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自分自身を事例になぜ適応障害が起きたのかを改めて考えてみる その2

その1からの続きです
https://note.com/popopo2019/n/nc2c445f1a482

では、その1で書いた1〜7の要素が私の社会生活にどのように影響をしているかを考えてみる。

何か問題に直面したときの自分の反応
例えば会社で何か新規事業を立ち上げてほしいとか、マニュアルを作って欲しいとか頼まれたとする。
 そうすると、標準以上のクオリティで仕上げなくては。という思いに取り憑かれて他のことを捨て置いて、とにかく達成できるようにあらゆる手を尽くすようにしてしまう。これは、単純にADHDの過集中では?と最初は思ったのだけど、どうも違う。
 私は難しい仕事を達成することに、自分の仕事のやりがいを見出しているようで、ただの事務処理とか誰でもできることは放置してしまう。そもそも、私に事務仕事させたら悲惨なことになるという説もあるけど。これが比較的ポジティブな反応のとき。
 それがネガティブな反応の時は、頼まれてもいつまでもやらない、放置する。今もキッチンに2日分の食器の山がある。食洗機にセットするのすら億劫。でも料理をしてパートナーに喜んでもらうのは好きだから、お昼のお弁当とか3食しっかり作るのはやってしまう。

 ここまで書いてわかるのは、誰かに喜んでもらう事に存在意義を見出していて、直接的に他者を喜ばせない事には全く興味がない、ということ。
 
 休職中も3食作るのは止めなかったし、朝パートナーを送り出すのを毎日していた、日によってはバイクで駅まで送ったり。コレをしないと罪悪感に押しつぶされそうになる。ほんとは適応障害なんだから、朝日に当たるのはいいけど最初の一月位はゆったり過ごすべきなのにそれができない。
 で、送り出すと無気力になって自分の昼食は適当だし、なんとか買い物行って夜まで洗い物もせずボーッとしておて、パートナーが帰ってくるとスイッチが入ってご飯を作る、みたいな状態。

 とにかく他者を喜ばせないと自分の存在意義がないし見捨てられると思っている。

 これは要素の1と2が影響強い?つまり、条件付きの愛情しか与えられなかったから。と、言うことなのかな。
 
 発達支援・障害者支援では、条件付きの支援は原則使わないというのが基本。取引になってしまい自発的な行動の促しにならないから。お菓子やお金などの即物的な強化子を使った支援も同様。いつか別に書くけど、何年も強度行動障害で困っていた人たちですら、そんなものなくても社会生活を営んめるようになって、汎化も出来たしそんなもの必要ない。

 普段の子育ても同様で、親からの無償の愛情がいかに大切かよくわかる。親からすれば私は幼児の頃から手間のかからない子だったそうで。それはそうだよ、親の顔色常に伺っているんだから。

とはいえ、どういう形であれ自分の欲求満たしているのに、そこからなんで適応障害になるのさ?という疑問は残したまま次回へ。

つづく!


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