃなくて、もう木を使うことを大きな目的にした方がいいんじゃないかなと。例えばペレットストーブっていうのが出てきたり、間伐材を材にするよりかは燃やせる燃料にした方が手っ取り早いんじゃないんですかって話で。ペレットにした方が効率性いいからって話になっていくんだ。今多分二郎もグリーンラボ的にもそうなんだけど、一本のモノを主軸にして、とにかく、「山の地域材を使っていく」っていう方向に俺は考えていて、間伐材を使っているから良い悪いでもなく、今は日本の木を、日本のみんなが、身近なものに変えてでもモノを使っていくっていうことの方が大切かなぁとは思っている。

【乗り味という感性】

山本:PRANA PUNKSは2014年から始まりますよね。グリーンラボは間伐材から始まっていったけどPRANA PUNKSでは、素材の使い方や選び方が変わってくるわけですね?

渡辺:それはそれぞれのニュアンスがあるけど、俺もグリーンラボ的に考えたらやっぱり地域材や目の前にしている材をいかにして使うのかっていうのが一番大事なことなんじゃないかなあとは思った。いくらいい材やモノがあっても、すごい遠くの遠隔地にあったら、それを運んでこなきゃならないからコストがかかってしまって。それだったら、身近なところで自分が納得するいい材をチョイスしたほうがいいと思うし。僕ら結局長野に住んでるから長野ではいろんな材があって、いろんなものにトライできるし、いろんな材を使ったモノづくりができると思うんじゃないか。

山本:去年、ジェイク・バートン(※世界屈指のスノーボードブランド「バートン」の創始者)が亡くなりました。スノーボードと言えばバートンっていう世界的グローバル企業があります。バートンのスノーボードって、最初はナベさんたちみたいに、自分の手で作って、手売りしてたんだけど。やがてグローバル企業になっていって、雪を見たこともないような人たちが、アフリカでスノーボードの板をつくるようになる。その生産物としての板を船に乗っけて、大きなコストと多くのCO2を排出して、ヨーロッパとか日本の中産階級の若者とかに高い値段で売られていくってなっていくわけじゃん。ナベさんたちは、それとは違うスノーボードの流通や価値を考えているっていうことだよね。

渡辺:そうだね。やっぱりこだわっているのは日本で言葉が通じて、温度がわかって、しかも、そのすべてがなんかそれぞれの人にこう、経済であったり、いろんな面で恩恵が行き渡るような、それは国産でしかないような気がしててさ、どう考えても。グローバルはやっぱり人件費やらの問題があるからそうなんだなぁとは思うけど、俺たちはもうちょっと、地域とともに。雪のある地域とともに、雪の上を滑る人が納得できるような、しかもその中に入っている芯材が目に見える芯材であって。つくってる人も目に見える人がつくっているっていう。そこらへんが一番、大切だっていうことでやってて。俺たち、本当に、ぶっちゃけそういうところが、自分たちの商いというかさ、仕事の中で一番のポイントだと思ってる。夏の暑い時に汗をかいて、冬の仕事をするんだよ。暑い時に板を貼って、冬、これがどういう形で誰のところにいって、どの山で滑るのか。最初の頃、2005、2006年くらい、グリーンラボをスタートした時はカラマツでスタートしたけど、カラマツ林を滑った時「やっほー!!!」みたいなこと思ったし、この板はわかるよな、この森の中で滑って...っていうなんか、この自己満足度が凄く高くて。そういうのがもっと広く多く伝えていけたから、今もう長いよね。15〜16年やっているから。

山本:いまはPRANA PUNKSという新たなブランドでいろんな実験をやっているんですね。さぶちゃん、ナベさんが言ったような、地元で採れた木材で自分の遊び道具をつくって、それが生えていた地元の山で、カラマツ林の間をすり抜けて「やっほー!!!」みたいな、そういう感じってある?(笑)

諫山:「やっほー!!!」はねぇ(笑)、zineに関して言うと別に地域材使ったりはしていないので、ないですけど。でもちょっと違うけど、やっぱり自分たちの言葉を自分たちで発信するっていうところじゃないですかね。ナベさんのこのカタログもそうだけど。本を出すってなんだかハードルの高いことだと思われがちじゃないですか。ちゃんとしてなきゃいけないとかって感じがするけど、書きかけであっても手書きでぐちゃぐちゃでも、そのままであっても、それも含めてあなたの声だよっていうことを考えると、結構僕のところにzineつくりたいですって相談しに来る人多いんですけど、やっぱり満足度高いですもんね。愛でるというか、ずっと完成したzineを触ってますよね。そういう「やっほー!!!」はあるかもしれないけど。

山本:ナベさんもプロのスノーボーダーだから、いろんなメーカーやブランドから道具を提供してもらって滑っていく。でもそうじゃなくて、自分たち手で作ってっていう、DIY的な営為が重要になってくる。さぶちゃんもスポンサーがあるわけじゃないじゃん。先週のオリンピックのトークイベントは、その真逆の議論をしていたんですよ。電通なんていうさ、自分たちでなんにもつくんないで、中間に入り込んで莫大な富を得ているっていう資本主義の構造があるわけだよね。それに対して、ナベさんとさぶちゃんは、スポンサーっていうところからできるだけ自由になるというか、そこじゃないところで自分たちの自由な表現をしようっていうところで発想はかなり近いところがあるよね。

諫山:そうですね。zineって他に、リトルプレスとか同人誌とかミニコミとかって言い方されますけど、ミニコミっていうのはミニマムコミュニケーションの略で60年代くらいから言われるようになったんですけど、要するにマスメディアの反対語として出てきた言葉なんです。そういう中で、たくさんの人たちに読んでもらえなくても自分たちのことをわかってくれるような人たちに届けるっていう感じですね。

山本:ナベさんが、自分で作る板に乗るっていうことは、まさにzineを手にすることと一緒かもしれない。よくナベさんが言うんだけど、「乗り味」という感性。特別な身体のコミュニケーションですよね。木(板)と人間の足の間に生み出されていく独特の身体的感性。そのあたりの身体と自然の対話のような感性について聞いてみたいなあ。

渡辺:乗り味もなんか善し悪しで。なんだろうな。

諫山:これちょっと紹介していいですか? ナベさんが『未知の駅』の6号で「乗り味」について語っているところがあるんで。要は万人ウケするものをつくらないということなんですよね。ちょっと引用してみます。

スノーボードの世界では俺たち、乗り心地のことを「乗り味」 とかって言うわけ。「味」って、ものすごく趣味性の高い領域じゃん。俺たちは大量生産のモノづくりの良い面も悲しい面も両方見てきたけど、最終的には「音」とか「乗り味」みたいな感覚的な部分で評価していくわけなんだよね。
 
スノーボードってもう形ができあがっているでしょ。だとしたら今度は素材で変えるしかない。そこで目をつけたのが木曽ヒノキだった。木曽ヒノキはよくしなる。そういう”キワ”の部分だよね。キワって癖のことだから。癖は面白さだし、魅力なんだよ。
 
