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「死」を堪能できるスピッツの曲5選(個人的まとめ)

ポップ、かわいい、癒し系、女性人気… 日本のバンド、スピッツの一般的なイメージは、だいたいこんなものだろうか?

確かにスピッツはかわいい。ヴォーカルの草野マサムネの声や歌詞、バンド全体のヴィジュアルやMVもかわいさ満点だと思う。
だが、スピッツがその楽曲のテーマとしてきたものは、性や死、宇宙である。フロントマンの草野マサムネは、詞を書く時の名義は「草野正宗」と本名をクレジットしている。大衆の前で歌う草野と歌詞をつくる草野は区別されているようだ。
スピッツの楽曲には「死」がテーマになっているものがいくつもある。今度は、草野正宗に端を発するスピッツの「死」の世界を見ていこうと思う。

(ちなみに、ここで引用する歌詞の解釈は個人的なものなので、自分自身のスピッツ解釈の世界を崩されたくない、という人はインターネットの海に戻ることを推奨する。草野氏自身も自分の歌詞をどう解釈するかはその人次第だ、という趣旨の発言をしている)


1.魚

2004年発表のアルバム『色色衣』に収録されている曲、「魚」。タイトルから考察されるように、海水魚や海のイメージが歌詞中に登場する。

「きっとまだ 終わらないよ」と 魚になれない魚とか
幾つもの 作り話で 心の一部を潤して

「魚」

「きっとまだ終わらないよ」(完全に死んで消える、なんてことはないよ)と海辺で最後(?)の会話をしているのは、主人公(男)とその恋人である。この恋人とはちゃんとしたお付き合いをしている関係なのか?そうとは限らないと考える。浮気や不倫といった関係性にあるのかもしれないし、身分や性別の違う身内に許されない関係というのも想像できる。
「魚になれない魚」というのは、今の自分たちの比喩ではないか。同じ人間ではあるのに、身内に承認されず、世間や社会に参入できないさまを「魚になれない」と表現していると考える。

この海は 僕らの海さ 隠された 世界と繋ぐ
鉛色に輝く この海は... 隠された... 言葉じゃなく…
二人がまだ 出会う前からの
コンクリートにしみ込む 冷たい陽とさまよう
ふるえる肩を抱いて どこにも戻らない

「魚」

この曲には死の匂いが満ちている。(それがテーマだから当然だが)
歌詞もそうだが、曲調も冷たいイメージがある。死とは冷たいものなのだろうか。

「隠された、世界と繋ぐ」
2人はもう疲れ切っている。2人は目前の大きな海の下には隠された世界があると信じる。海は鉛色に輝いている。この輝きのなかに入れば、別の素晴らしい世界があるはずだ。「入水」や「心中」のイメージ。

「隠された世界」への入り口になる海辺はこんな感じだろうか。大きなコンクリートの柱の下に2人は佇んでいる。

僕たちはこれから別の世界に行く。すごく怖い。
周囲のコンクリートは冷たい。僕も怖いが恋人はもっと怖がっている。恋人の震える肩を抱く。
僕たちは今いる世界とは全く違うところに行く。この世界のどこにも戻らない。(日本という地のどこにも自分たちは行かない)

以上が「魚」の個人的解釈である。
この記事のイメージ画像には、戦で追われ、木船から入水しようとしているまだ幼い安徳天皇の模型の写真を用いた。安徳天皇は水面下には美しい都がある、と信じていたのだろうか。「魚」の恋人たちと安徳天皇の境遇が似ていると思ったので使用した。


2.夏の魔物

草野正宗は12月21日生まれであり、クリスマス直前の真冬に誕生した。
しかし、彼は夏が好きである。「夏至」が一年で最も好きな日であると語り、スピッツの曲にも夏の匂いがするものが多い。

「夏の魔物」もそのうちの一つであり、シングルカットされてベスト盤にも収録されている。初期スピッツの代表曲といえるだろう。(1991年発表のアルバム『スピッツ』に収録)

幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった

「夏の魔物」

登場人物は主人公(男)と恋人(女)、そして夏の魔物。
男女は共に弱い存在でありながらも、お互いを愛している。彼らはこれからどのような困難が待ち受けているとも知らず、夏の日々を穏やかに過ごす。
ある日、愛し合う2人には子供ができることになると知る。
彼らは新たな生命の誕生の予感に喜ぶ。

殺してしまえばいいとも思ったけれど 君に似た
夏の魔物に会いたかった

幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった
僕の呪文も効かなかった
夏の魔物に会いたかった

「夏の魔物」

しかし、彼女に宿っている新しい生命は生まれ出ることが難しいことが医師から伝えられる。
僕は一度、堕胎することも考えてしまう(殺してしまえばいいとも思った)。けれど、愛する彼女に似ているだろう子供の顔はどうしても見てみたい。その子に会いたいという儚い願い。その子は魔物である。夏という短い間に僕たちのすぐそばまでやって来て、幽かな姿のイメージをちらつかせるが、完全に見せることなく消えていってしまう。

僕はその子に「いかないでくれ」と祈る(魔物に呪文を唱える)。だが呪文は効かなかった。
「夏の魔物」は「流産」のイメージを孕んでいる。あらゆる思いが詰まったひと夏の出来事。決して忘れられない夏の魔物のイメージ。


3.青い車

こちらも夏の匂いがする曲。夏といえば爽やかに海へドライブだろう。(1994年発表のアルバム『空の飛び方』に収録)
スピッツには夏や海のモチーフが多い。しかし、それらには死の影も付いてくる。草野正宗にとって夏や海は大好きなものであると同時に、〈死〉のメタファーでもあるのだろうか。

冷えた僕の手が君の首すじに
咬みついてはじけた朝

「青い車」

夏の朝は涼しい。「僕」の手は冷えている。「僕」には「君」という大切な人がいる。
明確な動機は分からない。だが「僕」は冷えた手で「君」の首を絞めてしまう。「君」は意識を失う。2人の関係は順当にいっていないようだ。2人の間にいくつもの問題があって、「僕」は耐えられなくなってしまった。

君の青い車で海へ行こう
おいてきた何かを見に行こう
もう何も恐れないよ
そして輪廻の果てへ飛び下りよう
終わりなき夢に落ちて行こう
今 変わっていくよ

「青い車」

倒れた「君」を、「君」の所有する青い自動車に乗せる。
「僕」は夏の風を浴びながら、「君」を乗せた車で海を目指す。
「もう何も恐れないよ」、覚悟は決まっている。
海という〈死〉の象徴。海辺の崖の上に着いた「僕」たちは、青い車に乗ったまま海に落ちる。
覚悟を決めた「僕」たちにとって「死」は恐怖の対象ではない。「輪廻の果て」であり「終わりなき夢」でもある。「僕」たちはつまらない偽物の現世から離脱するのだ。
「入水」や「心中」のイメージ。

「青い車」は「魚」と似ているところがある。〈死〉の象徴である海へと向かう2人。だがこれから2人が主体的に経験するのは単なる冷たい死ではない。別の世界への入り口であり、エンドレスな夢の世界である。
違いもある。
「青い車」では夢に向かう変身の覚悟がされているが、「魚」では現世的な「死」のイメージが払拭できていない。「魚」の2人は「苦しんだ果てに消滅する」ことを恐れている。
死に対する2つの異なるアプローチだ。どちらが正しいなんてことはないだろう。


4.アパート

1992年発表のアルバム『惑星のかけら』に収録されている曲。
ポストパンクや暗いオルタナティヴ・ロックからの影響を感じさせるギターの流れが特徴的である。

君のアパートは今はもうない だけど僕は夢から覚めちゃいない
一人きりさ 窓の外は朝だよ 壊れた季節の中で

「アパート」

主人公の「僕」は、恋人(?)の「君」のアパートの一室で一緒に暮らしていたようだ。
しかし、そのアパートはもうない。取り壊されてしまったのか。なぜ?
「僕は夢から覚めちゃいない」。「君」との住み家がなくなっても、いまだに何かの幻想に耽っている。
「一人きりさ」。「君」はもういないようだ。どこか遠くに行ったのか、もしくは死んでしまったのか。
「壊れた季節の中で」。不穏なワードだ。不吉な事件があったことが予想される。

