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世界は「好き」で溢れている



昨日、ニュージーランド旅を振り返った記事が、ニュージーランド政府観光局のアカウントにリツイートされたことで、私の愛がニュージーランドに届いた!!!と、大興奮の大はしゃぎでした。


ニュージーランドは私の「推し」なわけですが、推しへ愛を伝えることは、応援にもなり得るし、対象が人の場合は度を過ぎると攻撃にもなり得ます。なので、好きを伝えるには”配慮”が必要です。


でもやっぱり好きだから、応援してるよ!こんなにも大好きだよ!あなたって愛されてるんだよ!最高以上に最高だよ!!などという気持ちを叫びたくなります。伝えたくなります。だって、溢れちゃうからね。


私の記事をいつも読んでくださっている方はお分かりかと思いますが、私は好きという気持ちは全力で伝えるタイプです。(恋愛を除く)言葉では足りないけれど、せめて言葉で伝えたいこの思いよどうか届け、と願ってしまいます。


ニュージーランドの場合、対象が「国」なので、愛の伝え方も届け先もよく分からなかったけれど、今回ちょっとは伝わった気がしています。


そして、私時々思うんです。
ニュージーランドも、BTSも、パン屋さんも、「なんでこんなに好きなんじゃろ?」と。


好きな理由を箇条書きにすることも出来ます。でもきっと後から後から、「あ、ああいうところも好きだったわ」とかポロポロ出てくるんだろうし、やっぱり言葉だけでは説明できない気がします。


だから私は、どうしてBTSが好きなのか、を未だに記事にできないし、(書いたら20000字超えそう)過去に書いたパン屋さんの記事やニュージーランドの記事を読み返してみると、「私もっと好きなんだけどな」と、思います。私の好き、全然伝わってない!!と、思います。もっと好きなのに。


きっと、説明できない部分こそが、「こんなに好き」の理由なんだと思います。「普通に好き」であれば、箇条書きで事足ります。


こんなに、の「こんなに加減」はきっと自分にしか分かりません。「ねぇ!こんなに好きなんだよ!」と相手に伝えたいならば、思いを強くぶつけるのではなくて、こんなにの部分を明確にしなければならない。しかしそれが難しい。だからなんとももどかしい。そんな感じです。




例えば好きなひとに対して、

・優しい笑顔が好き

と、箇条書きで書いてみても、絶対的に足りないんです。ここにどれだけの形容詞や副詞を足しても、足りません。


その笑顔が、その人の性格・生き方・感性などを表しているから好きなんです。
だから私も推しの笑顔が大好きですが、「かっこいいもんね」「イケメンだもんね」と言われると、うーん…となります。


どんな風に好きか、どうしてそこまで好きか、という気持ちを的確に言葉にするには、言葉というものはきっと強すぎます。


もっと、ちらちらと舞い降りる雪のような、木の葉を揺らすそよ風が頬を掠めるような、そういった的確に掴むことのできない確かにそこに在る好き要素がいくつも重なって、膨らんで、結果、「尊い」「可愛い」「(溜め息)…無理、好き。」とかになるんです。


言葉が足りない、と言いますが、そもそもどれだけ言葉を積み重ねても膨らませても、辞書に載っていない言葉を造ってみても、表現しきれないものなんです。だから「こんなに」となる。



でも、やっぱり「好き」のパワーはすごくて。最強だと思っています。「好き!」って言うだけでもう楽しいし、好きがどんどん増していってどうしようってなっても結局大好きでしかないし、好きなヒト・コト・モノを好きだと言うことに遠慮は要らないと思います。少しの配慮は要るけど。



好きって言葉にすることで「好き」が伝染していくと、これまたとても楽しいことになります。

あの時、友人が「彼らが好きなんだ」と言って紹介してくれていなければ、私は現在のようなBTSを好きな生活を知らなかったかもしれないです。


人生初めての推しですが、所謂”推しのいる生活”って、楽しいです。推しのことを好きだと話せば、同じく彼らを推す人とも出逢えます。好きな人について一緒に好き好き言う時間=プライスレス、です。

私の上司のお子さんも、少し前からBTS沼にハマったそうなのですが、最近では家族みーんな好きになっちゃったみたいで。「奥さんも僕もBTSが好きになって、最近家の中が明るくなったんです。」と嬉しそうに話す上司の姿が、とてもいいなと思いました。今月のオンラインライブも、家族みんなで楽しめるからお子さんも楽しいだろうなぁって。

そしてまたこんなエピソードを聞くと、「BTSすごすぎる。」となります。そりゃもう世界を照らす存在ですが、こうやって1つの家庭に幸せや笑顔を届けて…って、また好きになる。積もった。もうどこまで増えるの、って感じです。



でもね、自分が誰かの「好き」を好きになれなくてもいいんです。


例えば、私には杏仁豆腐が好きな友人がいます。私は杏仁豆腐を好んで食べることはないので一緒に、おいしーい!と言い合うことは出来ないのですが、杏仁豆腐を見つけると「あっ!」となります。


スーパーで、コンビニで、洋菓子店で、杏仁豆腐を見つければすぐに「◯◯にて杏仁豆腐発見!」と連絡を入れます。杏仁はプリンに比べるとかなりレアなので、必ず連絡します。毎回購入すると気を遣わせてしまうので、情報共有に留めていますが…


こんな風に、私は好きでなくても、思いがけず杏仁豆腐を見つけられると、嬉しくて。だから友人の「好き」を知ることって楽しいな〜と思います。


彼女もまた、私がキウイ(鳥)が好きで韓国で販売されているぬいぐるみが欲しくて欲しくて…でも日本で買えないという話をして以来、キウイグッズの画像を見つけては送ってきてくれます。「好き」の共有って、こういうカタチもあるんですよね。



この世界は、好きに溢れています。誰かの「好き」が誰かを幸せにします。世界を明るくします。だから、好きを伝えることは素敵なことなんだって思います。

私はこれからも、好きなヒト・コト・モノについて思う存分書いていきます。ニュージーランドとBTSとパン屋さん以外にもまだまだあるんです。


こうやって何かを書くことも、誰に頼まれる訳でもなくやっている、好きなコトです。


へぇ〜と思いながら読んでもらえれば嬉しいです。そして、「それ私も好き!」があれば教えてください。好き好き言う時間を共有しましょう。




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