PRANA PUNKSがやったことっていうのは、ヒノキっていう癖を最大限一般化させないで、ヒノキをキワまで突き詰めたモノづくりをしたっていうことなんだ。だからそれに対してはそれなりの評価がある。軽くてしなやかでこんなに反発があっていいねって。でもそれはキワだから。万人受けするモノではないっていうのは当たり前の話なんだよね。それにサイズや体重だってあるからグローバルにモノを考えることもできない。俺たちが乗ってる体重に沿うような人じゃないと無理でしょう。体重が100キロいったらそれはさすがに乗れないよねぇって。そういうような感じ。俺たちも売れればいいなとは思うけど、明らかに無理でしょうっていう限界はある。
『未知の駅』6号「呼吸するスノーボード」渡辺尚幸さんインタビューより

 この場合は木曽ヒノキを使ったスノーボードですけど、その癖やキワというところを好んで使ってくれる人たちに届けばいいよね、っていう話ですよね。

渡辺:そうなんだよね、基本的はさ、大きな商売やグローバルではなくて、もっとちっちゃな、年間200本としたら、あと種類が何種類だから、そんなにたくさんはつくれていないわけよ。で、大きな商売を目指しているわけではなくて、そこそこほどほど、くらい。自分も含めて仕事に対して煩わしくない仕事。自分一人がこなせる範囲の生産量ぐらいがベストだと思ってて。1年間でやれて。そうするとさっき言ったみたいに全ての人の分を補えるっていうわけではなく、限られた感覚を、乗り味を楽しめる人...くらいかな〜っていう、なんていったらいいのかな(笑)。わかってもらえる人にはわかってほしいなって。さっき言ったみたいに表と裏だけを見ていたら、この中に木が入ってるなんて思わない人が多いかもしれないじゃない。「これ木でできてるんですかー」とかって。だから、なんか、そうじゃなくて、いろんなものを乗り比べていってヒノキがこんなにも跳ねたり軽かったり、しなったり、サクラがこうです、クリがこうですっていうそういう次元の楽しみ方、遊び方の人たちであって、俺はいいかなって思ってる。

山本:このナベさんのスノーボードのカタログを見ると、それこそ木曽ヒノキを使ったり、キハダを使ったりだとか、まぁ長野に生えているいろんな木が使われているんですよね。カラマツの間伐材から始まったプロジェクトですが、最近は、長野県の標高1200m前後のところに生息する木を使って、しかもそれを「ヒノキ×キハダ」みたいに掛け合わせてウッドコアをつくっているんですね。ヒノキとキハダを混ぜ合わせたウッドコアをつくったりとか、そういうことをやってんだよね。こういう山の再発見、素材の再発見、組み合わせの再発見っていうのがあるんだよね。

渡辺:適材適所っていうこともないかもしんないけど。うーん、適材適所っていうか、やっぱ木はいっぱいあるじゃん、種類は。それにうまくスノーボードという乗り物に合う・合わないもあると思うんだ。それをなんか自分の趣味というか、やりたいことの中でチョイスして、いろんなものを混ぜ合わせて感じてみるっていう。その結果を販売しているということではある。だから、毎年毎年出してる...、去年一昨年はいろんなパターンを組み合わせて、いろんなことやったんだけど最近はこのキハダとヒノキのミックスが1つのスタンダードイシューにはしたいという欲があって。今はそこを1つの基準みたいな。自分の中のニュースタンダードを築いてる最中なわけさ。

山本:キハダと木曽ヒノキを混ぜ合わせるとどうなるんですか? 乗った時に。

渡辺:ヒノキは基本的にはなんか良い木だなぁって。フレックス、軽さ、硬さ、しなり等含めても。やっぱり良い木だと思う。ただそれに合う...、それだけで全てではないと思ってて。例えば、車のショックアブソーバーにはスプリングとかオイルとか、ダンパーには減衰力やらいろんな力があって、しなる力と押さえる力のその両方が必要で。ヒノキだけでは、こう、ある一方向からのフレックス、反発しかなくなるから、それを押さえたり伸ばしたりするのがミックス、っていうところがあるので。そこらへんをヒノキをベースにして、いろんな材をインサートすることによってその幅がもうちょっと見えてくるから。サクラはサクラなりの「返り」があったり、キハダはキハダなりの「ねじれ」のスムーズさがあったり。そういうのがそれぞれの木の木種によって、違うんだ。自分もやってて楽しいし、例えばお客さんもそれぞれハードユーザーの人はやっぱ、何年のサクラのあの材、あのコアと、今年のコアの違いが明確にわかったり。で、自分のスタイルにあった、自分が滑るところに合った板をチョイスして使っていったり、なんかそういう、楽しみがある。それができるのが俺たちみたいな小さいブランドが提案する方法論じゃないかな。そこにキャッチボールができているような気がしている、今。

【繋げること/切り離すこと】

山本:ナベさんのつくった板に乗るっていうことが人を繋げていくんだよね。さぶちゃんのzineもいろんな人を繋げていくんだけど、ここで大事なのは、同時に切り離してもいるということなんだよね。言い換えると、選んでいるというか。要するにナベさんの板に乗ることは、まぁバートンもいいけどバートンとは違う板に乗ってみるみたいなっていう意味もあるんだよね。グローバルな流通での消費もあるけど、そこから切り離してみるというか。なんでもかんでも繋げればいい、あるいは繋がればいいみたいなそういう意識高い系のSNS的感性じゃなくて。繋がるけど、切り離すみたいな。節合と切断の同時性のような感性があるんだよね。さぶちゃんだってこういう媒体を持つということは、従来の出版形態とはちょっと違うっていうことをあえてやってるわけだから。人は繋がるけど、どこかで線引きはされる。だから繋がることと切り離すことがいつも一緒にあるような感じがする。

渡辺:今のさ、コロナの関係でさ、テレビのニュースとインターネットのニュースでは違うじゃん。もうまったく違うような気がしてて、俺たちもなんか自分たちの主張がそこにはないと、せっかくこの世界で良い雪の多い国でスノーボードをつくってるっていう、なんか本質的な部分が逸れちゃうような気がしてて。絶えずニュースを出していきたいっていうか。発信していかなきゃとは思ってる。

諫山:そうだと思います。ナベさんのブランド名に「パンクス」って名前がついているところが結構ポイントだと思うんですよね。なんでかと言うと、結局zineもイギリスのパンクロッカーたちがつくったりしてたんですよ。要は俺たち全然ギター下手くそでかきならしてるけど誰もCDにしてくんないからCDを自分たちつくる。つくったはいいけどどのメディアも取り上げてくれないから、自分たちでzineにして配って、最終的にはレーベルなんかもつくったりする。ナベさんたちを見ていてもそうだけど、世界で一番働いているのはパンクスたちなんじゃないかって思うぐらい、0→1をやっているんですよね。既にある何かに乗っかるんじゃなくて、枠とか型そのものというところから自分たちでつくっていく。ライフスタイルで言えば、朝何時に起きるのか、何を食って誰と生きていくのか、っていうところも含めて、これは結構大変なんですよ。朝スーツ着て出かけていくっていうのが決まっているのなら楽なんだけど。そういうナベさんのやっていることとなんでプラーナパンクスっていう名前なのかっていうことと、zineって結構繋がってるような気がします。

山本:ナベさん、プラーナパンクスって、どういう意味を込めたんですか?

