夢を綴るノート
私はきっと、感情を整理整頓するスピードが遅い。
世間やみんなのスピードには、どうも付いていけない。
正直、付いていきたくない時もある。
もっと、感じて、巡らせて、噛み締めていたい時がある。
私の感情は、きっとあの子よりも忙しい。
泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、元気になったり、コロコロ変わる。
そしてその振り幅が、ちょっと大きすぎて驚かれる。疑われる。
だから、凄く感動して興奮しているのに、すべてを表現しないことを覚えたりもして。
感情のベクトルを、一緒にいる人によって抑えたりもする。周りの温度に、合わせる。
本当はもっと、嬉しいんだけど。
本当はもっと、大きく喜びたいけれど。
そうして行き場を失った感情が、うようよ彷徨うことがある。
だから、わざと泣ける映画を見て、泣いたりする。
ひとりで笑える方法については、未開拓だ。
やっぱり、親友との電話かな。ひとりで笑うのは難しい。
私は、日常に転がっている事柄すべてに、意味を探してしまって、何かに結びつけたくなる。
通り過ぎたくない、偶然だと終わらせたくないことがたくさん。
自分が感じたこと、経験したこと、選択したことに、意味があると思いたくて。
そんな私の日常に、「夢」が生まれるのは、容易い。
けれど、多く生まれすぎて処理できないまま、埋もれてしまいがち。
夢は、思うだけでは、消えやすい。
まるで、シャボン玉のように、それは容易い。
だから私は、ときどきノートを開く。
そして、ペンを握って、夢を書き出してみる。
私はこれまでたくさんの夢を書いて、そのいくつかを叶えてきた。
まだ叶っていないことの方が多いけれど。それに、夢は変わることもある。
「夢」というワードは、大袈裟に聞こえるかもしれない。
だって今の私の夢は、教科書に名を残すとか億万長者とかノーベル賞受賞とか、そういったものでもなければ、「◯◯になりたい」といったような明確な何かに向かうものでもない。そんな夢がある人にはやっぱり憧れるけれど、今の私はそうではない。
けれど、「目標」と表現するのも違う。夢に大きいも小さいもないけれど、ささやかなものだって、私は夢と呼びたい。
夢をみるのって、楽しいから。夢が叶うのって、嬉しいから。ただ、それだけ。
気になるあのコーヒー屋さんに入ることも、遠く離れた場所に暮らす友人に再び会うことも、あの街に暮らすことも、ぜんぶ、私の夢。
心の中だけで抱いていた夢を、文字に変換して書き出してみる。すると、不思議なことに、今度はそれを、声にも出しやすくなる。
言葉は、力を持つ。
言葉にするだけで、それだけで、夢に一歩近づく。と、私は思っている。
言葉にすると、イメージが湧いてくる。イメージが出来れば、次はそれを叶えるためには何をしよう、と考える。
誰かに夢を伝えると、応援してくれる人に出逢ったりもする。同じ夢を抱いている人に出逢えることもある。励まし合えたりする。
思い掛けないところから、繋がる。
点と点を、線にするかしないかは、自分次第。
夢を話すことは、恥ずかしいことではない。その夢がどんなに小さくても、大きくても。私は笑ったりしない。
「Everything you can imagine is real」
想像したことが、すべて現実になる。
思い描いて、ノートに書き出して、言葉にして、誰かに伝えて。
夢に、また一歩近づく。
夢が、君に一歩近づく。
夢をみましょ。 寝ても、覚めても。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^