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【短編小説】 月でふたりきりで暮らすイメージ (2)

ホームに立ち尽くしたまま、電車を待っている。

ベンチには座らなかった。すぐそばにベンチがあるのを、わたしは知っていた。
でも、そこに座ろうとは思わなかった。というか、それが座るためのものなのかどうかさえ、そのときのわたしにはわからなくなってしまっていた。博物館に展示されている椅子に座らないのと同じように、わたしが、わたしのすぐそばにある椅子に座らないのは当然のことだと思っていた。

わたしの頭はなにも考えられないようになっていた。フリーズしていた。オーバーヒートして、重要な回線が一本切れてしまった機械——ガラクタ同然の半導体が脳みそのなかに内蔵されている——ガラクタ同然のわたしになっていた。

けれど、ガラクタのままでいい、とわたしは思った。こんなにすてきな気持ちになれるなんて、人間も捨てたものではない、とわたしは思った。

わたしは、彼のことをごく自然に考える。わたしが右手を小さく振ると、それにあわせて左手を小さく振り返してきた彼のことを、ごく自然に考える。



わたしが右手を体のわきに戻すと、かれもまた左手を自分の体のわきに戻した。わたしはまるで、鏡に写した自分自身を見ているような気分になって、思わず笑ってしまった。かれはふしぎそうにわたしの顔をのぞこうとしてくる。

どうして笑っているの?

と、彼は言葉にださないで訊いてくる。

わたしは首を横に振って、それに応える。そして「じゃあね」と小さな声でつぶやいて、改札のなかへ消えていった。一度も振り返らないで、わたしはエスカレーターでホームへ上がった。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。