渡辺:だからあの...驚きや発見みたいな感じではあるのよ。きれいなものやいろんなもの、自分たちの知らなかったこと、知らないことを見る。その時の驚きは鮮明で、それがなんか発見だと思ってて。例えばさ、パンクでいったらモヒカンの人が町中を...ピンクの頭の子が街中を歩いてたらやっぱり驚きと発見だよ。うーん、俺はなんか、でもそれを見た自分は何か違う感覚を与えられるんだよ。だから存在的な意識を、一刀両断に切ってくれるから。俺たちのスノーボードもそういう意味をもちたいし、自然から与えられるものって多分全てがそういうものなんじゃないかなって。だからプラーナっていうのはサンスクリット語ではあるんだけど、驚きと発見、っていう風には言ってるけどね。

諫山:あと「生命力」とか「呼吸する」っていう意味もありますよね。

渡辺:そうだね。木だからね。

諫山:ナベさんのスノーボードのつくり方の話で面白いなと思ったのが、僕なんかが思い浮かべるスノーボードってカーボンなんですよ。だけど、カーボンというのはだめな木をなんとか使えるようにするための補強材であって、もともと良い木を使っていれば、それそのものでいけるよっていう。

渡辺:そう、そうだね。良い材って本当に良いと思うんだよ。ははは(笑)。ただそれを商業、うーん、短いスパンでは発見できないような気がするんだ。ある程度長いスパンの中で発見しえていくような気がしててさ。いい材って。だってトライしなきゃわかんないんだもん。でも、すれば確実になんか見つけられるような気がしててさ。ヒノキって、最初はカラマツでスタートして、カラマツからヒノキに変わっていくんだけど、カラマツはカラマツの良さはあると思う。しっかりとはっきりと。ただヒノキは重量やいろんな部分をおいてもカラマツよりはなんか、合ってるのかなぁって。スノーボードっていうものに対して。

山本:司会者特権で聴きたいんだけど、あんまりみんな興味ないかもしんないんだけど、「OGASAKA」っていうスキーのブランドあるじゃない。OGASAKAは、板つくるときに何を使ってたんですか?

渡辺:あれは昔は、いや、今もかも知れないけど、地域材だったんだよ。

山本:やっぱり長野の木を使ってたんだよね。

渡辺:使ってた使ってた、昔は。でも、うーん、その材が、どんどんなくなっていき、東北の方にも窓口、全国に窓口を設けて、いろんな材をトライして使ってたと思う。長野と北信の中ではオガサカさん、篠ノ井のところに近所にあった西沢さん、あと俺んちの実家(新潟県妙高)のとこにあった風間さん。あと飯山のスワロー。とにかく日本には地域材使ったスキーメーカーがいっぱいあった。

山本:あったんですよね、まぁOGASAKAは今も長野にあるけど。。。

渡辺:ある。材はみんなそれぞれ苦労していると思います。今でももしかしたら青森じゃなくて岩手の方から、採っているのかもしれないです。岩手っていうとこが日本の広葉樹を集めるところだから。あといろんなところが、広葉樹のいろんな木が集まってくるところだと思います。長野も多分そうなんだけど、長野はある時からやっぱり、うーん、針葉樹、スギやヒノキの方にいってしまっていたかも。

山本:やっぱり広葉樹って、使えるようになるまで時間かかるじゃないですか。

渡辺:そうだね。

山本:逆に針葉樹っていうのは成長が早はやい。戦後に多く植林して、植林したはいいけど使えるようになった頃には輸入材とか木を使わない生活に変わっていっちゃったから、残されていったわけですよね。

渡辺:やっぱり輸入材が昭和36年以降、ものすごく入ってきたのが大きいんじゃないのかな。全てが変わっていってしまうんじゃないのかな。

山本:昭和36年ってどういうターニングポイントなんでしたっけ。

渡辺:関税。

山本:あー、そういうことか。

渡辺:税金がかからなくなったから、日本の企業はどんどん海外に行って伐採していくわけじゃん。そういうことなのさ。日本でがんばって労力をかけて切り出してもその単価はものすごく輸入材のほうが安いわけで。それがやっぱりいちばん...。

山本:ナベさん、ナオミさんという方が今チャットでコメントしてくれてますよ。飯綱からお越しの。「ナベさんやグリーンラボさんのつくる板はアートです。白い雪の上に乗った時を想像しているデザインが好きです」。

渡辺:彼女は飯綱でリンゴの、県外の人、出身は埼玉と大阪の方なんだけど、今長野でリンゴ農家をやってて。リンゴジュースを、自分たちのオリジナルのりんごジュースをつくってて、ちょっと相談されて。リンゴのラベルとか、ちょっとだけコーディネートさせてもらったんだよ。美味しいですよ。りんごジュースって大量生産でつくるからひとかま大きくつくるから味が似てるのさ。だから本当にキワのモノづくり。キワのことをやらないと、難しくなってるんじゃないかなと思って。キワこそ一番楽しい。生産者も楽しいし、消費者も一番楽しくやれるところなんじゃないかな。

山本:「キワ」って何? よくオシャレ雑誌が言うような「エッジ」ってやつですか。

渡辺:うん、エッジな部分。

山本:それを「キワ」っていうんだ。そう言ったほうが面白いね。やめよう、もう「エッジ」とか言うの。

諫山:個人的には都心の消費者もどちらかというとキワを好むようになってきたような気がしてて。「うちはなんでもありますよ」っていう定食屋よりかは、「うちはジャークチキンです」「うちはファラフェルピタです」「うちは海南チキンライスです」みたいな。コレですっていうキャラが立っている店の方が残っているような気もする。もちろん定食屋は定食屋でありますけれども。

渡辺:俺もそうだと思う。

【コロナ禍で考えたこと】

山本:ここまでお二人の活動の話をお聞きしてきたんですが、一応このトークイベントのテーマが「コロナとオルタナライフ」ですから(笑)。コロナの話をしたいんだけれども。東京は都知事選が近くて、全員アラートとか記憶喪失にさせられて。できるだけ「元に戻そうよ」「日常に早く戻ろうよ」っていう圧力が強いんだけど。考えてみれば、コロナって資本主義を停止させる、足踏みさせるっていうものすごい効力をもってたわけですよね。それっていいなって思うんですよ。コロナで困った人たちも多いけど、僕なんかはコロナいいじゃん。一回みんなが立ち止まって、止まってみて、うーんそこで考えることがあるんじゃない?みたいなね。資本主義が困ってるってなんかいいなあって。なのに「戻しちゃうの?」みたいなところがあって。僕もそうだけど、2人ともそもそも資本主義経済の甘い汁やそういう暴走した経済の力で生きてるわけじゃないから、なんというか、日常に戻そうというか、通常に戻そうっていう最近の圧力や空気感と、2人のそもそもの日常がズレてるみたいなところもあるのだろうけど。コロナや自粛をお二人がどう考えるのかということを聞いてみたい。