誰の目にも似合いの二人 そして違う未来を見てた二人
小さな箱に君を閉じ込めていた 壊れた季節の中で

「アパート」

2人はお似合いのカップルだった(と、周りの人からは思われていた)。
しかし、相手に異常に熱っぽかったのは、「僕」だけだったようだ。「君」は、永遠の愛などは考えられなかった。「僕」だけが「君」を執拗に好きだった。
思うように愛してくれない「君」を自分のものにするために、「僕」は「君」をそのアパートの部屋に閉じ込めてしまう。「監禁」のイメージ。

「君」を監禁した彼は、その後どうなったのか。
「君」がどこかに行ったのは確かだ。
なんとか彼の監禁から逃れて、彼は警察に逮捕される。そして「君」はどこか遠くにいて、前のアパートは事件のせいで取り壊された。「僕」は独房で夢想している…とか。
または、「僕」の過激な管理生活によって「君」は不意に死んでしまう。そうして「僕」が逮捕されたのか(逮捕されたなら、独房で夢想しているだろう)、遺体を置いて巧妙に逃亡したのかは分からない。いずれにせよ、「君」のアパートは、この事件のせいで取り壊されてしまう。それでも「君」の不在を現実のものとして受け止められず、自分の夢の世界に没入する「僕」が想像できる。

「アパート」は、一見お似合いの関係にあった「僕」と「君」の仲が捩れ、「僕」の〈狂気〉と「君」の〈死〉のイメージ(死亡したかは確実でない)が交錯する壊れた世界を描いている。


5.テレビ

最後は「テレビ」。1991年発表のアルバム『スピッツ』に収録されている曲である。
初期スピッツの難解な歌詞の曲たちのなかでもトップレベルの難解さを持っていると思う。そこで、歌詞の部分部分を取って考察してみる。

君のベロの上に寝そべって
世界で最後のテレビを見てた
いつもの調子だ わかってるよ
パンは嫌いだった

「テレビ」

「君のベロの上に寝そべって」。うーん。何を示しているのか。
「世界で最後のテレビを見てた」。
主人公の「僕」の恋人の「君」は死んでしまった。「世界で最後のテレビ」とは、棺の窓から恋人の遺体の顔が見えていて、それをテレビに喩えていると思う。
「パンは嫌いだった」。仏壇にはご飯を供える。パンは供えないので、パンは嫌いという表現を取ったのか。

さびたアンテナによじ昇って
市松模様の小旗を振った
不思議な名前も似合ってるね
失くさないで ずっと

「テレビ」

「さびたアンテナ」。仏壇に供えるお線香を錆びたアンテナと喩えているという説があるが、ここは何ともいえない。
「市松模様の小旗」。市松模様は、葬式の白黒の幕に似ている。
「不思議な名前」。「君」の戒名のことを指しているのだろう。「○○○居士」といった風に。

マントの怪人 叫ぶ夜 耳ふさいでたら
春の風によじれた 君と僕と君と

「テレビ」

「マントの怪人」が叫んでいる。葬式で袈裟を着た僧侶がお経を唱えている様子を、マント(袈裟)の怪人が叫んでいると表現している。

歌詞の一部分を切り取ってみると、葬式、葬儀、法事といったなかで「君」が亡くなったあとの「僕」の心情を描いている詩だと思える。
まだ幼い「僕」(小学生くらいか?)が仲の良かった「君」が死んでしまったのちの混乱した悲しみの様子をポップに描いているというのが感想である。
子供から見た、身内の死後の様子、お葬式の様子というのは、草野の「テレビ」ほどよく表現できたものはないかもしれない。



歌詞解釈は以上である。
スピッツの「死」の世界はいかがだっただろうか?今度取り上げたもの以外にも、「ロビンソン」や「タンポポ」など、死がテーマの曲は他にもある。
筆者の解釈が確証のあるものではないとはいえ、読者は〈死〉の匂いは感じ取れたと思う。

スピッツの「死」の世界は、少し怖いと思う人もいるだろうが、「生」にある私たちにとって未知なる〈死〉に対するイメージや態度を問いかけてくれるものでもある。

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