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一年休職した話

こんにちは、アラサーOLきよこです。

今日は「世の中の全てのことが嫌になった時の話」の続きです。

働くのが嫌になって一年間の休職を決意したお話をしました。

休職というのは臆病な私の保険です。現実から逃げ出したいほど投げやりなのに、会社をやめるほどの勇気はなかったのです。なんとも中途半端なことです。

そんなこんなでゆるゆると準備をしてぬるっと海外に飛び立ちました。

英語が出来るようになったら良いとは思いましたが、本来の目的はそこではありません。ゆっくりして、色々な場所に行ってみて、自分の心を休めることです。

この目的を見失わないことはとても重要でした。

留学についてネットで調べるとそれはそれはもう意識の高い記事がいくらでも出てきます。

「精神的に向上心のない者はばかだ」と言わんばかりです。

もちろん英語習得や、MBAだったり何か学問の習得を目的として留学する方たちには、そのような叱咤激励は効果があると思います。

ただ、あまりにもそんな情報しかないので、うっかり自分の目的を見失いかけたことは何度もありました。

でもこれは私の人生で、私が自分で選択して、自分のお金でやって来たので、ネット越しの知らない誰かの言葉に振り回される必要はないのです。

私は海外でストレスなくのびのび暮らせました。美しい街並みを毎日30分歩いて通学し、学校帰りにカフェに寄って宿題をして、何の責任もなく、何を失敗しても損することはありません。

些細なことですが学校が15時に終わるというのも、社会人生活に慣れたあとではなかなかに凄いことでした。遊びに行けるし、買い物も出来るし、料理も出来ます。

国を変えたからといって劇的な変化があったわけではありません。もう自分の価値観がある程度固まっている年齢です。

留学先としてメジャーな場所を選んだので英語が話せなくても死ぬほど苦労することはなく、行った当初はこんなものかと思ったくらいです。

でも、気付かずすり減っていたものが少しづつ回復している気がしました。

そんな、自由で、時間に縛られず、歩くことの多い生活で、不思議と勉強もそれほど苦ではなかったです。

人生において、「余白」の重要性を、身を持って実感したときでした。

良い変化は本当に少しづつだったのだと思います、自分ではあまり気が付きませんでした。

自己肯定感が低い人間に相応しく、英語力向上が目的ではないと言ったそばから英語力が伸びないことに悶々としたり、英語が出来なくてもコミュニケーション力だけで多国籍な人たちと仲良くなる人をみて羨ましく思ったりしていました。

でも帰国してみると、かなり色々な人に、明るくなったね、健康的になったね、と言われましたし、確かに以前より生きることに対して前向きになっていました。(健康的は太ったのもあるかも笑)

辟易としていた日本の社会も、離れてみるとそれなりに良いところもあると気付けたこともあるかもしれません。

戻っても仕事がある事実を盾に、全財産をふっ飛ばして帰国したわけですが、今でもなんとか東京でまともに生活出来ているのは、この経験のおかげといっても過言ではないでしょう。本当に行って良かった。

ちなみに蛇足かもしれませんが、こうやって留学できたのは自分の境遇がかなり恵まれていたおかげなので、周囲の方たちには大変感謝しています。