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芝居をする時の理想の状態

役になりきるためにはどうすればいいんですか?

よく聞く質問です。
恐らく、演じている俳優自身が、役になりきれて芝居をした。と言う感覚というか、そういう自覚を持ててなくて、不安を抱えているのだと思います。

役になりきる。役として動く。ということを、芝居のやり方で解決しようとすると、失敗すると僕は考えています。
芝居のやり方で解決しようとすると、どこまで行っても◯◯さんが芝居をしているという状態が続くからです。

では、

◯◯さんが芝居をしている。

という状態を

役がそこにいるように見える。

に昇華するためには、どうすればいいのか?
この違いは一体何なのか? ということを紐解いていきたいと思います。

まず結論から言うと、これが出来たら役になりきれる。と言う明確な指標はありません(少なくとも僕はそれを知りません。あれば是非教えて頂きたいです)

では、何を以て役になりきれたと言えるのでしょうか?

役になりきるため、役として行動するために、まずやるべきことは、役を演じている俳優自身の状態をコントロールすることです。
役としての居方(状態)と、俳優としての居方(状態)を切り離して考える。

では、俳優は芝居をする時に、どんな状態であることを目指せばいいのか?

僕は冒頭にあった「役になりきるためにはどうすればいいんですか?」と言う質問に対して、自転車に乗ることを例にあげて、芝居をする時の理想の状態について説明をします。

自転車に乗る時のことを想像して見てください。(乗れない方すみません)

あなたは自転車に乗る時に、
自転車の乗り方を頭で考えて自転車に乗りますか?

まずは左足を左のペダルに乗せて、そこに重心をかけて右足を後ろに振り上げてサドルに座り、漕ぎ出す際は重心を少し前に落として、その時のバランスはこうとって……と、言う具合に考えて自転車に乗っていますか?

恐らく、ほとんどの人は、そんな事を考えずに自転車に乗っていると思います。そんなこと頭で考えずとも、体が覚えているからです。
この状態で芝居ができるようになることを目指して欲しい。

自転車に乗る時と同じ、と言う状態が作れればどうなるのか?

自転車に乗る時の状態を、芝居に置き換えるとどうなるか?

少なくとも、芝居をしようという思考はなくなる(自転車に乗る時に、自転車の乗り方を考えないのと同じ)
次のセリフはこれだ、とか、ここでこのアクションをするとか、そう行った類の思考はなくなるはずです。

そしてそういう状態が作れたとして、状態を作る前と後では、何が変わるのか?

次の思考が湧き起こります。これが大事なポイント

自転車で言えば、どうすればもっとスピードが出せるようになるか、とか、片手運転するにはどうすればいいのか、スピードを落とさずにカーブを曲がるには、と言った思考。
本当はダメな事だけれども、例えばスマホを見たりだとか、音楽を聴きながら自転車に乗る、と言う行為は、自転車に乗るという事が当たり前にできるようになってからしか生まれない思考のはず。
自転車に乗ることで精一杯な時にスマホを見る余裕なんてありませんよね。

これを芝居に置き換えるとどうなるか?
脚本に書かれていることは、もう当たり前のように出来ると言う状態から生まれる次の思考とは何か? 
ほとんどの場合、脚本に書かれているセリフやト書き以外のところに思考のフォーカスが当たるはずです。
もっと言うと、視覚から入る情報を受け取れるようになる
脚本上に書かれている事実を、自分事として感じれるようになります。
何かをやろう。ではなく、目の前で起きていることに反応することにフォーカスが当たる。
この状態で芝居が出来れば、相手役に対するあなたのリアクションは、あなた自身のものではなく、役としてのリアクションに昇華できる。

役になりきる。役として動くための一番の障壁は、俳優自身の芝居をやろうと言う思考なのです。

こちらの記事も併せて読んで頂けると、俳優自身の思考を断ち切る作業がなぜ必要なのかが、より明確になると思います。

これを読んだあなたが、楽しく芝居ができるようになりますように



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