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真面目は損か?

こんにちは、アラサーOLきよこです。

今日は「真面目」に関するお話です。

私は子供の頃から通知表には「真面目で良い子」と書かれ続けたような性格です。

大体言われたことはきちんとやるタイプですし、反抗心からルールなんか知らん!我が道を行く!というタイプでもありません。ルールであれば滅茶苦茶文句言いながらも仕方がないなと従うタイプです。

自分で自分のことを特段真面目と思ったこともありませんが、世間的に見たら真面目な方かな、と思います。

そんなわけで人生で何度か言われたことがあります。

「あまり真面目に考えすぎないようにね」

子供の頃は「真面目」が良いこととされていました。言われたことをきちんとやる、人に迷惑をかけない、扱いやすいことこの上なしです。

オトナになると「真面目」はあまり良い意味では使われません。

「あの人ホント真面目だよね〜」

と言った時、そこには暗に「融通がきかない」「頑固」「面白味がない」というような意味が含まれているように思います。

子供の頃は化粧禁止と言われ続けたのが大人になると突如義務になるように、真面目にやれと言われ続けてやってきたのに、あんまり真面目でもね、と言われるわけです。

なんだかなぁと思わないこともありません。

ルールなんか気にせず好き放題やっている人たちを見て、羨ましいと思うこともあります。そういう人たちの方が気さくで人気があったりします。

そして、不良が猫を拾う現象と同じく、いつもやりたい放題やっている人が真面目な態度をとると評価されたりもします。

いつもちゃんと真面目にやっている人は損じゃない?と思うこともありますね。

実際のところ私は表面上取り繕うのが得意な方なので、そういうオトナの世界に合わせてわりと柔軟に生きてはいます。

でも、人がやっている分には気にしないけど自分がやるのは違うな、みたいなことも往々にしてあります。

心が揺れる時、人生のバイブル「十二国記」の言葉を思い出します。

『裏切られたっていいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、 わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい。』

損かもしれなくてもよいのです。人としてきちんと生きたい。

皆が赤信号を渡るからといって、自分も渡る必要はないのです。

そして、それは理解されなかったとしても、自分が分かっていれば良い。

「良心」に従って生きる、人に流されやすい私の中で、それだけは決めていることです。