見出し画像

なみだを超えて

「泣くのはいい。でも自分の意志で涙を止められる女になりなさい。」

涙が止まらないなかで浮かび上がってきたのは、映画『阪急電車』のセリフでした。


ーーー

今日はふるさとの
低山に登ってきました。

一段一段、石段を登って。
何度もやって来たその道を
辿っていったのですが、

頂上に到達したときに
涙が止まらなくなり。

泣くというよりも
出る、という表現が相応しいようで
ただ流れるままに何かが洗い出されていくようでした。

お日様に照らされながら、
ただそこに居ながら
自然と止むのを待っていると、
それは次第におさまってきました。

止めることもなく、
止めてもらうでもなく
「止む」という選択は
なんだかあたたかくて。

冒頭の『阪急電車』のセリフの示す
「自分の意志」の在りかが、
おぼろげに現れたような気がしました。


ーーー

そこから意識を広げてみると、
周囲に高くそびえる山々の存在や
山を登ってきた人たちの息遣いが
そばにあることに気づいて。

今この場にいる私の存在を
まるごと受け容れてくれている〇〇が
ずっとそこにあったことにも気づかされました。


これまで何度も超えてきた
山があることも、
出ていく涙が迎え入れて。

ただ流れ出ていくのではなく、
言葉が受け止めてくれるから、
まっさらなページが受け止めてくれるから
受け容れのスペースが広がっていくことも感じられました。



言葉を書き下ろし、
下山することで。
これから山を登る人たちに
声がけができることが、
いっしょに山に登る道があることが、
頼もしく感じられます。


涙をこらえず、超えたときに
望める景色があることを
どうか忘れないで、
また山道へと足を踏み出して
ゆけますように。





「ほっ」と心温まるサポートも嬉しいです♪お読みくださりありがとうございます☺︎