渡辺:俺的にはやっぱさぁ、その、全世界的にストップしたから俺も3月の終わりにストップだったから。それなりに大変だとは思ったけど雪の上に立てないし、滑れないし、スキー場はどんどんやめていっちゃうし。オーダーくださいとか、試乗してもらうのもほぼできないっていう状況だったけど。でもこの2ヶ月くらい改めて思うと、自分本当に何がしたいのかとか、この先みんなどうしようどうしようとかって言ってるから、こっちもこの先どうしようとかって考えちゃうじゃん?
 で、あんまり考えるの好きじゃないけど、考えるかーって、ちょっとだけ冷静に思っちゃったわけよ。そうするとさっき言ったみたいに、木こり、2004年にグリーンラボつくったときに「じゃあなにやろう」ってなった時に、いったん戻ったね。じゃあ自分たちのやりたいことをもう1度ちゃんとなんか手順を踏んでやってみようかなとか。なにが、一番「キワ」っていうところにもってかれるのかっていうところまで思って。この先、何をやりたいのかっていうのを、なんか明確に見えたような気がしたよ、自分の中で。
 木を、今までは自分としては今までは切られてた素材を見つけてきてっていうか、製材屋さんや材木屋さんに行ってたけど、なんか今は森の中に生えてるカラマツだったらカラマツを見て、それをみんなで切り倒して、それを伐倒して、それを材にして、それをスノーボードにしてっていう、道順を踏んでものをつくっていこうかなとか。でもそうすると木が乾燥するのに時間がかかるから毎年はできないから2年くらいのスパンでモノをつくっていくやりかたとかもいいかなとか。なんかすごい、「目の前の木を見てモノをつくる」っていうようなことを一度やってみたいなって、自分も含めて、もう一度そういうところに立ち返って。やってみたいような気がして。ワクワクするじゃん。なんか自分がワクワクするんだったら、きっとそれに反応してくれる共鳴してくれる人たちもいるんじゃなかろうかと思って。そういうのをやろうかと思ってる。なんか結構いい機会だったような気がした。

山本:なるほどね。さぶちゃんどうですか?

諫山:みんなそれぞれ大変だ大変だっていうのはあったと思うんですけど、コロナ前とコロナ後とで実はそんなに変わってなくて、生活自体が。そもそも3.11があって、その時に「直ちに影響はない」とか国やメディアは繰り返し言うし、全然肝心なときに助けてくれねーな、いざという時は自分の身は自分で守らないとなっていう感覚があったんですね。それに加えて朝好きな時間に起きたいとか、好きな時に好きな人と会っていたいとか、いろんなワガママを言っていったら、それはもう自分で会社つくってしまった方が手っ取り早いんじゃないかと思って、それで大学卒業後に会社つくっちゃったわけです。短絡的な発想ですけど。
で、あとはそれでちゃんと食っていけんのかっていうところ。それの実験を始めて8年目なんですけど、そもそもそういう設計の仕方をしているんですよね。だからコロナで外に出れないといっても、そもそも外に出なくてもリモートで仕事ができるようにしてあるとか、意外と非常時に強い設計にしてた。だからそこまで影響はなかったかなというのが思ったことの1つ。
それともう1つは、じゃあ自分はどういう時に外出するのかなって考えたとき、仕事のミーティングや人との約束事を省くと、プライベートで出かけるのは、だいたいヨガスタジオとシーシャ(水タバコ)バーと温泉だったんですよね。だいたいその3つなんですけど、ヨガは家でもできると。シーシャはもう自分で買っちゃったのでこれも家で吸えると。ただ温泉だけは代替が効かなかったんですよね。家のお風呂じゃ温泉の代わりにならない。やっぱりコロナで思ったのは、代わりが効くものとそうでないものとが割とはっきりしたということでした。やっぱり水、風、空気、土、食べ物といったような、そういうものについては代わりがあまり効かないのかなと思ったんです。そういう意味では今後はその土地特有のもの、土着的なものの価値がより認識されやすい時代になってくるのかもしれない。
その一方で、こうやってリモートで仕事ができる、こうやってzoomでイベントもできるっていうのは大きいと思うんです。長野の仙人であるナベさんがこうやって参加できちゃうわけじゃないですか。これは大きな発見で。これはこれで1つのすごいことなので、そういうことも組み合わせながら新しいことできるんじゃないかなって思いました。
だから例えば田舎に行って、でも仕事はこうやってリモートでできちゃうみたいな。そういう可能性は感じましたよね。

山本:なるほどね。確かにさ、まぁナベさんと会おうって言ったら、長野まで行かなきゃいけないじゃん。だけど割とこうやって会って喋ることもできるしね。

渡辺:ほんとほんと。前ね、長野でね、待ち合わせして話した時もあったけど、俺自身がこうやって、こういうzoomで、こうやってすぐ今の現状、すごいことだと思ってる。本当本当。だったらなんか未来って、コロナっていうことで、こういう「自分たちのなかのソーシャルディスタンス」っていうのが意外と深まってる気がする。前は「さぶどうしてるかな?」とか、そんなの、なかなかSNS、FBで「あぁさぶこういうのやってるんだな」って思ったけど。時たまコメントちょろっと入れたりとか、そんなもんじゃん。でも今だったらもっとなんか、良い結果がつくれる気がするじゃん。

山本:するねー。

渡辺:だから未来はあるような気がするし、こういうのに、さっきの、俺たち、あれじゃないけど、みんなが参加してコメントをくれるだけでもう「わーすごいね」って思うんだもん。だから世の中ってきっと仕事というか、時間の概念がだいぶ変わるよねって思った。

山本:時間の概念?

