短歌五十音(し)折口信夫『釈迢空歌集』
このnoteは次の2部に分かれています。
折口信夫, 富岡多恵子編『釈迢空歌集』の紹介(2500文字)
釈迢空の短歌滅亡論から現代短歌の位置をさぐる(4500文字)
第2部はおまけです。気になるかたのみお読みください。
釈迢空の短歌をたどる
折口信夫=釈迢空について
国文学者である折口信夫が歌人・詩人として名乗ったのが釈迢空……とされている。富岡多恵子によると、釈迢空は折口の戒名・法名でもあるという(『釈迢空ノート』)。
なぜ出家後・死後の名前である釈迢空を生前から名乗っていたのか。富岡は折口に「父」の遊蕩に由来する生殖嫌悪・生殖忌避と出家願望があり、自身は結婚せずに子を残さないという強い覚悟があったという。
1887年、釈迢空は大阪に生まれる。早くから古典に親しみ、短歌に励み、やがて国学院大学の教授に就任した。生涯を通して複数の弟子を持ち、共同生活を営みつづけた。旅を繰りかえしながら日本古代の姿を幻視し、その国文学・民俗学・神道学・国語学・芸能史におよぶ業績はいまでは〈折口学〉と呼ばれている。
迢空は弟子たちと同性愛の関係があったという。迢空が最も愛したのは藤井春洋である。春洋は1936年、迢空と同じ国学院大学の教授となったが、41年に召集を受け、44年には硫黄島の守備隊員に着任する。45年3月、硫黄島は米軍の総攻撃を受けて守備隊が全滅、春洋も戦死した。享年37歳である。
1944年、迢空は春洋の硫黄島行きを受け、春洋の死期をさとったのか、彼を養嗣子として迎え入れる。しかし、春洋は迢空と再会することなく命を落とす。最愛の弟子であり、弟であり、妻でもあった春洋を失った迢空の嘆きは、期せずして彼の短歌を大いに賦活することになる。
(1)供養塔
「供養塔」(「大正十二年」, 『海やまのあひだ』1925)は名実ともに釈迢空初期の代表作である。ここで旅をする迢空は、巡礼者のような目で馬塚・石塔婆を眺めている。
一首目・二首目では、旅中に死んだ「人」と「馬」に自身の旅路を重ねている。下の句に〈私〉の心情が読みとれるのは、迢空独特の表記法によって上の句と下の句が「。」によって切断されているためだ。
上の句と下の句で景 - 情をするどく対応させる短歌は多くある。たとえば「つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて」(岡井隆『ネフスキイ』)、「秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは」(堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』)などがそうである。
迢空の歌では、上の句末尾の「けり。」の時点で〈私〉の心情がもれている。臨終の姿さえ想像し、草に隠れるまで時を経た人と馬の墓に、迢空は自身の長い旅路と、そしてそのように過ごしてきた人生を重ね、「行きとどまらむ旅ならなくに」〈私〉も旅の「道に死ぬる」だろうと語るのである。
(2)門中瑣事(抄)
「門中瑣事」(『春のことぶれ』1930)は世話物のような展開を持つ連作である。本来は長大な詞書(連作の説明と事件の批評)にはじまる36首の連作であるが、ここでは6首を抄出した。
女の語りと作者の語りが混在し、作者の語りにおいても、ときに女に目を向け、男に目を向け、終りには自身の決意を語る。まさに小説を短歌に落とし込んだかのような自在な連作である。迢空は短歌の内容においても革新を目指し、写実主義にとどまらない幻視の目をもっていた。
(3)晩年の回生
第一歌集『海やまのあひだ』、第二歌集『春のことぶれ』で優れた成果を残した釈迢空だが、つづく『天地に宣る』(1942)、『水の上』(1948)、『遠やまひこ』(同)ではやや低迷しているように思われる。しかし、遺歌集『倭をぐな』(1955)では著しい復活を遂げる。
それは自身が援助した日本の敗戦と、養嗣子であった藤井春洋の死に由来する。悲嘆にくれる迢空は、しかし、初期にまさるほどの優れた短歌をのこした。
前半二首は春洋の死を、後半二首は敗戦を詠む。春洋の献身のなごりに胸を打たれ、老いた身では墓参も長く続けられないだろうと悟る。敗戦の辛さを忘れるように「林檎の歌」を歌えといいながら、敗戦前の姿を思わせる「秋の相撲」には大粒の涙をながす。
生きものの寝静まった夜ふかく、山をさまよう主体は何を求めているのだろうか。巡礼の旅のつもりであろうか。
