風鈴と風(2)
俺の前を悠々とスキップしながら走る佐都の後ろ姿を、俺は追いかける。
でも、走っても、走っても佐都には追いつかない。
背中しか見えない。
その背中に触りたい。
佐都がどんな表情をしているのか見たい。
でも、どうやっても触れられないし、顔が見えない。
追いつかない。
それどころか、佐都はどんどん離れていき、俺は息が苦しくなる。
いつの間にか、俺は水の中にいる。
息ができない。
苦しい!苦しい!
ゴボッ
なんとか体に溜め込んでいた最後の空気が、気泡となって体からこぼれた。
こぼれた気泡が自分の体からどんどん離れると共に、水の中で俺は独りになった。
息苦しさも、何もない、ただ真っ暗な世界に、俺は独り漂う。
スマホのアラームが鳴る。
寝汗でびっしょりになった俺がボーゼンと天井を見つめていた。
重い身体を引きずって起き出し、シャワーを浴びる。
「はあ……」
深いため息をつく。
どうしてこんな夢を見てしまうのか。
原因ははっきりわかっていた。
⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂
「わあ、びっくりした」
お店の暖簾を仕舞おうと表に出てきた佐都が、思わず声をあげた。
それはそうだろう。
さっき帰ったはずの俺が、店先に立っていたのだから。
「どうしたんですか?」
「あ、いや、その」
俺は、佐都を待ち構えていたはずなのに、急にしどろもどろになる。
佐都を意識するようになり、俺の中で佐都の存在がどんどん大きくなっていた。
これを好きと言うのか、自分でもよく分からないが
『佐都と一緒にいたい』
そう思うようになっていた。
俺は一大決心をして、佐都をデートに誘うことにした。
したが、いざ佐都を目の前にすると、うまく言葉が出てこない。
もう20代も後半に差し掛かろうとしているのに、なんとも情けないなあと自分に呆れ、一度出した勇気を胸の棚の中に仕舞おうとする。
「あの、健太さん」
佐都が、反対に話しかけてきた。
「明日、一緒にお大師さん行きません?」
「は、はいぃ」
誘おうと思っていた自分が誘われてしまったので、俺は動揺して、サザエさんのイクラちゃんのような声を出してしまった。
佐都が思わず吹き出す。
俺も緊張の糸が解けて、笑い出す。
「じゃあ、明日10時ね」
そう約束をして、その日は別れた。
翌日、空模様は生憎の雨だったが、俺はあまり気にならなかった。
佐都と会えるのがこんなに嬉しいとは。
お大師さんを散歩しながら、佐都と傘を並べて一緒に歩く。
池を眺めたり、一緒にお参りしたり、古井戸を覗き込んでみたり。
ただそれだけの時間だったが、今まで感じたことのない感情を俺は感じていた。
少し近くにいる佐都の体温を感じるだけで、心臓が跳ね上がる。でも、その跳ね上がった心臓は居心地が悪くなく、俺に勇気をくれた。
「ああ、幸せだなあ」
その勇気が、その言葉を漏れさせた。
そうか、これが幸せって事なのか。
好意を抱いている人が、愛しいと感じる人がそばにいるだけで、こんなに幸せなんだ。
俺の言葉を聞いて、佐都は嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、俺はまた幸せを噛み締める。
遠くから風鈴の音が聞こえた。
風鈴祭りが行われていて、沢山の風鈴が風と共に色んな音を鳴らしながら、揺れていた。
空は雨模様だが、風鈴の音が鳴っているだけで、そこは晴れやかな夏になった。
俺は一つの風鈴を手にし、佐都にプレゼントした。
「え?なんで風鈴?」
佐都は嬉しそうにしながらも不思議そうに俺に尋ねた。
「うん。風鈴って佐都ちゃんみたいだなって。佐都ちゃんって、夏の風みたいなんだよね。そこにいてくれるだけで、風に押されて勇気が湧き出てくる。
ずっと思ってたんだ。そんな佐都ちゃんが、素敵だなって思って」
「ちょっと、その言葉何?すごい嬉しい!
よかった!昨日勇気振り絞って誘ってみて」
「え?勇気振り絞ってたの?」
「絞ってますよ!わたし、健太さんと話す時は、いつでも振り絞ってます。今日が最後でも後悔しないように、って思いながら、話してるんですから。
だから、昨日も2人きりになることあまりないから、今だ!えいっ!って勇気振り絞って、誘ってみたんです。
そしたら、こんな素敵な時間とプレゼント貰っちゃった。嬉しい」
ちりりん
佐都が手にした風鈴から小さい音が聞こえてきた。
何かが始まる、そんな音だった。
次の日、再び俺はまんぷく屋の前で佐都が出てくるのを待った。
暖簾を片付けるために扉が開く。
「佐都ちゃん!俺と付き合ってください!!!」
俺は一昨日仕舞い込んでしまった勇気がまた萎んでしまわないように、勢いよく声を出し、お辞儀をした。
「えーと?健ちゃん?てか、佐都?????」
あれ?声が違う。
そう思って顔をあげると、目の前には佐都ではなく、母親の良恵さんがキョトンとして立っていた。
しばらく沈黙が流れる。
「あれ???良恵さん????」
俺はパニックになった。
「やだーー!健ちゃん、私と佐都、間違えたの?
しかもなんか、すごい告白聞いちゃったんだけど、ごめーーーん。佐都じゃなくてーーー!!!」
良恵さんは大笑いしながら走ってお店の中に入っていき、入れ替わりに佐都が表に出てきた。
俺はパニックと、恥ずかしさと、もうどこにもしまうことができなくなってしまった勇気がごちゃごちゃになって、ただ、オロオロしていた。
「あの……健太さんの声、大きくてお店の中まで聞こえちゃったんだけど………私と付き合ってくれるの?」
俺は佐都の言葉に、無言で頷くことしかできなかった。
「本当?」
こくん。
「嘘じゃない?」
こくん。
「私と?」
こくん。
「付き合う?」
「……はい」
やっと言葉にできた。
俺はやっと出た言葉と共に、大きな息を吐くと、その場に座り込んでしまった。
「ねえ、健太さん大丈夫?!」
「ごめん。ちょっとチカラ抜けちゃって」
ははは、と笑いながら俺は立ち上がることができなかった。
「あははは、健太さん、可愛いなあもう」
佐都が情けない俺を笑い飛ばしてくれた。
俺たちは、正式にお付き合いをすることになった。
それからの俺は、佐都の事を考えるだけで愛おしいと思うし、一緒の時間を過ごすことがとても楽しかった。
幸せだった。
でも、
何故か、佐都の体に触れることがどうしてもできなかった。
触れるどころか、自分が佐都に触れられる事も無理だった。
佐都が触れようとすると、身体が本能的に避けてしまう。
佐都に触れたくても、一歩手前で手が止まってしまう。
なぜなんだろう。
愛しい気持ちはこんなにもあるのに、触れたくない、触れられたくないとか、そんな奴いるのか?
俺は人として壊れているのかもしれない。
そんな事を考えるようになった頃から、今日のような夢を良く見るようになった。
こんな苦しみがあるなら、付き合う意味なんてあるんだろうか。
俺は佐都に幸せを差し出すことができるんだろうか。
やっぱり、俺は「好き」と言う気持ちを封印した方が良いのかもしれない。
風鈴がちりりりりりりりりりりん、ちりりりりりりりん、と強い秋風に吹かれるように寂しく、俺の中で、激しく鳴り響いていた。
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