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袖振り合うも、一生もの。



『我等友情永久不滅』『一生仲仔』

小学校高学年〜中学二年生くらいまで、プリクラでは定番のらくがきでした。
そうです、平成初期生まれ田舎育ちです。


「ずっと・末永く・いつまでも・一生・永遠に」
そんな関係こそが、尊いものであり、理想的だと考えることが多いです。私もそう思っていました。

ずっと仲良くしたい、人生を共にしたい、そのように望む気持ちが溢れる関係性は素敵だと思います。

しかし、それと同じように、続かない関係もまた、私たちには必然と訪れるのだと思います。


『袖振り合うも多生の縁』

道で袖を振り合うような縁も、前世からの因縁であるという意味のことわざ。

ワーキングホリデーの1年間、私はたくさんの人と出逢いました。その日々は、これまでの人生で最も人に支えられ愛されて生きていることを実感し、感謝の気持ちで満ち足りていました。

なんてことを言いながらも、今でも定期的に連絡を取るのは、ふたりの友人のみです。

私は現地のベーカリーカフェで10ヶ月間働きましたが、その殆どの期間がロックダウンでした。
感染への警戒と不安や、どんどん厳しくなる制限にストレスも膨らむ中で、そこにやって来るお客さんの存在は、私がそこで暮らす意味そのものでした。

あの状況下で仕事を続けられるだけでもとても幸運なことでしたが、あんなにも温かく明るいお客さんたちに毎日会えたことは、本当に恵まれたことだったと思います。

AM6:30、ベーカリーカフェに出勤し、髪を束ねてエプロンを着ければ、私の1日はスタートします。

コーヒーが大好きな街の人たちは、テイクアウトのみが許可されている街のルールに従って、テイクアウトのコーヒーを毎日オーダーします。
殆どのお客さんは顔を見ればコーヒーのカスタムまで直ぐにレジシステムに打ち込めるほどでした。

私は、そんな常連のお客さんたちと顔を合わせられる時間が大好きで。毎日顔を合わせても、今日も会えて嬉しいと笑い合い、楽しく会話をしている間は不安も何もかも吹き飛ばされていました。


帰国して一年が過ぎ、また彼らと会えるかどうかを考えてみると、その可能性はあまり高くありません。

それでも、一年間滞在したあの街で素敵な人たちに出逢えたことには、きっと意味がありました。
欲を言えば、彼らにとっても私との時間がほんの少しでも温かさを持ったものだったなら嬉しいなと思います。


永遠に続く縁だけが、素晴らしいわけでもない。
そのタイミングで一緒に居ることが出来ただけで、思い返せばにっこりして有り難く思えるような思い出を持てただけで、きっと出逢えて良かったんだと思います。

あの頃、勤め先のお客さんとして素敵な人たちが周りにいてくれたことは、いまの私に繋がっている。あの時彼らに与えてもらった愛情や分けてもらった優しさが、私の自信になりました。あの頃の記憶が、この先、私を励ましてくれることもあるだろうと思います。

だから、お互いが必要な時に、良い影響を与え合ったり、救われたり、背中を押すことが出来たのなら。

たとえ一瞬袖を振り合っただけでも、ひと言のやり取りでも、連絡を取り続けなくても、一生ものだなあ。と考えるようになりました。


今日も彼らは、あのベーカリーカフェで、モーニングコーヒーを飲んだかな。あの人のオーダーは確か、スキニーミルクのラージラテだったっけ。どうか、みんな元気でいてほしいなあ。

そんなことを、時々思い浮かべます。

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