渡辺:変わる変わる。だから時間の概念、仕事の概念はどんどん変わっていくだろうから。成長っていうのもあれだけど、良くなるような気がするんだよね。

山本:これでもさ、みんな待ってる人もいるわけだし、なんか前みたいな暮らしに早く戻したいっていう言葉の方がメディアでは強いし。でもこれをキッカケになんかね、見直してみたり立ち止まるから見えてきたこともいろいろあるわけで。そうは言ってもナベさんもさぶちゃんも、そもそもが、資本主義とはちょっと違った暮らしをしてきたから、資本主義が止まったところでまぁ普通ですよっていうか、そういう感じなんだろうね。

【ソーシャルディスタンスって何よ】

渡辺:うーん、「資本主義が止まった」というよりも、その前になんか、スノーボードコミュニティのなんか商売っていう、モノの作り方が、従来のコミュニティの作り方とは若干違うとこでスタートしているから、そこはなんか、すごい良かったなぁと思った。コミュニティの取り方って、こう、薄かったら、広くやらなきゃいけないけど、今すごく濃い目のコミュニティになってる気がしてて。そのコミュニティがいまの俺の資本主義の中で暮らせてるから、すごくありがたいっちゃ、ありがたいんだよね。そういうスタートでやっていたからだとは思う。スタートがもっと違っていたらやっぱもっと違うんだろうなぁとは思った。大きな商いを目指すわけでなく、自分の身の丈に合う、自分が一番したい、自分のタイムスケジュールの中で、自分のしたいことを優先的にやっていくとしたら、やっぱり小さな商いになってるわけで。それは小さいけれども濃密な、三密じゃなくて、濃密なものとしてあるから。それがなんかこれからの自分たちのソーシャルディスタンス、を色濃くしていくんじゃないか。

山本:なるほど、行政も国もメディアも「ソーシャルディスタンス」って言ってますけど。何メートル離れなさいとかって。でもソーシャルディスタンスって言われている「新しい生活様式」...(笑)。口に出すのも恥ずかしいんですけど、そんな生活様式が言われている中で、、まぁ2人ともどっちかって言ったら手触りのあるもの、手作りとか、そういうもので人と人とが繋がったりとか、手触りあるものが介在してコミュニティがつくられたり仲間ができたりってとこで生きてきてるじゃないですか。そうすると「生身のもの」とか「リアルなもの」とかそういうものと、こういうzoomで僕らが会っていることとか、まぁいろんなものが重層的に走ってると思うけど、そういう生身とか手触りとか肌触りみたいなものと、ソーシャルディスタンスってどう折り合いがつくんだろう? これらはどういう風に関係づけられていくのかな?

諫山:こうやってzoomでリモートで研究会ができちゃうから会う必要ないってなるんだけど、あと電子書籍もそうだけどそういう非物質的なコミュニケーションが増えていけばいくほど生身の価値というのが再確認されていくのではないか。なぜかわからないけど最近は1週間に1回の割合で、知らない人からzineをつくりたいのだけどどうすればいいですかっていう相談がSNSや友達の紹介でやってくるんです。ブログやnoteじゃなくて、zineがいいって。手触りあるものへの欲求はなくならない。

山本:何を生身というかはわからないけど、こういうものの価値がかえって高まっていくだろうと。それってあれなのかな。AKB48が会えるアイドル、握手会ができるっていうじゃない。それとは違うの? 

諫山:うーん(笑)。握手会行ったことないからどういうものかはちょっとわからないけど。でも握手会もライブもいま行けないですよね。会えない、ってなったときに溜まっていくフラストレーションの中に確認されるものじゃないですかね、生身の価値が。

山本:インターネット時代になって、物事が非物質的なデータになっていって、音源とか素材とかも無料になっていったわけじゃない? だからこそここ数年、ライブの価値っていうものがすごい上がったじゃない。だからライブ会場も超満員だしフェスもすっごい人が集まるし。そういう人と人が触れ合う現場感みたいなものが打撃を食らうわけよね。そういう風になったときに、どうなのかなーって思って。なんかどんなことを考えればいいのかなって思って。

渡辺:二極化するよね、確実にさ。二極化して、生身ともう1個の部分が、こう、あれしていくと思うんだよね。離れていくというか。よりこういうzoomのようなものがどんどん使われていくけれど、生身が生身で、ものすごくこう、神格化っていうわけじゃないけれども、より良くなっていくっていうかな。ライブってさ。まあ、俺も全く動けてないし、あれなんだけど、ライブ、人と合うっていうこと自体がものすごく、こういうzoomで会話していた延長線上に、その会う人と触れ合うっていうことがあると、爆発するじゃん。内容が全部。今まで、こうして会話してきたものや見てきたものが目の前に来ると、全てが納得したように受け入れられるようなさ、そういう幸せ感のようなものが発生してさ。もう1つなんか、今までとは違う感覚でそれを受け止められるようになるんじゃないかなって。愛が大きくなるようなね。前よりももっとおおらかに、受け入れられるっていうか理解できるっていうか。それはそういう感じはあったよ。ここ何日間も会わなかった友達とかさ、以前よりもさらに親しみを込めてとか。「俺はお前のことをもっと理解してあげられるよー!」みたいな心の余裕ができていくんじゃなかろうかと思った。でもそれはこうやってzoomで会わないままとは違ってさ、会ったがゆえに拡大していく。そういうことが生まれていく。

諫山:コメント欄で島くんが書いてくれています。「都内のクラブは解禁された途端、結構人が集まっちゃってますね。大手のクラブは人との距離を保つためにソーシャルディスタンスをアート化するという名目で人との距離を保てるように床を装飾するところもでてきました」。ほー。

【自然と人間の距離、畏れの距離感】
山本:なんかさ、この「ソーシャルディスタンス」ってなんなのって思うんですよ。そもそもさ、ディスタンス(distance)って距離感じゃん。距離感なんてまぁいろいろあるじゃん。近くたってそれは「ディスタンス」でしょ。でも僕らはディスタンスって言葉を聞くと僕らは「離れる」っていう風にしか考えていない。ディスタンスっていうものの考え方を変えてみる必要はあるのかなと思うんですよ。
 それから、そもそも人間ってディスタンスというか距離を巧妙に扱う生き物だって思うんですよ。例えば夏場だったらほら、腐った食べ物から鼻をそむけるでしょ。それもディスタンスじゃない。いつでも対象物と近いってことが価値があったのかなーってことも考えたくて。動物だって人間だって怖かったら距離取るし、強そうな相手だったらやっぱり離れたいじゃん。距離っていろいろだし。なんかそんなに密であることによって、人は愛を深めてきたのか、生活をしてきたのか、どうなのかなって。ナベさんの中のディスタンス感ってどうなの。たとえば雪山に入ったりするじゃない。

渡辺:そうだね、やっぱさ、ディスタンスって「怖い部分」。「怖さ」とか、あるじゃん。その距離感。その、わからないものに対しての距離感をもって動くって。ここは立入禁止ですよ、近づかないで、っていうようなことじゃん。その人との距離感や自然との距離感をちゃんと自分のなかでもってる人と行動したいよねって。山登りというパーティだったら、恐れとかも含めてもってる人と行動した方がいいと思ってて俺は。雪山とかわからない場所においては、ちゃんとそういうことをもってる人の方がいいなって。そうでないとなんか、まあ、達成感とか、そういうのも含めてないような気がしててね。

山本:たとえば今の話で考えると、ナベさんのスノーボーダーの仲間たちはバックカントリーを大事にしているから、いつでも雪崩に巻き込まれる可能性が高いパーティじゃない。そうするといつでも恐怖とか恐れとか、そういう雪や自然の驚異との距離感とかあるでしょ。その日の天候や気温から感じる自然の驚異との距離感とか、風との距離感とか、いろんな自然との距離を感じていくでしょ。今日は雪崩にあっちゃうなっていうこともあるわけですよね?

