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しあわせのパンの「しあわせ」とは


ドアの隙間を擦り抜けてくる。
マスクをしていても、香る。

まだあるかな〜ありますように。と願いながら入店します。

あった。大きくてまんまるなカンパーニュ。

1ホールは大きすぎるかなぁという思いも一瞬過ぎったけれど、まんまるのまま連れて帰りたいし、祖父母の家と妹夫婦、ご近所のおっちゃんおばちゃんにもお裾分けすれば、みんなでペロリです。

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(※許可を得て撮影させて頂きました。)


というわけで、まんまるカンパーニュをひとつ。まだ温かいそれは、店員さんによってクラフト紙袋に入れられました。それを両腕に抱えます。きっとこの時の感情を四文字で表すのならば、「ほくほく」でしょう。私の心は、ほくほくしていました。

お店のドアを一歩出たところで横にずれて、紙袋を覗いて深呼吸。

吸ってー、、止める。

愛しいその香りを堪能します。どちらも単体でも好きな香りですが、パン×クラフト紙袋だからこそ織りなせるあの香りが、私はたまらなく好きです。ほくほくバロメーターは上昇します。

まだ抱っこしていたいところではありますが、助手席にカンパーニュが座っていることへの喜びを噛み締めながら、私は自宅までの道のりを運転しました。


何故久し振りにカンパーニュを買いに行きたくなったのかというと、「しあわせのパン」という映画を見たからです。単純明快です。

湖、月、羊、そして、パン。

こんなにも私の「スキ」が登場する映画は、後にも先にもこの映画だけではないでしょうか。


北海道・洞爺湖のある月浦という地で、パンカフェ「CAFEマーニ」を湖のほとりで営む水縞夫妻を中心に描かれる物語。「眼福」という二文字がぴったりなほど、パンを始め私の好きな風景や空間の映像がたっぷりと流れる作品でした。

マーニを訪れるお客様は、何かしらのもやもやを心に抱えています。しかし、水縞くんの作るパンとりえさんの作る料理のおかげで、お客様の「もやもや」は「ほくほく」へと変わるのです。それはまさに、しあわせの魔法のよう。

豪華ではないけれど、丁寧な暮らし。
派手ではないけれど、豊かな時間。
不器用だけれど、確かな愛。

そういったものが詰まった映画だったように思います。

水縞くんがりえさんのことを心から思っているんだなと伝わってくることも、私がこの映画を好きだなぁと思ったポイントです。それは愛情を言葉で伝えたり、触れ合ったりという愛情表現から伝わることではないんです。

相手の笑顔を見守る目が、たまらなく優しい。
相手の笑顔を願う目が、たまらなく切ない。


そう感じました。言葉や仕草で伝えようとしているわけでもないのに、その気持ちが目に溢れ出ている。目は口ほどに物を言うとは言うけれど、これって、「至極の愛情表現だなぁ。」と思いました。


水縞夫妻はお互いを思いやっているから、お客様や周囲の人にもその思いやりを贈ることが出来るのかなぁとも感じていました。

隣にいる人が自分のことを思いやってくれていることを感じると嬉しくなります。ほくほく、満たされた気持ち。そんな満たされた心には、余裕が出来ると思うんです。満タンで余裕がある。矛盾しているようですが、その心の余裕はきっと、誰かのために空けておくもの。

余裕のない人には、余裕のある人がそこに思いやりを詰めて贈ればいい。そうやってどんどん繋がって広がって、くるくる巡ればいいなぁ。なんてことを思いました。


そしてこの映画でやはり印象的なのは、ひとつのパンをちぎって、ふたりで分け合うシーン。それこそがこの映画のテーマかなと思います。

出逢ったばかりのふたり、お父さんと子ども、長年連れ添った夫婦。マーニに訪れるお客様はみんな、最後にはふたりでひとつのパンをちぎって分け合い、しあわせな気持ちになるのです。

劇中、水縞くんからあるお客様に向けてクイズが出題されます。

「ラテン語の“カンパニオ”という言葉の意味は何でしょう?」


答えは何だと思いますか?companyという英語からその意味を想像できるかもしれません。

元々の語源はラテン語で「パンを分け合う人々」。なるほど、だからあの大きくて丸いパンをカンパーニュと呼ぶんですね。

ホールケーキがそうであるように、大きくて丸いことは、分け合うのにぴったり。大きくて丸いこの地球も、本来は分け合いっこがぴったりなんだろうなぁ。と考えてしまいました。

主食であるパンを分け合う間柄はつまり、仲間。だからカンパニオの意味は「仲間」だそうです。劇中でも言われていましたが、「家族」でもありますよね。


しあわせのパンの「しあわせ」

きっとそれは、分け合う人がいると気付いた時に感じる、しあわせなんだろうと思います。

おいしいもの、ステキなこと、やさしさ。

ひとりでだって、おいしいものはおいしい。でも、分け合ってもっとおいしい。パンは半分になるのに、2倍になるしあわせな気持ち。

私は、好きだなと思いました。こちらの映画。


そして、しあわせのパンの「しあわせ」がそうだとして、しあわせって何だろう?と思いました。

それは人によって様々です。ひとりで居るしあわせ、誰かと過ごすしあわせ、ペットと暮らすしあわせ、空、海、山、パン、ご飯、音楽、絵画、旅、晴れの日、雨の日、、何をしあわせと感じるのかは、それぞれ違います。


私は「しあわせになりたい」という言葉に違和感を覚える人間でした。今もそうです。

けれど、「しあわせで在りたい」とは思います。しあわせって、なるものでもなく、してもらうものでもなく、感じるものかなと思います。自分の気持ちや気付き次第だなと。

誰かがいるからしあわせ。ではなくて、誰かがいてしあわせと感じる。何かが在るからしあわせ。ではなくて、何かが在ることをしあわせと感じる。

いつだってそれは自分の心が感じるもの。だから、他人のしあわせの基準に自分の意見を押し付けるものではないですね。



私は、お気に入りのカンパーニュを食べます。大きくてまんまるなパンを見て、分け合って、食べて。それらを私は「しあわせ」と感じます。

さて、手を合わせて。
いっしょに、いただきます。

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