「すぎこしのいはひ」とはユダヤ教の祭で、出エジプトの過程でイスラエル人が神の災いを避けるために羊の血を家に塗り、その災難を過ぎ越したことに由来する。いまではユダヤ人が儀式的な料理を食べる日というが、主体はその食事を「冬のけもの」に分け与え、神の恵みをともにしようとするのである。
迢空は和歌の発生に歌垣(男女が求愛のために集まり、歌を交わす場)を見た。また、迢空は生涯源氏物語の講義をつづけた。彼の学問は古き世の「恋のあはれ」を伝えるものだった。
迢空は異性愛・結婚・出産といった規範的な恋愛関係とは遠いところで、しかし確実に愛を育んでいた。そんな彼だからこそ、戦後の日本にも「頼もしき」恋物語を求めたのである。
古代の日本の姿をさぐり、神のかたちをも追究した彼は、このような言葉を残して1953年9月3日に世を去った。享年66歳である。
迢空・春洋の「父子墓」は春洋の故郷である奥能登に安置されている。墓碑には次のように刻まれている。
呪われた短歌のゆくえ――釈迢空の短歌滅亡論
釈迢空は1926年、短歌は滅亡すると論述した(「歌の円寂する時」)。富岡多恵子『釈迢空ノート』の一節を引用する。
ここで著者は「昔風な」「生活気分」のなかで身についてきた「歌」=「遊芸」と、「同時代の文学」=「創作」とを対比している。前者には【前近代】が、後者には【近代】が当てはまる。迢空にとって歌とは前近代的な習いごと(先輩歌人に入門し、指導を受け、結社に入会する……)であり、けっして近代の文学ではなかったということだ。
迢空は短歌に近代の「生活の拍子」(同時代の人々の思考や生活のリズム。(「追ひ書き」『釈迢空集』1930))を乗せようとする。俳句に乗る生活の拍子があり、詩に乗る生活の拍子があるからには、短歌にしか乗らない生活の拍子があるはずだ。古くは短歌形式を「小歌」に改良することで時代の変化(生活の拍子の変化)に対応したのだから、いま短歌形式を改良しない理由はない。
たとえば迢空は短歌に句読点や字空きをくわえる。短歌を四行詩に書きかえ、叙事的な内容を盛りこもうとする。都会生活には抒情よりも叙事が似合うから、ともに同時代の生活の拍子をうたうためだ。しかし、どちらの方法でも迢空は納得できなかった。ここから短歌はすでに滅んでいるという認識が生まれる。
短歌が近代化できないのは、それが古い詩形だからである。迢空は「歌の円寂する時」(1926)において、「何事も、生れ落ちると同時に、「ことほぎ」を浴びると共に、「のろひ」を負って来ないものはない」と語る。短歌が負った「のろひ」は二つある。第一に、「古代文章の発想法は、嘱目するものを羅列して語をつけて行く中に、思想に中心が出来て来る」から、「短歌には叙景・抒情の融合した姿が栄えた」。第二に、「歌垣の唱和が、一変して短歌を尊ぶ様になつ」たことで、短歌は「発生的に、性欲恋愛の気分を離れることが出来ない」。
つまり、短歌は本質的・宿命的に抒情詩であり(第二の点)、主観と客観が不可分である(第一の点)ということだ。だから、短歌は「叙事詩となることが出来ない」。また、短歌に「理論を含む事は出来ない」。
では、迢空は短歌のもっとも明瞭な近代化の姿、つまり口語歌をどう捉えていたのか。一言でいえば、短歌は古語の世界で生まれた詩形であるため口語には調和しないというものだ。昔は口語に合う詩形として都々逸などが作られたのだから、口語歌の進むべき道は五七五七七に代わる新しい詩形をつくることにある。
迢空は「歌の円寂する時」において、新しい詩形として自身の「四行詩」に期待を向けている。しかしのちの文章では、四行詩をつくった「此時の昂奮」は自然と「詠歎の形に還った」と語っている(『釈迢空集』「追ひ書き」)。
短歌につきまとう呪いと、呪われた短歌から逃れられない自分。迢空は「歌は、日本人にとって、一つのごうすとなのかも知れない」というに至る。
「滅亡論以後」(1938)では、迢空が「批評家」として短歌に文学的価値はないと言いながらも、「作家」として短歌の「生きる道」を探しつづける態度が克明に描かれている。
さて、迢空は近代詩もつくっていて、それはほとんど文語定型詩であるが、いくつか口語自由詩も残している。先の「四行詩」のほか、戦後に書かれたものがそれにあたる。
こうした迢空の口語自由詩を「つまらないもの」とみる富岡多恵子の見解は、なぜ現代短歌が流行っているかを考えるうえで貴重である。なぜなら、筆者は現代口語短歌の多くを定型に詩らしさが注がれたものだと考えるからだ。
富岡の引用にしたがって迢空の短歌と詩を比較してみよう。
富岡によると、迢空の口語自由詩は「ナマ」の「コトバ」で構成されている。詩は「つくる」ものであるから、その言葉は「虚構を経過」していなければならない。たとえば「歌舞伎の女形」は男が「虚構として」女になるのだから、「舞台に上った時つまり「詩」作品になった時」にかえってリアリティーが生まれている。