渡辺:そうそう。恐れ、怖さに対して距離感...怖さを知る。知った上での行動っていうのがやっぱ大事で、その、それがなんか距離感っていう距離感にあるんじゃないのかと。なんかものを知る時には、そう思ってるんだよ、無防備に接してはいけないような気がしててさ。知らないことだらけ。冒険なんか全部そうだと思ってて。知らないことだらけじゃん。でもそれをやろうとしたら1個1個距離感を詰めていかないといけない。でも距離感を詰めれば詰めるほどリスクは出てくる。出てくるから、そのリスクをなんとか知るっていう、それの繰り返し。人間関係もそうだと思うし。自然との関係も多分そうだとは思うし。そうしないと痛い目にあうような気がしてて。達成感っていうのも、得られるかどうかっていうのもそこにはあるような気がしててさ。

山本:僕ら善光寺の本尊って絶対触らないじゃないですか。触れないけど。そういえば御開帳が延期になるんだよね? で、僕らは子どものころから7年に一度ご開帳に行くんだけど、触らないわけですよね。前立本尊みたいな木かなんかあって、木には触れるけど本尊は触れない。なんか独特の畏れ、敬いとかって、距離っていうのがありますよね。
 だから、ここもう一歩踏み込んだら雪崩かなぁとか。「今日この天候で、この時間帯、ここに行ったら危ねーな」みたいなディスタンスというのがあるんじゃないのか。コロナ禍では、「離れる」ってことが非人間的なもので、人間性を失って寂しいね、みたいな話になってるじゃない。

渡辺:そうだよね、「離れなさい」だからね。逆にもっと「離れながらも、詰めなさい」っていう感じなんだよね。

山本:ははは(笑)

諫山:面白い(笑)

山本:そういうものを新しい生活様式って言ってくれればこっちもそういうものをみんなで考えていこうって思うけどなんか、ただ物理的に離れろっていう新しい生活様式は、、、嫌だな。そんな決められてもなみたいな。

諫山:あんまりリアリティないですよね。ソーシャルディスタンスって。この2mの距離を取ったから俺は安全なんだって、うーん。よくわからない。これは3.11の時もそうだった。マスクしてるから放射能汚染が防げるのかとか、もう何がどれくらいどうなのかって、よくわからないまま。

山本:あの時もやっぱり水とか土とかとの距離感が変わったわけじゃない。土触りたくないなって思ったり、水道水大丈夫かなって思ったりとか。

諫山:スーパーとのディスタンスも変わりましたからね。

渡辺:間違いない。

山本:それで、話はこれどこにいこうかなぁ(笑)。なんだっけ、さっきのナベさんの「離れてるけど、詰めなさい」みたいな。名言出たよね。

渡辺:そのさ、よく、まぁ、七夕が来るじゃん。七夕ってさ、星のあれじゃん。年に1回、七夕の日に彦星と織姫が会うわけじゃん。その間はずっと長いディスタンスを取るわけよ、年に1回だから。でもそれが1年に1回会うっていうかさ、会った時の爆発力っていうのが、なんか凄げーな。凄いというかなんか凄いんだろうなって想像するわけ。今みたいに野球が始まってさ無観客でリモート応援とかやってるけど、あれはいつまでも続かないと思うわけよ。みんなこう、ファンはさ、自宅でもう、いつかいつかって待っててさ。俺はなんかコロナの次の状況、つまりリモートが終わった時にみんながどういう形で爆発して、ファンとの関係、人との関係が新たな局面で構築されていって、自分本当にここの球団好きなんだ! とかっていうのがより深くなっていくような気がするんだよ。その時点が、この凄い大切なんじゃないかなーって思っててさ。
で、そこは今行く過程だからって思ってる。確実に進歩はして行くんだよ、次の進化だと思って。ファンはファンとして次の進化だなって。俺もさっき言ったように木を切り倒してスノーボードにするぞって言ったけど、それもすごい進化だと思う。「やっほー」って思うかもしんないしさ。その今まではそういう思いに至らなかったけど、これからなんか離れていた感情が見えて、ぶつかって弾けた時にものすごい愛が、愛って言ったらおかしいけど、新しい何かがつくられていくっていうことが今までにないような気がするんだよね。もの凄くそこには期待がある。通常今まで通りのようにあって、何かを育むっていうスタンスではなくて、もっと格段に早いのさ。ホップ・ステップ・ジャンプ・バーン! みたいな。その時のことって、働き方や、時間の概念とか全部吹っ飛ぶから、凄いなぁって思ってさ。早くそういう風になりたいと思うし、願望。願いが次につながっていって。願いが生まれるんだもん。

【現実化のスピードが変わってきた】
山本:なるほど。さぶちゃんは『未知の駅』をやって、自分で会社を8年やってて、そろそろ逆に「願い」を出したいんじゃないの? 次行ってみるかと。このコロナによって。

諫山:実はちょっと逆で自分の願いを叶えようっていうフェーズから、まわりの人たちの願いを叶える立会人みたいな風になってきてて。さっきのナベさんの言ってた「ホップ・ステップ・ジャンプ・バーン!」じゃないけど、だんだん願いを叶える、これ全然話つながってるかわからないんですけど、願いを叶えちゃったらいいじゃんっていう現実化のスピードがめちゃくちゃ早くなってるような気がするんですよね。

渡辺:うんうん、早いね。

諫山:「zineつくりたいです」って人に「いつ出したいんですか?」って聴くと最初は「来年くらいに出ればいいかなぁ」とかって言うんだけど、「いやそれ来月の7/31の昼の12時にはもう完成して、きっとその夜にはおいしいビール飲んでると思いますよ」なんて言ってみると、もうその1時間後には1500字くらいの原稿を送ってきましたからね。そういうことが最近よくあって。夢とか願い事というのが遠くにあるものじゃなくて、非常に身近にあって、それはもう「今日カレーライス食べたいな」くらいのものだと思ってて。じゃあスーパー行ってこれとこれ買って、みたいな。なんというかな。今まで夢や願いっていうものがすごく遠くにあるもの、海賊王に俺はなる、みたいなことばかりだと思われてきたけど、こうやって3人でzoomでトークやりたいっていったらトントン拍子で開催できちゃうわけじゃないですか。これもつい1〜2週間くらいの話で。

山本:それはコロナだからなの?

諫山:これはわからない。コロナとは関係ないかもしれない。でも令和に入ってからっていう人は増えている気がする。

山本:なんでなの(笑)。

諫山:すいませんね、これはもう感覚的な話でわかりにくいと思うんですけど、割とスピ界隈では、「令和に入ってから」ってよく言うんですよね。なぜかわからないけど。これは話すつもりなかったので、説明しろって言われると難しいんですけど...。ナベさんどうですか?

