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わかりやすくなきゃいけないなんて誰が決めたのか



あなたのnoteは以前から気になってはいたのですが、難しそうな印象があったので敬遠していました。今日は時間があったので読みに来たのですが、読んでよかったとやっと思えました


ある日届いたコメント。ぼくの文章には難しい印象があるのだと、肩を落とした。

おすすめnoteにピックアップされるコンテンツは息抜きに適した軽い文体とボリュームであることが多い。ぼくが書いているものは何かを錯誤しているのかもしれない。

大好きだったnoteクリエイターはどんどんnoteをやめていく。全員、純文学を愛し、自らも純文学を発信していた人たちだ。純文学というジャンルはnoteの土壌にはそぐわないのかもしれない。



日常を簡単にまとめたnoteを書きたい日もあるけれど、ぼくが本気で文章を書いている時は、たいてい誰かから「難しい」といわれるような代物を書く。

小学校のときも中学校のときも、あらゆるおとなたちから厳しい添削を受けた。「あなたの書く文章はまわりくどい」とか「助詞の使い方がなっていない」とかいろいろ。

それでも文章を書くことが好きだった。ぼくは人から注意されると、落ち込んですぐに物事を放り投げてしまう性分だったけれど、書くことだけはなぜか続けていた。

逆に「どうしてまわりくどいといけないのだろう?」とか「この助詞はこういうことを表現するためなのに」とか、おとなに対して実際に言い返すことはなかったけれど、心の中で強く思っていた。

おとなたちに何といわれようと、納得のいく説明がなされないかぎりは修正しようとはしなかった。


「なぜこの助詞を使用することが適切なのですか?」とぼくが訊いた。
それは中学校のときに通っていた塾のエントランスでのやりとりだった。ぼくが書いた作文にはひどい点数がつけられていた。ぼくは理由を知るために国語の先生に質問をしたのだ。先生はなかでも助詞の用法が気に食わなかったらしい。
「うまくいえないんだけれど」先生は頭をぽりぽりと掻きながら言った「そういうものだからだよ。ここで『を』を使うよりも『は』を使ったほうが感覚として気持ちいいだろ? そういうもんなんだよ」

ぼくには先生のいう気持ちよさを感じられませんでした。今想うと先生の言っていることはある側面からみれば合っていたのかもしれない。ある側面からみれば。

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好きなものを好きなように書くために、noteを書いています。だから、このマガジンは僕の「スキ」で溢れてるんだと思います。

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今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。