迢空の短歌にもナマのコトバが多いが、「馬」が「道ゆきつかれ」て死んだというのは「作者の虚構」である。また、短歌の韻律が「迢空に肉体化」されているからこそ、この歌はすぐれたリアリティーを持っている。富岡はこのようにいう。
富岡は詩人である。だから詩に対する感覚は鋭いが、短歌に対してはやや言い淀んでいるように感じられる。ここで筆者なりに言い換えてみよう。
短歌に「馬」という言葉が置かれているとき、読者はまずその馬を具体的・現実的なものとして読む。詩に「馬」という言葉があるとき、読者はまずその馬を抽象的・虚構的なものとして読む。
措辞の現実性があいまいな場合で考えてみたい。たとえば「馬泣いて」という初句を読んだとき、馬は泣く動物なんだろうとか、汗かなにかの水滴が涙に見えたんだろうとか、あるいは〈私〉の涙がかかったんだろうとか、そのように考えるほうがスムーズではないだろうか。では、詩の一行目が「馬泣いて」で終わっているとき、この馬は擬人化されているから次は馬の心情描写が来るだろうとか、馬の精悍さと涙の柔弱さがイメージとして対比されているのだとか、そのように考えるほうが自然ではないだろうか。ここに読者態度としての短歌と詩の差異がある。
これは詩形の文化的差異でもあるだろうし、短歌が「つくられる」ものではないからでもあるだろう。釈迢空にとって短歌はあまりにも肉体化されていた。迢空は短歌の方法で口語自由詩をつくったために、ナマのコトバが詩のなかで空中分解してしまい、詩のリアリティーが失われてしまったのだ。
現代口語短歌に虚構の歌が多くみられ、それらが受け入れられているとすれば、原因は短歌の口語化・散文化・破調化にあるだろうし、キャッチコピーや塚本邦雄・穂村弘・木下龍也らのおかげでもあるだろう。つまり、現代口語短歌はとても〈つくりもの〉のようになっているのだ。
ここに釈迢空の考えた「遊芸」としての近代短歌との分水嶺がある。たしかに迢空は字空きや句読点を用いて韻律を「つくり」あげたが、それは同時代の生活の拍子を保存するためで、新たな表現的効果を狙ったわけではなかった。
さて、次に問題となるのが、現代短歌は「叙景・抒情の融合した姿」や「性欲恋愛の気分」から離れることが出来ているのだろうかという点である。
たとえば藤井貞和は、これまで述べてきたことを次のような言葉で語っている
和歌短歌が「つねに事実や素材に膚接」するとは、富岡の指摘するナマのコトバのことであり、迢空の述べた「叙景・抒情の融合した姿」まで通貫する。また、「うたが呪術である」とは迢空の「性欲恋愛の気分を離れることが出来ない」に連続している。
呪いをかける道具であった和歌に、いつのまにか日本人が呪われていたと考えてみる。現代口語短歌が上の句と下の句に叙景と叙情を分置するのは、読者の脳内でそれを融合させるためだ。〈きみ〉を思い、〈きみ〉に呼びかけるような短歌群は、まさに「性欲恋愛の気分」を湛えているし、それ以上に「信仰」的「呪術」的ではないか。
現代短歌が〈つくりもの〉化したことで、短歌界はいままでにないほどの活況を見せつつある。しかし、そこにあるのが瑞々しく――相手を呪ってしまいそうなほど懸命な――恋愛感情のみであるならば、やはり短歌は呪われていると言わねばならない。
けれども、藤井が述べるように、短歌は時に「天性的な詩人」を生み出す。彼が挙げるのは、第一に斎藤茂吉。そして石川啄木、北原白秋、宮柊二、佐藤佐太郎、寺山修司、そして晩年の釈迢空である。最後に藤井が彼らの特徴を述べた文を引用することで、読者が現代短歌の「ことほぎ」を受けるための一助としたい。
参考文献
底本:折口信夫, 富岡多恵子編『釈迢空歌集』(岩波書店, 2010)
阿木津英『アララギの釈迢空』(砂子屋書房, 2021)
折口信夫, 池田彌三郎ほか注釈『日本近代文学大系46 折口信夫集』(角川書店, 1972)
斎藤英喜『ミネルヴァ日本評伝選 折口信夫――神性を拡張する復活の喜び――』(ミネルヴァ書房, 2019)
富岡多恵子『釈迢空ノート』(岩波書店, 2006)
藤井貞和『釈迢空 詩の発生と〈折口学〉――私領域からの接近』(講談社)
山本健吉『釈迢空歌抄』(角川書店, 1966)
なぜ『釈迢空全歌集』(角川書店, 2016)を選ばなかったかについて触れておきたい。どうやら『釈迢空全歌集』は〝全歌集ではない〟ようだ。
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