山本:ナベさんはそもそも天皇の時間で生きてねーからさ。

渡辺:でもスピードは早くなってるっていう感じはある。グローバルが意外に凄い早く切迫しているなという感じはある。だから逆に、もっと余裕っちゅーか、時間をもって、と思ったのが、じゃあ、じゃあかぁ、このタイミングなのかっていう感じは凄くある。それはすごい思ったな、今回は。このタイミングで進化を迫られるのかぁって。でもなんにも考えてなかったわけじゃないから、まぁあれかとは思っているけど、これからやりたいことっていうのは、もうちょっと先なのかなって思ったのがこのタイミングなのか! っていうくらい。

諫山:広げるだけ広げて収拾のつかない感じになってしまいました(笑)。

山本:田中東子さんが「恐れや恐怖は都市生活につきもの」ってコメントしてくれてますね。まぁ確かにね東京で地下鉄乗っているときに、いつ地震にあうかもわからないしね。でもそういうことをあえて麻痺して生きているみたいなところがあるよね。

渡辺:本当は怖いんだよね、みんな。

【スピリチュアルとクリエイティヴ】
山本:これも司会者特権でお二人に聴きたいことがあるんだけど。ナベさんの板のデザインね、スノーボードの板って、これ自体が表現のキャンパスになってますよね。さぶちゃんも、zineをつくったり、ヨガをやったりとかしてるんだけど。2人とも「スモールなアクト」をやっていて、スモールな経済圏で物質的なものをつくっているんだけど、同時にスピ(スピリチュアリティ)の世界に行くじゃないですか。まぁ言える範囲でいいんだけど。このスピへの傾倒と物質性をつくったりっていう相反しそうな二つの身ぶりは、割と二人に共通してるなって思って見てるわけ。それってどういうことなんだろう?

諫山:自分にとってはzineをつくるって、何の取っ手もない扉に取っ手というか、ドアノブをつけるような感じ。普段はただの壁でしかないんだけど、取っ手をつけてあげると、あちらとこちらをつなぐことができる、みたいなそういうイメージ。だから自分の中では『未知の駅』はつくりたいからつくっているだけなんですけど、結果的に、ひょんなところから返事が返ってくることがある。「会いたいです」とか、知らないピアニストから3000円カンパの振り込みがあったりとか。そういうキッカケで一緒に仕事をするご縁があったりとか。おみくじに近いんです。さらにわけわからない例えですけど。ごめんなさい、やっぱりサーフィンにします(笑)。いい波に出会えるかどうかってわからないじゃないですか。でも沖まで自分でパドリングしていくからその波と出会えるわけで。行っていなかったら出会えていない。つまり半分は自分で発信してるわけです。だからわからないんですよ、そこまで行ってみないと。おみくじも同じで、あれって100%運試しって思いがちだけど、今日朝起きて、神社行こうかなって思って、100円入れて、自分の手でおみくじを掴んでいるわけですよね。おみくじの語源って「くじる(抉る)」、つまり箱などに入ったものを手でつかんで取り出すっていう行為のことを言うという説があるんですけど、なんかそれに近いかなぁと。それをスピリチュアルと呼ぶのかどうかはわからないけれど、でもスピリチュアルって基本的には言語化できない、しにくい領域じゃないですか。今日はなんかそんな感じがしたからそこ行ったらそれと出会った、みたいな。ヒッチハイクも割とそれに近い。今日このサービスエリアに止まるつもりはまったくなかったのに、なんか直前でトイレ行きたくなって、1年に1回、止まるか止まらないかっていうサービスエリアで止まってトイレ行こうとしたら「どこまで行きますか?」ってさぶに声かけられた、みたいなことがある。そういう感覚で全部やってますね、会社もzineも。あんまり考えてないといえば考えてないですけど。

山本:コロナ禍で、世界中が新しいスピリチュアルな世界に同時に踏み込まざるを得ないような、そういうものだっていう感覚っておもしろいよね? さぶちゃんはおみくじとかサーフィンで沖に出てったりっていうそういういろんなものがあって、そういうものが精神世界への1つの入り口なのかもしれないけど、コロナ禍っていうことによって、今まで見てきた景色が、どこか日常ではないところに行くと言うか、僕らは連れて行かれちゃったわけじゃない。それはそれで、いいじゃん、とはなかなか言ったら怒られるかもしれないけど。それはだめなのかって。

諫山:言ってる人は結構いますけどね。コロちゃんって愛称つけて可愛がってる人がいるくらい。よくコロナに負けないって言い方されますけど。

渡辺:スピリチュアルって言ったら結局アマビエ、なんかそんなとこに落ち着いちゃってるし、すげー日本人的かもみたいな。でもそれがあって、そういう部分がやっぱみんなもっていてよかったねって思うんだよ。みんなスマホでピピピって、なんやろって調べて知るよりも、なんだろな。わからない怖さみたいな部分がみんなにあって、みんながそんな風に思ったってことだけでも凄い良かった気がするし。それはまぁ当然なんだろうけど俺たち、地球っていうか、自然のなかで暮らしている以上はそうじゃん。

諫山:逆に山本さんから見て僕ら2人はなんでスピに行くんだろうっていうのは、どう見てるんですか?

山本:まぁスピへの出入りの媒介はいろいろあるんだろうけど、日常的にね、日常的な生活の中に、そうじゃないところとの出入りとか、交信っていうのを、ナベさんもさぶちゃんもそういう世界との交信や交流みたいなものをやっているように見えるんだよね。そこの行き来をする中に、モノをつくる発想があったりとか。そういう感じがしてて。

渡辺:おれは例えば素材、木を見る時は、そういう目で見るよね。盆栽なんかそうじゃん。人間がすごいこんな風にして、こんな、無理やりつくって行くわけじゃん。でも自然の木ってまた違うじゃん。ありのまま、自然に任せて育ち、節とかもいっばいあったりするけれど、それを肌で感じてものをつくってるから山本くんの言うようにスピってるって言われたら、確かにスピなるものは入ってまっせーってところはあるから。でもつくってる本人は全くその通りに思って、こいつこんなに...こいつ凄いな! ってそういう「わからない何か」に対して、「こいつ〜!」って言っちゃうもんね。だからこのコロナっていうのもなんかある意味そういう付き合いではあるかなとは思った。

山本:おもしろいなあ。。もっと話していたいけど、時間もちょうど20:00です。

渡辺:大丈夫ですかね、この内容で。

山本:これ文字にしてもいいよね?

