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一人美術館巡りin京都

京都出張での出来事。
仕事が早く終わり、一人でとある美術館へ行く。
いくつかの企画展の概要を読み、現代美術の歴史にここと惹かれる。
どうやら私は現代美術に心を惹かれるらしい。

展示は1963年〜1970年くらいの20~30代若手作家の作品を中心に
現代美術の動向を取り上げられたものだった。
年代ごとに徐々に素材や技術、モチーフとしているものが変化する。
現代美術は何を感じたら良いか疑問に思う人が多いが、
その絵がなぜできたのかを色んな視点で考えるのが面白いと思う。

例えば、ぐちゃぐちゃな線が描かれた絵を見た時に
何色が使われているか、どんな素材が使われているか
規則性はあるか、力強く描かれているか、など
同じぐちゃぐちゃな線でも描いているものは違うと思う。
だから、絵を目の前にした時に
近づいたり、遠くでみたり、想いを馳せてみたり、観察したり
そうすることで悲しみ、怒り、喜びのような感情や
何かに対するアンチテーゼのようなメッセージ
作者が見るフィルターを感じられることができると思う。

あとは、前提としてデザインに興味がないと面白くないと思う。
自分は今、独学ではあるがデザインを学んでいる。
だから他人の作品は自分にはない着眼点がたくさんあり勉強になる。
こんな表現ありなんだ、こういう視点面白いなと刺激を与えてくれる。

さて、私のどうでもいい素人のアート講座はここまでとして、
最後に心に残った作品をここに留めておきたい。

麻田浩 「沈黙」と「重たい旅」である。
※タイトル名は自分の記憶だけなので、ご容赦いただきたい

まず「沈黙」という作品はアスファルトのような地面がひび割れている描写。
これをみた時に、なんて上手なタイトルなんだと一本取られた気持ちになった。
これまで「沈黙」を地面のひび割れで表現した人がいただろうか?
沈黙というのは声に出さない、黙るという行為、すなわち何もしないことということになるが、
何もしないこと=何も起こらないのではない。
何もしないことは知らぬ間にひび割れするアスファルトのように壊れてく
そんなように受け取れることができる気がしたのである。

もう一つは「重たい旅」である。
テーマだけ聞くと、大きな荷物を持つ旅人のようなイメージを思い浮かべるが、
それを麻田さんは雨に打たれた足元の地面を描くことで表現しているのである。
「なるほど、そうきたか」というのが率直な感想。
確かに、重たい荷物を担いだりするのは身体的にも精神的にも辛い。
だから自分の足で一歩一歩進むだけで精一杯になると、
自分の足元だけしか見えなくなり気持ちが重くなるということはある。
でもまさかそれをアートに昇華するとは思わないではないか。

この二つは、どうにか自分の記憶にも留めておきたい。
そんな気持ちで今日はこの日記に綴ることにした。
アートってやっぱり面白いな、ありきたりな言葉で締めくくりたいと思う。

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