星めぐる旅 #6 天空の鏡(隠岐・壇鏡神社)
前回のお話
2023年夏。筆者(伊地知奈々子)は山陰の愉快な仲間たちと連れ立ち、隠岐をめぐる旅へと出かけた。隠岐・島後の総社、玉若酢命神社、隠岐の原始信仰を感じる祠に続き、海に抜ける穴、そして崩落した神社…人と場の関わり、祈りという営みが、隠岐の風景の中から浮かび上がってくる。
隠岐の小野篁伝説
「次の滝に行きましょう。小野篁が滝行していたところ」
崩落しかけた那智神社から戻ってきた大下さんが、次の目的地として提案したのは壇鏡の滝だった。かつて隠岐配流された歌人小野篁が、1日でも早く都に帰れるよう、滝行を行った場所であるという。
小野篁は、小倉百人一首に収録されていることでも有名な、平安時代初期の文人である。百人一首では「参議篁」名義で収録されている通り、嵯峨天皇に仕えた公卿で、従三位の参議だった。しかし、その肩書きとは裏腹に、破天荒な伝説が数多く残されている。
小野篁、人呼んで「野狂」
後世に残る文人であり、小野小町の祖父という華麗な血筋の篁。しかし、激しい反骨精神とありえない実行力から、「野狂」と呼ばれていた。父、岑守は一流の文人、知識人なのに、若い頃の篁は学問に全く興味を示さず、弓馬に熱中していた。時の嵯峨天皇が「せっかく才能があるだろうにもったいない!」と嘆いたのを聞いて反省、文章生試に合格。すなわち、紀伝道(歴史学、特に中国史)の専門家となる。
その甲斐あってか遣唐副使に任命されるも、なぜか2回渡航に失敗。3回目は上司の船が壊れて水漏れし、自分の乗るはずだった船を使用されたことに腹を立て、「こんなブラック環境では部下を面目なくて唐に連れてくなどあり得ないし、自分体調悪いし、なんだったら母も病気なんで断ります!」と任務拒否。その上、遣唐使が時代遅れであると風刺する漢詩『西道謡』を作成、得意の中国語(漢文)を操り、どぎつい表現とダブルミーニングで、暗に朝廷批判を仄めかすことに成功。現代で例えるならば、超反骨精神のウルトラヒップホッパー、という感じであろうか。
公卿である彼が朝廷の政策に反抗することは、当時の世界観ではあり得ないものであり、当然嵯峨天皇は大激怒。大和言葉ではなく漢文で書いてあるということは、中国にも意味がバレバレということで、逃げ場の無い堂々たる反骨精神を世に放ってしまった篁。
結果…全ての官位剥奪の上、隠岐に島流しとなる。
小倉百人一首の有名なこの歌は、隠岐にまさに流される途中のものだ。「おーい、そこの釣り人さんよ、大海原を多くの島々目指して、俺は漕ぎ出してったって、伝言の方よろしく!」という、余裕感あふれるものである。篁はついでに、『謫行吟』という漢詩も船上で作成、漢詩ファンの中で、これが大流行してしまったとか。
道中はこのように反省の感なき小野篁だが、早く都に帰りたかったのか、壇鏡の滝で、滝行をした伝説が残されている。野狂というあだ名の裏には、思い立ったことに対しての恐ろしい集中力とピュアさが残されていると感じる。
女滝へ
壇鏡の滝の入り口には、大きな夫婦杉がある。
この鳥居をくぐって、かつて小野篁が滝行していたという滝に向かう。
滝は、女滝と男滝の二つがあるそうだ。
参道はとても涼しく、時折冷気を感じるほどだ。
見事な杉、地を覆うシダ、植物が多層的に共生する見事な風景を、しばし進んでいくと、女滝が現れる。
女滝一帯は静寂に溢れ、ただ立っているだけで癒される。
清流に足を浸してみる。とても奥深い部分まで、浸って、洗い流されていく心地よさ。
女滝の水は「全国の名水百選」に認定されており、水汲み場も整備されている。隠岐では古くから「勝利の水」「万病に効く水」「火難除けの水」とされてきたとのこと。とても甘く、美味しい。疲れが一気に癒される。
女滝でパワーチャージしたわれわれは、さらに上の男滝に向かった。
滝の裏側、天空の鏡
女滝を上がると、壇鏡神社がある。小野篁が隠岐の住まいとしていた光山寺の二代目住職である慶安が、夢で見た滝のビジョンを追って山を登っていったところ実際に滝があり、さらに鏡を発見したことが神社の縁起だ。
小さな神社の右手の、細い細い道を進むと、滝が見えてくる。男滝だ。
歩みを進めるにつれ、見える景色は全く変わってくる。
岩にくり抜かれた祠が見えてきた。
午後だというのに、ものすごい光。強烈な太陽のパワーを感じる。
狭い道をさらに進む。キラキラと、滝の水飛沫が光る。
さらに進む。上を見上げる。
すると、見たこともない大パノラマが広がった。
天空の鏡!!
この景色を、なんと例えたら良いだろう。とっさには浮かばない。強いて言えば、天空に浮かんだ鏡…空が水を映し出し、そしてその鏡から、再び水が降ってくるような、なんとも不思議な感覚だ。
いにしえ、水と星の祈りに思いを馳せる
いにしえの人は、水鏡に星を映して祈ったという。
壇鏡神社の縁起は、滝で鏡が発見されたことであった。もしかしたら、それはリアルな鏡というよりは、この風景が持つエナジーそのものを鏡と感じ取る、いにしえ人の美しい感受性を、伝えるものであったかもしれない。
壇鏡神社、天空の鏡の風景。目の前の景色に何を感じ、どう表現するのか?私たちの感受性の奥深さを、そのまま鏡として映し出してくれる空間。自分の心と深く対話したい時に、再び訪れたい場所だと感じた。
一つ、心に誓ったこと。次回訪れる時までに、体力をつけておきたい。滝壺周辺も含め、自由自在にこの風景を歩きまわってみたいのだ。
壇鏡神社は、深い癒しと対話、そして人生の楽しみな目標を私に贈ってくれた。
(つづく)
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筆者について
伊地知奈々子
a.k.a POP/木田時輪(ペンネーム)
セラピスト。アーティスト。星をめぐる旅をしています。
主宰しております新神戸・サロンCENOTEのページはこちらです。
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