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自分の嫉妬のなだめ方

こんにちは、アラサーOLきよこです。

今日は嫉妬する自分のなだめ方についてお話しようと思います。

別に私自身上手くコントロール出来ているわけではないですが、精一杯の強がり方法を残しておこうと思います。

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私はそもそも「嫉妬すること」自体を醜いことだと長く思っていて、「嫉妬」=「恥ずかしい」ことだと思っていました。

それは感情をコントロールできずに暴走する人々を目にしたことがあるからです。

(ホルモンバランスが乱れやすい女性というの立場からすれば感情がコントロール出来ていることだけでも褒めてほしいくらいではありますが)いい大人になって感情のコントロールすらできないなんて、とよく思っていました。

本当に、大人ってもっとオトナだと思っていましたよね。

そして私は「感情をコントロールする」=「その感情を持たないようにする」ということだと思っていました。

嫌いとか、悲しいとか、寂しいとか、嫉妬とか。精神的に強くなればそういうものから解放されるのかなと。

自分に合ったコミュニティを選ぶことで、そういう感情が生まれにくい状況を作ることは出来ます。

でも私が常人である以上、完全にないものには出来ません。

素直に「さみしい」と言いたい」という記事でも少し述べたのですが、「感情をコントロールすること」は「その感情を持たないようにする」ことではなく、「生まれた感情をうまく昇華させることが出来る」ことです。

人間であれば嫉妬もするでしょう、それを自分の中でうまく昇華してエネルギーに変えるなり、平穏な日々を送るなり、していく必要があります。

生きるって本当に難儀なことです。

とはいえ、嫉妬ってやっぱりまだどこかで恥ずかしいなって思っちゃうのです。だって嫉妬するということは、他人が持っているものを自分が持っていなくて、かつそれを受け止め切れないような貧しい心の持ち主なんだって、自分に対して思ってしまいます。

私って心の狭い、器の小さい人間だなって。がっかりします。

その感覚は今でも完全に払拭出来たわけではありませんが、それでもようやく嫉妬するのも人間じゃない、とも思えるようになってきました。

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人には向き不向きがありますから人と比べても仕方ない、そんなことは分かっています。

他人の得意なものと、自分の苦手なものを比べても本当に意味がない。

弁護士が医者と比べて医療知識がないことを嘆くようなものです。

でも比べないなんてことが出来るならそもそも悩んでない。

となれば、大体は自分の得意なことを思い出して、○○だったら私の方が出来るし!という心の慰め方をするかと思います。

仕事だったら、あの子はスキルがあるけど、コミュニケーション力は私の方が優ってる!というような具合です。

でも、それでも、能力の高い人ってそれが事実かどうかはともかくとして、何でもできそうな感じがしますよね。自分に出来ることなら当然あの人にも出来るよな…という。

お医者さんって頭良いから弁護士の資格もその気になれば取れそう、とか、あの子スキルもあってコミュニケーション力も高い…出来ないことなさそう…、みたいな場合です。

こうなってくるともう事実は関係ありませんから絶対に自分は勝てるところがありません。

そういう時、私は最終的に「比較できないもの」を考えることにしています。

「私の方が心が豊か」「私の方が性格がいい」「私の方が幸福」というような、そもそも比較とは??というレベルのごりごりの主観です。

でも「心の豊かさ」や「幸福」は、人によって感じ方も違えば、尺度も違う。計測することすら出来ません。つまり絶対に優劣を証明できないものです。

私が、「多分私の方が上!」と思えば、もうそれが事実です。

自分の心の余裕のなさを曝け出していてお恥ずかしい限りです。

完全に勝負の土俵から逃げ出しているわけですが、そもそも人生って勝ち負けではありませんし。強いて言うなら「幸せな方が勝ち」ですから。

私はとてもネガティブな人間で周りの評価を気にしてオロオロする賢くない小心者ですけれども、それでも天気がいいと幸せだなって思える心の持ち主でもあるんです。

他人と比べて評価してくる上司はくるみわり人形にして暖炉にくべる妄想でもしながら、周りの人より私は幸せ、と思いながら、腐らず過去の自分より成長しているところを数えて、明日も清く生きていきたいと思います。

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