渡辺:全然構わないよ。

山本:また文字に起こして編集が入って読み直した時に「意外とああこれいいこと言ってたね」みたいなことってあるから。今日は、あまりにも実験的な話をしていたからここでは意識できないけど、あとで読み直すと意外と面白いポイントがあったなってなると思います。

諫山:今までのぽすけん企画からすると異色の会というか。

山本:いやいやいや(笑)。こういうのがいいんだよね、こういう感じが。

渡辺:いやー大変申し訳ない。はっはっは(笑)。また生身で会いたいね。

山本:どうですかみなさん、チャットでメッセージとかも書いてくれてありがとうございました。ナベさんの板に乗って、みんなで雪山行こうってわけにはいかないけど、プラーナパンクスやグリーンラボのプロジェクトって、それはまたそれで新しいチャンネルなので、みなさんの日常の生活やアイディアになんらかの節合面みたいなものが提示できたらいいなと思ってこのトークを企画しました。それから。さぶちゃんが新しいzineの活動、7号がまた出るということなので、そのへんも楽しみに待ちたいと思います。あと来週の告知ですね。竹崎くんお願いします。今日は第6弾だったので、来週はなんともう第7弾! 毎週土曜にやっているんですよ。

渡辺:凄いね! 毎週やってんの?! 素晴らしい。

山本:今日は初の「ゆるトーク」という試みでした。いつも「緊急トークイベント」とか「徹底トークイベント」とかだったので(笑)。まあ、いろいろやってみようというのがあって。あ、はい。来週は第7弾ですね。「コロナと真実:「自粛」で見えてきた世界」ということでゲストは、神戸大学の塚原先生。『現代思想』のコロナ特集に寄稿されています。それからご存知の方多いかと思いますけど、立命館大学で医療社会学を教えている方で、同時に脳神経内科医師の美馬達哉さん。それからフランスに留学している野坂しおりさんがフランスから緊急参戦。司会は東京外語大の高原太一さんがやってくれるということです。来週はまた今日とはちょっと違う感じで「コロナと真実」というトークです。興味がある方はぜひお越しください。
 それから、来週司会をする高原太一さんがいまぽすけんで連載を始めています。「ちいたら散歩」っていうエッセイです。コロナ自粛化でなかなか出歩くことができなくなった時に、残されたものが地元を歩くっていうことだったわけですけど。そうすると今まで地元を歩いていても見えなかったことがこの自粛化で歩いてみたら見えるようになったという。そういうエッセイを書いていて、連載が続いています。この連載は7いいね以上もらえないと連載中断ということなので(笑)。第2弾もさっきUPされたということで。なかなか面白いのでぜひ見てみてください。毎週しばらく続けていきたいと思っていますので。またどこかでナベさんに出てもらって。次は長野からやりたいね。

渡辺:ぜひぜひ。

山本:というわけで、もう20:00過ぎてしまいましたけど、あっという間の2時間、プラーナパンクス主催のナベさんこと渡辺尚幸さんと、『未知の駅』をつくっている編集者の諫山三武さんとトークしてきました。できたんでしょうか、今日はコロナの話が(笑)。どんな話になったのかよくわかりませんけども、反省を生かして「コロナとオルタナライフ」の第2弾をやりましょう(笑)、ということで。お二人ともありがとうございました!

【アフタートークから】

山本:トップアスリートが使うようなスポーツ用具とナベさんがつくる板って何が違うのかって考えたんです。トップアスリートって、競技力を高めるために用具に対する要望を企業や開発者に伝えて、身体の能力や技術を最大限引き出せるように作られていきますよね。それが一般用にやがて商品化されていく。だけどグリーンラボやプラーナパンクスは、そういうスタンスではないよね。この世に1枚しか作れない板、自然の組み合わせで作った板で滑ってみてよっていう考え方。これって面白いと思うのよね。キハダとヒノキのハイブリッドの板を作ったから、ちょっとこれ乗ってみてよって。うまく滑るために道具があるんじゃなくて、自然から作られた道具に人間が乗ってみて、「乗り味」を楽しんでよっていう、そういうスポーツの商品化っていいなあと思うんですよ。

渡辺:あれだよね、レッドブルとかのでっかい大会やハーフパイプで競う競技はカーボンやいろんな素材を強化して、より高く遠くへって作られていくんだよ。それに対してどこまで人間がボードに合わせていくかっていう発想。おれたちヒノキやそういう天然系の素材は自然の地形や日本の雪に的をあわせてると思うんだ。日本の裏山地形に合わせていける反発やしなり具合。日本の雪ってたぐいまれな上質な雪だから。長野の志賀高原と野沢じゃ全然雪質違うじゃん、それくらいの違いがあるからスノーボードもそれくらい違いがある。その自分が滑る自然環境で最大限発揮できる板もあると思うわけ。木がいっぱい生えている山のその林間を滑るとしたら、日本人が日本の森を滑るために日本の雪の多い所で育った木でスノーボードを作って、そのフィールドで合わせられれば最高だよね。今年の2月に苗場でシェイパーサミット2020っていうのやったのよ。世界中でスノーボードを作る人が、みんなの作ったスノーボードをみんなで乗って感触をああだこうだっていうミーティングがあってさ、アメリカの元オリンピック選手だったロブ・キングウィルが発起人なんだけど、昔から日本でやりたかったんだよって言ってて、俺たちのスノーボードやハンドシェイプの板も含めて、ああだねこうだねってやったのがあってさ。日本の雪と日本の山と木とそれが世界中になんか広まっていったのがあったね。なんかすごい嬉しかったよ。そういうのが、日本でやってくれて。でも、俺がささっき言ったようにヒノキがそういう風に日本を滑るにはいい素材なのかもて思ってるし、ワールドスタンダードなヨーロッパ産のウッドコアとの比較もしてるけどやっぱ違うなって思った。オリンピックやワールドカップを俺は意識していないけどワールドを経験したスノーボーダーが日本の良さを証明してるしさ。身近な所では美谷島慎くんやワールドワイドに活躍している友達と一緒にムービー撮影やったりさ、自分たちのフィールドで一緒に滑っている仲間が世界で証明していく時代だから。日本もまだまだいろんなグローバルが押し寄せてきても、日本は日本としての盾を持って立ち向かえる場にあるんだなぁと思う。それがなんか今回のコロナパンデミックの中で思ったし、この15年位って、10年一昔って言うけど15年っていうスパンはなんか、かなり成長してるとは思うよ。

山本:たとえば長野県の標高が生み出す特有の斜面があって。木と木の間隔が狭いし、急斜面だったり。でもそういう自然環境を滑るという身体の感性が、それに適合した板を求める。そういう自然環境と身体のストーリーがあるんですよね。それに対して、隈研吾も国産の木材って言うでしょ。だから、ナベさんたちも地元の長野県産の木材って言う時に注意しないといけないのかなあって思う。国産木材とか言っても、東南アジアの森林伐採をやって国立競技場を作るわけだから。そういうことじゃないんだよって。

渡辺:言わされているのか如何なのかわからないけれども、木って、まぁ、俺も、国立競技場見てないけど、本当に木材をあっちこっちに使ってて維持管理するのがどうなんかっちゃーって思うもんね。木は生きてるから。その、メンテナンス、。に凄く苦労があるよね。家とか木材ってメンテナンスが必要な訳じゃん。恒久的に残すならコンクリートのほうが圧倒的だと思ってて。だから木を使うことで、恒久的ではなく、かといってメンテナンスっていう気遣いをできない人がが気遣いをしなきゃいけない事をやるっていう事に対してすごく憤りを感じちゃうよね。

山本:いまのままじゃ金もかかり過ぎちゃうしね。

渡辺:本当にね。



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