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自分自身を事例になぜ適応障害が起きたのかを改めて考えてみる その1

私はADHDの診断が出る以前から、仕事で疲れ果て適応障害の診断を受けて治療をしたり、学生時代は大学の講義に出られなくなったりと、今思うと適応障害だったのでは?と思う場面が過去に多々ある。
それらの原因は自己肯定感が低いことから来ているのではないか?という仮定で考えてみる。

一般的に、幼児の頃から家族関係に問題があると自尊心が低い人間に育つと言われてはいますが…

では、私の場合はどうか?

自分自身が思う性格形成にネガティブだった要素
1.自分の思い通りの答え以外を言われると大声を出す父
2.自分の思っていること以外のことが起こるとまず拒否的な反応をする母
3.6歳上の姉との扱いの差
4.発作の酷い小児喘息
5.男であること
6.ほめられない
7.ADHDであること

この辺りがまず思い浮かぶ。

1について
長年の積み重ねで家にいるといつ父が大声出すかと不安になる。明らかに間違ったことを言っていてもそれを認めず、週末になると夫婦喧嘩や姉が一緒に住んでいたころは姉といつも口論していた。

2について
例えば私は云わゆる「片付けのできない子」になっていたんだけど、母が部屋に入ってくるなり「何この部屋、イヤイヤイヤイヤ」と言っていたのが今でもよくフラッシュバックする。

3について
例えば私が遊びに行っている間にディズニーに従姉妹たちと行ってしまう。とか。それ以外にも姉が成人して以降もいろいろ。

4について
発作が辛いけど誰にも助けてもらえないし、家族に限らず無神経な大人たちは自分の聞こえるところで発作で亡くなった近所や市内の子の話をする。おかげで発作のたびに「次に死ぬのは自分かもしれない」と考えるようになった。

5について
私のADHDは多動よりもよく喋る方に出ていて、女系一族の中にいる分には目立たなかったけど、学校とかでは「男のくせによく喋る」的なことをよく言われたり、大人になってからも「男のくせに女みたいな根回しをして!」と言われたりしました、主に女性に。男の方が子供の頃から社会的な圧力が高いという話があるけど、それをもろにウケた感じ。仕事で幼児〜小学生扱っていると余計感じるけど、女性なら特に問題にされないことも多かったんじゃないかなぁ。男性の生き辛さとかその辺の話も書きたい。

6について
何をやっても主に父からあれが足りないこれが足りないと言われ続け、最後は実家建て替えてあげたのに不満しか言われず心が折れた。

7について
要素としてはあるけども、今のところ小さいと仮定する。

こんなところかな。
並べると、典型的な家庭環境だなぁ…

これら一つ一つにたくさんのエピソードがあり、年齢があがるにつれ辛い記憶が積み重なりフラッシュバックする量が増えていく。
辛い記憶のフラッシュバックは、まるで今そのことが起きたかのように思い出して繰り返し心にダメージを与えるのでそれがとても心身に負担がかかる。この現象がなければ相当生きやすいんだけど…。

では、これらの要素が社会生活(学校や会社)でどのように適応障害のトリガーになっていくのか、その辺を次回から整理してみる。

まとめるだけだも精神的に堪える!

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