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男は黙ってサッポロビール!から、自己主張する時の”型”を学ぶ時代へ


日本でも、きちんと自分の考えを相手に分かって貰えるように主張することが"良し"とされるようになったのはいつ頃でしょうか。
おそらく、目の前の仕事をこなすだけで済んだ時代(バブル経済)が終わってからではないと推測します。

自己主張というと、不慣れな人が多いかも知れませんね。
下手すると気分を害する人も少なくないように見受けられますから、組織の中で新参者ではやり難いはず(^^;)

元々、人を褒めること(相手を受け入れる)が少ない文化で、尚且つ義務教育でディベートが無いのが世代間で誤解を生む素地を作ってきていると思います。

簡単ではないですが、上手い主張の仕方を早めに学んでいけば、きっと何処かで役に立つハズ。例えば、IからWeに主語を変えてみるのも一考に値します。特定の個人だけではなく、皆に関わることなら聞く側も態度を和らげてくれる可能性が高まります。

20年以上も経済が低迷し、道なき道を行く僕らは、やり方を変えないといけなくなりました。変わらなければ、いつか誰かに変えられる日が来ます。
↓の移管記事を書いたのも、そういう想いからでした。


もう、死語ですが、このコピーは当時の日本人の考えや行動にも影響を与えたのではないかと思います。

今では無口というのは流行りません。
余程の偉い人ならともかく、
黙っていて誰かが忖度してくれるなんてことがないですし、

自分の考えをきちんと表現できることが求められます。

さて、そんな思考や表現に関する↓の記事がシェアされて回ってきました。
日米仏を比較したものですが、国語教育の影響というのは思ったよりも大きいのだなというのがよく分かります。


外国人と付き合う、仕事をするということも増えてきている昨今、
"違い"を理解しておくことはとても大事だと思います。
日本人同士でも、理解するポイントが違っていることもありますので、
国が違えば推して知るべし。

書くこと、話すことが苦手な人は、
まず、を意識するようにするのをオススメします。

http://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html 


一方アメリカでは、いくらユニークな意見や面白いアイディアを持っていても、それを他人と共有できる「型」に入れて、つまりコミュニケーションできる形にして提示できなければ、その価値は無に等しいと考えられています。だからこそ、小論文を書くことで「主張」の様式を学び、創作文を書くことで「語り」の様式を学ぶのです。
自由に表現するためには、その前提としていくつもの様式の習得──つまり型の訓練が必要不可欠なのです。そして、まさに「物語」「説明」「論証」という3大基礎様式の違いが分かり、書けることこそグローバル・スタンダードを満たす知識・学力といえます。世界の多くの国で初等段階から英語教育が行われるようになりましたが、英語がいくらできても、共有された様式で書き、話さないと「論の進め方がおかしい」「質問に答えていない」という誤解や、果ては「能力が低い」という評価すら受けかねません。



初出:2017-10-01 18:59:26

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